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泉の国 フリュー その一

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 兄さんが水の国に向かい三日経った。
 兄さんは早ければ明日戻ってくるだろうと遠征のために荷物をまとめていると、部屋にノックの音が響いた。

「カルラギーク王の使いだが、ミール殿は居られるか?」

 嫌な予感がする。
 声の抑揚や、呼吸がおかしい。急いでいる。
 これがただの連絡とは思えない。

「はい。なんでしょうか」

 十中八九魔獣の目撃で今すぐに出発する連絡だろうと扉を開ける。

「クォルテ殿がおられないのは存じておりますが、昨日の夜フリューに魔獣が現れ討伐に向かいますのでご同行願います」

「探索ではなく討伐なのですか?」

 わずかな希望を持ってそう聞き返す。

「はい。フリューで待機している斥候の情報で、姿を目視で確認。大きさや魔力の規模から考えて大型の獣ではなく魔獣と判断しました」

 最悪だ。よりによって兄さんが帰ってくる一日前……。
 ヴォール様の性格から考えれば、受けるにしろ断るにしろ兄さんは帰ってくると予想していた。
 最短日にも間に合わないうちに魔獣が現れた。誰かの嫌がらせだろうか。

「わかりました。急いで準備します」

 使いの人と一時間後に門の前で合流する旨を伝え、ドアを閉める。

「ミールさん、どうかしたんですか?」

「アルシェ先輩、皆に連絡です。急いで討伐の準備をしてください」

「あっ……、わかりました」

 何かを言いかけアルシェ先輩は他の部屋に連絡に向かってくれた。
 手が震える。私が知っている魔獣はミスクワルテで戦った特級の魔獣だけだけど、その時の恐怖は身に染みている。もちろんあんなのばかりじゃなくて、ほとんどがあれ以下なのは知っている。
 それでも怖いのだ。
 体に一撃を喰らえば紙屑の様にちぎれ死んでしまう恐怖。こんな状態でみんなに指示なんてできるんだろうか。
 兄さんならこんな恐怖を感じないのかな、感じていないはずはない。それどころか全員の命をいつも預かって戦っているはずだ。

「ミールさん」

「えっ?」

「大丈夫ですよ、落ち着いてください」

 アルシェ先輩は突然現れ私の手を握り締める。
 ひんやりと冷たい手の平が私の手の震えを止めてくれる。

「辛くて怖くてつぶれそうな時はそれを口に出した方がいいです。溜めてもいいことなんて何もないですから」

「私は今兄さんの代わりですから、弱音を吐いている場合じゃないんです」

「そうですか? 結構弱音吐いてますよ。これだと勝てないとか」

「そう言いながらも勝ってますからね、兄さんは」

「勝てるように考えているからです。それでも無理ならクォルテさんは逃げようとしてますね」

「国交に関わりそうな頼み事ですよ今回は」

「それでも逃げます、そのせいで国が無くなるとしても逃げます」

 そうかもしれない、死なせたくないからと言って逃げる人だ。
 勝てる戦いしかしないのだ、今までも無茶を通して勝てる算段を付け勝ってきた。

「ミールさん、逃げますか? 私達はあなたが逃げると言えば逃げますよ」

 私は目を瞑り考える。兄さんの為になることを考える。
 特級じゃないなら、お姉ちゃんとアルシェ先輩がいれば負けは無い。それどころか軍の人達でなんとかなるかもしれない。
 そして特級なら神が動くし逃すこともあり得ない。それなら怖くてもこの討伐には参加したほうがいい。
 こちらの面子も保つことができるし、動く必要もない可能性の方が高い。

「逃げません。準備して合流場所に向かいましょう」

「わかりました」

 ふっとアルシェ先輩の手が離れると手の震えは無くなる。
 光に輝く透明の髪が翻りドアノブに手をかけている。

「アルシェ先輩、ありがとうございます」

「いえいえ、大したことではないですよ」

 アルシェ先輩はそう言って部屋を出て行った。

「兄さんは人を見る目があるみたいだ。出会いの運がいいだけかもしれないけど」

 お姉ちゃんもアルシェ先輩も他の人達も全員凄いな、私は何があるんだろう。
 完全に兄さんの従妹だからってだけの存在だよ……。

「いや、今はそれを考えないようにしよう」

 一度自分で頬を叩いて気合いを入れ準備の最終確認をする。
 今回は毒が必要だ。魔獣に効くかはわからないけど効くなら有効なはずだ。
 準備を終え、私達は門に向かう。

 門についた時には隊列を組んで兵は待機しており、私達が最後だったらしい。

「これからフリューに向かう。今回は水の国ヴォールにて特級とも戦ったことのあるロックスの一行が一緒だ。何も恐れることはない。ただ一体の魔獣を討伐するだけだいいな」

 カルラギーク王の演説が終わると全員が一斉に動き出す。

「お前がミール・ロックスか?」

 兵が先に向かう中二人の男性が私達に近づいてきた。
 一人はカルラギーク王、もう一人は最初に街を案内してくれたラーグ・ハリス。

「はい、初めまして。クォルテ・ロックスの従妹ミール・ロックスです」

「クォルテが戻ってくる前の出発で申し訳ない」

「いえ、仕方ありません。魔獣に空気が読めるのなら人など襲わないでしょう」

「そう言ってくれると助かる。それで、私をその馬の無い馬車に乗せてくれないか?」

「構いませんが、理由を伺ってもよろしいでしょうか」

「殿を任せたくてな、王として俺が前線に立つわけにはいかなくてな」

 前線で戦わせないように自分が護衛をすると言っているのか。それなら確かにありがたい申し出かもしれない。

「それと、ラーグから聞いたが乗り心地がいいらしいからな」

 そう言って破顔するカルラギーク王の顔にこちらの気も抜けてしまう。

「わかりました。お二人が乗車ということでよろしいですね」

 カルラギーク王が荷台にハリスはまたアルシェ先輩の隣に座った。
 鼻の下を伸ばすハリスの様子に、アルシェ先輩は気づいているのかそこが少し気になった。

「今回の討伐は何人の兵がでるのでしょうか?」

「二百ほどだな、魔獣討伐の経験がある者が中心だ。お前達が戦う機会は無いと思ってくれ」

 二百、結構多い。確かに、神がいないからはわかるけど慎重すぎる様な気がする。

「多くもなるのだよ、泉の国に被害を出さないようにな」

「なるほど」

 確かに守る人達と戦う人で別れる必要もある。
 そうなると確かにこれくらいの人数が必要になるわけだ。
 私が納得する姿を見るとカルラギーク王は少し残念そうにした気がした。

「僕からも質問してよろしいかな、カルラギーク王」

「君は、サレッドクイン・ヴィルクードかな。なんだ?」

「単純な質問だが、なぜ僕達に先陣を切らせない。その方がそちらの被害が少ないだろ?」

 サレッドクインの言葉はその通りだった。
 普通なら他国の人間に先陣を切らせてもいいはずだ。

「率直に言おう、お前達には期待していない。俺が欲しかったのはクォルテ・ロックスの統率力だ。お前達の力は強力だが、強力なだけだ。よってお前達が俺達の戦いの邪魔になると思った」

「つまり邪魔だということですか?」

「だが、クォルテが来れば十分戦力になる。そのためにお前達を連れてきた」

 その言いぐさに腸は煮えくり返るが、反論ができない。
 反論できるほどに私は強くない。

「ミール、お前が今のリーダーならば、なぜ魔獣の情報を聞かない? 立地、作戦、武器、状況聞くことは山ほどあるだろう」

 言われるまで気が付いてさえいなかった。
 緊張からか、不安からか私の視野が異常なほどに狭い。

「じゃあ王様、ミールに戦い方教えてあげてよ。私も戦いたいけど指示してもらった方が動きやすいから」

「お姉ちゃん」

 自然とうつむいていた私はお姉ちゃんの言葉で前を向く。

「戦い方を教えてください。そちらの動きに合わせて動きます。そのために色々教えてください」

「そうだな、それでもお前達は待機だ」

「やっぱり足手まといですか?」

「ああ、それもある。だが、一番の理由はお前達にやってもらいたいことがある」



「やってもらいたい事とはなんでしょうか?」

「その前に君たちは特級の魔獣と戦ったことがあるらしいな」

 闇の国に居た魔獣のことではないはず。あれは極秘でヴォール様とウォルクスハルク様も口外はしていない。

「はい、以前ヴォールで兄さん達が足止めをしました」

「その時の魔獣はどういう姿だった?」

 カルラギーク王はお姉ちゃんに視線を向ける。
 お姉ちゃんは思い出しながら言葉にする。

「尻尾が長くて、細長い蛇みたいなやつ」

 私が兄さんに聞いていたのと変わらない姿だ。

「そうなるとあれはやはり異常だろうな」

 カルラギーク王はそう話を始める。

「先兵の話からするとその魔獣は人の形があるらしい。上半身が人、下半身は蛇の様だがトカゲの様に手足がありながらもヒレがある。それが今フリューに居る」

「おとぎ話の怪物みたいなお話ですね」

「正にその通りだ。先兵も混乱しているらしくてな、それ以上の事はわからない。その時も姿を見せているが虚ろな目をしてこちらを見ていたらしい」

 そんな化物をみているなら仕方がない。
 私も正気で居れる気がしない。自分がおかしくなったと思ってしまう。

「先兵が報告に来たのなら何もされなかったのか?」

 サレッドクインの言葉に王は答える。

「ああ、しばらく見つめ合った後に泉に消えた。その後は姿を見せていない」

 動いていないと魔獣には知覚されない? いや、それなら木々がなぎ倒されていなければおかしい。
 それどころか、それが最近目撃されている魔獣だとしたら被害者がいないこともおかしい。
 そうなると、その魔獣が姿を現したのは……。

「俺は、その魔獣が見つかるために姿を現したと思っている」

 カルラギーク王の私の考えを先回りしての発言の様だった。

「そうなると、誰かが裏で糸を引いているということですか?」

「そうだ。それでお前達にその誰かを探してもらいたい」

 ようやく私達がさせられることを理解した。
 黒幕を探すこと。それを私達がしないといけない。
 魔獣を作れるのは、神しかないないはずだ。そうなると相手は神ということになるんじゃないか?

「もちろん危ないと思ったら逃げてくれて構わない。友の国民に無理をさせるつもりはない」

「わかりました。できる限りやってみます」

「では、後数時間で目撃された湖の近くだ。しばらく休んでいてくれ」

 私達の仕事が決まる。
 できる事なら黒幕が神でないことを祈りながら私達は少しばかりの休息をとる。

 目的地にたどり着いた時には日が傾いていた。
 結局片道数時間の道は、倒木や何やらで倍以上の時間がかかってしまい、魔獣退治は翌朝になった。

「変な魔獣ってどんなのだろう」

「お姉ちゃんは今回参加できませんよ」

「変って言うなら闇の国で戦ったあれも十分変だよね」

 私達以外誰もいないことをお姉ちゃんは確認し、そう口にした。

「あれは規模が違いましたからね」

 国と同規模の大きさ、その力を使って生まれた闇の巨人。
 イレギュラーの塊だった魔獣に比べれば今回の魔獣はまだ可愛いもののはずだ。

「でも、今回もイレギュラーであることには変わりないですから、油断はしないでください」

 私がそう言うとみんなは頷く。

「それと今回は人探しですが、みんなで一緒に動きます」

「人探しならバラバラの方がいいんじゃないの?」

「今回は神々の誰かが関わっているとミールさんは考えてるんだと思うよ」

「アルシェ先輩の言う通りです、魔獣を作るなんてことを人間ができるはずもないですから」

「じゃあ、身の安全のためにってことか」

 その考えに誰も反対は無いようで私達は明日に備え早めに寝ることに決めた。

 翌朝、討伐隊の内訳がカルラギーク王によって決められ、私達は辺りの探索になった。

「綺麗なところだね」

 お姉ちゃんが森に入りそんな感想を漏らした。
 森の木々によって空気は澄んでおり、泉の国から吹く風は泉で冷やされ木漏れ日に温められ丁度いい心地いい風に変わる。
 鳥や獣が自然のまま住んでいて元気に動き回る。
 このまま進めばお菓子の家がありそうなほどに綺麗で、まるで異世界に紛れ込んだお姫様になったような気さえする。

「だが、すぐ近くに魔獣がいるのだろう」

 サレッドクインの言葉に私たちはがっかりした気持ちになる。

「サレッド、真面目過ぎじゃない?」

「お前達は気を抜きすぎだと思うぞ」

「いいじゃないですか、変な気配もなければ魔獣との交戦の音もないですし、地形把握のために今歩いているわけですから」

 サレッドクインの言いたいことはわかるが、正直信じられない気持ちもある。
 これほどに野生の動物がいるのに異常を感知していない。
 動物は危機察知能力が高い、その動物たちが何の行動も起こしていないのはまだ何も起こらないから、泉の方も戦闘の音がしない。
 あまりにも何もなさ過ぎて目撃証言も見間違いか、大型の獣なんじゃないかと思ってしまう。

「僕の感だとおそらく魔獣の方が楽だぞ」

「どういう意味ですか?」

 更にフリューの周りを歩き回る。

「お前達の話を聞く限り神が関わっていることは確かだ。おそらく地か風どちらかだな」

 その言葉を私達は黙って聞く。
 それはみんなが大なり小なり思っていたことだった。

「水と火の神は魔獣を作ることはない。それに引き換え地と風の神は己が欲望に忠実らしいしな。魔獣の一体や二体作るだろう」

「それって良くないんじゃないの?」

「もちろんだ、公になれば他の神々が黙ってはいない」

「でもそれが、二柱なら二対二ってことですか?」

 確かにそれなら拮抗できる。それどころか魔獣がいる分向こうが有利だ。

「それは無いと思います」

 唐突にアルシェ先輩が口を挟んできた。
 割って入るのは珍しいとみんなが思ったのか全員が視線を向ける。

「風の神についてはわかりませんが、地の神はそんなことしないと思います。クォルテさんは地の神の命令で水の国に行こうとしていましたから」

「そうだね、じゃあ大丈夫だ。地の神様は関わってないね」

 あっけらかんとそんなことを言う二人に、私もサレッドクインもお互いに顔を見つめる。
 私とサレッドクインは、二人が何を言っているのか理解ができずにいた。
 そんな私達二人を見てアルシェ先輩が補足してくれる。

「クォルテさんですから、怪しかったら死んでも言うことなんか聞きませんから。そのクォルテさんが動いたなら地の神は良い神様です」

「「……」」

 もう何も言えなかった。
 二人があまりにも普通にそう信じていることに驚いて私とサレッドクインは言葉を発することさえできなかった。

「ミール、だとすると神様は出てこないってことになるの?」

「え、そうですね、一柱の神だけだと勝てませんので、姿を現すのは可能性は低いと思います」

「それでしたら私達でも足止めくらいはできますね」

「そうだな」

「じゃあ、一通り見たらご飯だ」

「そうですね、クォルテさん達の分っていりますかね?」

「いやいや、二人とも話を進めていますが、地の神が関わっている可能性を排除するのは早すぎますよ!」

 思考がようやく追いつき私は反論する。
 兄さんが指示に従っていることを根拠に話が進みすぎている。

「兄さんが私達を人質にされて従わされているって可能性もあるじゃないですか!」

「それはないでしょ」

「そうですね」

「えっ?」

「私達がここにいるじゃん」

「そんな状態でクォルテさんがみんなを置いていきませんから」

 私に反論の意思はもうなかった。
 もちろん反論の言葉もあるが、確かにと納得してしまった自分もいた。
 私はそこまで兄さんを考えれてはいなかった。

「そうですね、私は納得してしまいましたがサレッドクインは何かありますか?」

「いや、ないな」

 サレッドクインも私と同じみたいで言葉はなかった。
 何か負けた気がしながら私達はフリューの周りを数時間かけて確認した。



 思いのほか時間がかかり、遅くなった昼食を食べた後私達は再び周辺の警戒に入った。
 朝と変わらない気持ちいい森の中を進む。
 心地いい散歩日和だと捜索すること小一時間、変化が現れた。

「お姉ちゃん、気配はありますか?」

「ないよ、何もない」

 その言葉は異常事態だ。
 さっきから十数分獣の姿を見ていない。

「警戒してください」

 私の言葉と共にフリューの方で雄たけびが聞こえた。

「出ましたね」

 魔獣との戦いが始まったらしい、そうなると私達の仕事も始まる。
 予想通りなら黒幕も動き出しているはずだ。

「あっちに変な気配が二つある」

 お姉ちゃんの言葉に私達は駆けだす。

「見つかっちゃったよ」

 白髪で白衣の女は私達を見てそう言った。
 その後ろには闇色の髪をした少年が立っていた。

「えっと、君達はクォルテ・ロックスの仲間諸君だよね。会えてよかった、君達に話しておきたいことがあったんだ」

 親し気に話しかけてくる女を私は信用できない。
 詐欺師の様に信用できない。嘘も本当もないまぜにして話す空気があった。

「君達が愛してやまないクォルテ・ロックス君は死んだよ」

 その言葉に反応したのはお姉ちゃんだった。
 私が口を開くのよりも早い動きで女に殴りかかった。
 しかしそれを知っていたように女は体の向きを変え、お姉ちゃんを蹴り飛ばす。

「その髪色は確かルリーラだ。ロックス家の実験動物。奴隷の分際で分不相応にも貴族に恋をしている哀れな少女。合ってるかな?」

「みんな、あの女の言葉は聞かないように、挑発しているだけですから」

「女呼ばわりか、私はハベル・クロアって名前なんだよ。それに挑発していない、事実を言っているよ」

 頭に昇る血を抑え込む。
 こいつは感情を逆なでしてカウンターを狙うタイプだ。頭に血が上った時点で負けが確定する。

「パルプ、動けるよね全員倒してきなさい」

 パルプと呼ばれた少年は一瞬で私の目の前に現れた。
 早い、お姉ちゃんよりも?

「動け!」

 サレッドクインの刀がパルプに向けられるが、その刃はあっさりと避けられる。

「炎よ、鎖よ、敵を繋ぐ枷となれ、フレイムチェーン」

 アルシェ先輩もすぐに動きだす。
 炎の鎖を避けながらサレッドクインの攻撃もいなす。

「パルプ、少し三人の相手を頼むよ、私はこの子と話がある」

 ハベル・クロアは私の前に悠々と歩いてくる。
 その進行を止めようとお姉ちゃんが動いても、パルプに阻まれてしまう。
 あの三人に対して大立ち回りをするあの少年の強さは異常に見えた。
 ベルタと言うだけであの動きは変だ。

「君は中々顔に出やすいね」

 ハベル・クロアとの距離を一定に保つためすぐに後ろに飛び退く。
 白髪のはずなのに、この女が持つ雰囲気はお姉ちゃんやフィル先輩と同じように感じる。

「……」

「だんまりか、それは私を観察するためかな? それとも自分を見せない為かな?」

「私は、無口なんです」

「嘘が下手だ、下手過ぎて演技なんじゃないかって考えてしまうほどだ。演技だとしたら褒めてあげたいよ」

 ハベル・クロアはそう言って笑う。
 限界一杯の私とは対照的に余裕がある様に見える。
 実際問題、その通りなのだろう。手負いの様にわき腹を少し庇う動きを見せているのにそれに攻撃ができない。

「呼吸が荒い、発汗も普通じゃない」

 突然の言葉に理解が遅れる。
 自分の事を言われているのに、自分の事じゃないように感じる。

「弱いね、弱々しくて壊してあげたくなる。彼はそうじゃなかったよ。強かった、君みたいに怯えるだけの存在じゃなかった。そんな彼も今は瓦礫の下だけどね」

 この女の発する言葉には真実味があった。
 対峙してわかる強さよりも残虐で残酷な佇まい。

「あっちの方でもそろそろ半分は死んでるかな? どうする、見に行きたいなら行っていいよ。裂かれて食われている兵隊が見れる」

 想像してしまう。
 見知った顔の人が二つに分かれている姿を、怪物の口から滴る鮮血を、脳に描いてしまう。
 それが恐怖を駆り立てるものだと知っていても止められない。

「君達もこのまま死ぬだろうけど、いい個体が集まってるし研究材料にしようかな」

 研究材料の言葉に脳が想像するのはロックス家の地下。
 鎖につながれ観察され使われていた奴隷の姿が自分と重なる。

「聞くなっ!!」

 光を飲み込む闇色の髪がハベル・クロアにぶつかる。
 ハベル・クロアが避けると見慣れた大きな穴。

「ルリーラだったかな? 話に割り込むなんてマナー違反なんじゃないか?」

「仲間が泣かされているんだから当然、マナー通り!」

 そのあまりにも唐突なマナーに私はつい笑ってしまう。

「なんか笑われた!?」

「ありがとうございます。お姉ちゃんはこっちに居て平気ですか?」

 気づかないうちにこぼれていた涙を拭い、しっかりと相手を見定める。
 しっかりと相手を見ると二人とも結構な深手だった。
 汚れと血がついていて、それが他人の血ではないことを理解する。
 仲間の様子はお姉ちゃんには擦過傷が目立つ、そうなると素手で殴り合っているお姉ちゃんには辛い。

「あんまり、よくないかな」

「では、お姉ちゃんは武器を取ってきてください。その後にサレッドクインと交代。あの少年は何か武器があるかもしれないので防御は武器で、そしてアルシェ先輩を起点にしてください」

「わかった」

 お姉ちゃんが離れていく。

「離脱させるなんて強気だ、私達が今すぐに君達を倒せるかもとは思わないのかい?」

「無理です。負けたのだとしても兄さんとフィル先輩がいて、あなたを戦える状態にしているはずがないですから」

 私が余裕を取り戻すとハベル・クロアの表情が変わる。

「じゃあ、見せてあげるよ」

 一本の白い線が私の元まで伸びる。
 辛うじて避けられた。この動きは身体強化? だとすると相当量の魔力をつぎ込んでいることになる。

「次は外さない」

 白い線は脇に逸れ私の視界から消える。
 私は確信をもって消えた方と反対に足を突き出す。

「ぐっ」

「戦い慣れてないですね、私や兄さんと同じ研究畑ですよね」

 勢いよく私の足に突っ込んできたハベル・クロアはその場にうずくまる。
 口から吐瀉物をこぼしながらこちらを見る。

「確信しました、兄さん達は生きてます。あなた達は逃げてきたんでしょ? おそらく地下の研究所から」

「ちっ」

 突然降ってきたサレッドクインの一撃をハベル・クロアが察知し避ける。

「来たけど、どうする?」

「こいつを捕まえます」

 ここで捕まえたほうがいい悪党だと判断した。
 研究所、不自然なベルタ、いるはずのない魔獣。
 これだけ要素があれば誰でもわかる。
 こいつが魔獣を作る研究をしていて、あのパルプという少年はそこの門番。

「僕に任せろ、一撃で沈める」

 サレッドクインの居合が放たれるが、軽々と跳躍するハベル・クロアは木に掴まる。

「行けると思ったんだけどな、クォルテ・ロックスへの人質のために何人か貰おうと思っていたのに」

 そう言いながら木の枝に立つ。

「パルプ、もういい帰ろう。そろそろ来る頃だし後は魔獣に任せよう」

「わかった」

 少年は飛んだ。
 両肩からは鳥の様翼が生え、文字通りに飛んだ。

「それではまた会おう」

 パルプに抱えられ、ハベル・クロアは空へと消えて行った。

「追う?」

「やめましょう、無駄です」

 森の中を駆けて行っても間に合わない、それに罠の場合もある。
 そんな危険を冒すのは得策じゃない。
 それよりもどこまで本気かわからないが苦戦していることは確かだ。

「急いで泉の方に向かいましょう。非難の手伝いくらいならできると思います」

 私達は今も激戦の音が止まない泉へと急いだ。



「ご主人、もう使ってもよくない? もう始まってるみたいだよ」

 俺とフィルがフリューに向かって走っていた。
 何度目かわからないフィルの言葉に俺は同じ答えを返す。

「だから、魔獣じゃなかった時のことを考えろよ」

「外交めんどくさいな」

「だから急いでるだろ」

 水の神に渡された球を俺達は未だに使っていない。
 なぜならその球は魔獣の討伐に使う物で、もしも目撃されているのが魔獣ではない場合、俺達は神を移動手段に使ったと思われても仕方ない。
 水の神は否定するだろうし、水の神を信仰している国からの応援ならまだ何とかなるが、今回は地の神を信仰しているカルラギークの要請。もし違った場合に水の国が魔獣に襲われた場合に水の神の進行が減る可能性がある。
 そうなるのは俺としても困る。俺の軽はずみな行動で水の神から力が無くなるのは申し訳ない。
 そういう風に何度も俺はフィルに説明している。

「でも、あの声は魔獣だよ」

「わかったよ、使えばいいんだろ」

 俺は球に魔力を流す。
 球は青く光を発しやがて砂の様に崩れていく。

「何も起きないね」

「起きないな」

 こうなると可能性は二つだ。
 一つは俺が地下から持ってきた球が別の物だった可能性、それともう一つは今手が離せる状況じゃない。

「来てくれることを願って先を急ぐぞ」

 手に残った砂を握ったまま俺達は再び走り出した。

「ご主人あれ、クロア達だ」

 フィルが指さす方には何かが宙に浮いていた。
 黒髪のフィル程視力があるわけでもないため、俺にはただの黒い点に見えるが、何かが飛んでいるのはわかる。

「あいつ、鳥まで混ぜてやがったのか。だがあっちは置いておく、今は急がないと不味い」

「わかった」

 森に入ると激しい音が聞こえる。
 音がわかりにくい森の中でフィル主導の元音のする方に急いで走っていく。

「――――――!!」

 戦場にたどり着いたのか、今までに何度か聞いたことのある人ではない奇声が聞こえてくる。

「ご主人」

「わかってる急ぐぞ」

 魔獣の声に心がざわつく。
 ヴォールでの戦いに、ミスクワルテでの激闘を思い出す。
 この体で勝てるのか?
 クロアとパルプとの戦いで疲弊し軋む体は、諦めろと告げる。
 フィルも口にはしないが大分辛そうに見える。

「あたしに気を使ってるなら意味ないよ、止めてもやるから」

「やっぱり俺の心を読めるだろ」

「ご主人がわかりやすいの」

 気の抜ける様なフィルの言葉に覚悟が決まる。
 俺は移動しながら作戦を考えることにした。

 それから数分走りようやくカルラギーク兵の姿が確認できた。

「ロックスさん」

 そこで出会ったのは運のいいことにハリスだった。

「状況を手短に頼む」

「はい、現在我が軍は魔獣と戦闘中、アルシェさん達は先ほど不審者二名と交戦しその後魔獣討伐に参戦しました」

 不審者二名はきっとクロア達だな。魔獣の回収に失敗したのか、それとも他に理由があるのか。
 どっちみち逃げたってことはミール達は何とかなったってことだな。

「魔獣について教えてくれ」

「魔獣は大型と思われますが、現在もなお苦戦中です」

「その魔獣に知性があるからか?」

「はい。魔獣は通常の魔獣と違います。上半身は人間、下半身は蛇の様に長くヒレと足があるのを確認しています」

 想像するだけで気持ち悪い。
 クロアが言ったことを考えるとさぞ醜悪な怪物が出来上がっているだろう。

「頭や心臓なんかは攻撃してみたのか?」

「しているみたいです。それどころか頭を吹き飛ばしても再生するらしく、目下急所を探しています」

「わかった、どっちに向かえばミール達に合流できる?」

「あちらです」

 ハリスへ礼を言い、セルクを預け指さされた方向に向かって駆けだす。
 森の中を進んで行くと、嫌な臭いが鼻を突く。
 血の臭いと焼けた木や草の臭い。一瞬現れた地下での出来事を頭から追い出す。

「凄い臭いだ」

 自然とそんな言葉が口から漏れる。
 森を抜けるとそこは戦場だった。

「二番隊、左から魔法を撃ち、注意を引きつけろ! 四五番隊は右から殴り飛ばせ、復活しない個所を探し出せ!」

 誰か知らない兵士が指揮を執り魔法と力で巨大な魔獣と戦っていた。
 魔獣は話通りの容姿をしていた。

 一番目につくのはやはり蛇の様なぬめり気のある鱗、その途中には魚の様なヒレが不規則に並んでいる。
 その上部には確かに人間が付いていた。
 爬虫類の肌が不自然に人間の肌に変わり、肩が横ではなく前にあり本来背中であろう部位が肩から伸びる。

 これがクロアが言っていた「伸ばす」とはこういうことだったのだろう。精霊結晶を包むための肉の塊。

 虚ろな目には生気は見えないが、確実に知能はある。
 囮に気が付き右の四五番隊に向けておおきく口を開いた。

「避けろ!」

 俺が叫ぶと一瞬の躊躇と共に全員が左右に跳ぶ。
 彼らが居た場所に人造魔獣が閃光を放つ。
 地面が溶け、端に触れた木は発火する。

 こいつはおそらく炎の魔法使いだったのだろう。髪は白いがそれが恐怖からなのか初めからなのかわからない。肉体も皮膚がたるみすぎて男女の区別もつきそうにはない。

 ゆらゆらと揺れながら魔獣は俺の姿を捕らえた。
 口を裂きながら開く、頭部が見えなくなるまで開いた魔獣は急に魔力が高まり出す。

「兄さん、こっちです。あれは範囲が広い!」

 ミールの叫びにフィルと共に向かう。
 他の兵たちも一斉に距離を取り、俺は何が起こるのかと逃げながら見る。
 魔獣の口からは巨大な火の玉が一つ飛び出る、そしてその火の玉は小さく分かれ地面に降り注いだ。周辺の木を燃やし地面を燃やす。

「ミール無事だったかよかった」

「みんなはあっちで休んでます。一度合流しましょう」

 魔獣が攻撃を終えるとまた逃げていた兵が一斉に攻撃を開始していた。

 森の奥に進むとみんなが疲弊した様子で休憩していた。

「クォルテ!」

 ルリーラがいの一番に飛びかかってくる。

「元気そうだな」

 抱き付いてくるルリーラの頭を撫でると、闇色の髪は土埃に汚れ少しざらついていた。
 アルシェとサラも目に見えて疲れており、体も傷ついていた。
 やっぱり結構疲弊しているな。
 ルリーラも元気そうにしているが飛びかかってくる力が弱い。
 こうなると水の神が来てくれることを祈るしかないな、俺達にできるのは時間稼ぎだけか。

「ミール、あの魔獣の事を教えてくれ」

「アレは炎の魔法を使います、後は再生能力が高くて頭や心臓を狙ったくらいじゃ死にません。それに水中で活動できるらしくて、地形を生かしてこちらを攻撃することがあります。後は……あいつには足があるのでもしかすると地上に出れるかもしれません」

 もう打つ手がないような気がした。
 人よりも大きな精霊結晶を使って作られた人造魔獣の弱点は、精霊結晶の破壊しかないだろう。
 でもそのサイズを粉々に割るのは難しい、何よりあの強さはやはり規格外だ。
 おそらくあの魔獣は再生能力を起点に大技を放っている。それが敵を倒すのに最適だと知っているのだ。

「ミール、毒は使ってみたか?」

「使ってません、この泉がどういう意図でできた場所なのかわからないので」

 俺はカルラギークで見せてもらった地図を思い出す。
 この泉は確かどこにも繋がっていない。距離的にはフリューよりもギアロ側だ。そうなるとこの泉はギアロのための水か?

「前から目撃されているのはこの泉なのか?」

「そうみたいです」

 なんでここなのかも理由が付くな。
 問題はこの泉を汚染した時の対処か、それは水の神に任せよう。
 魔獣の退治に間に合わなそうだし、後始末くらいはしてもらわないといけないしな。

「ミール、あの魔獣を倒すにはどれくらいの毒が必要なんだ?」

 俺はミールに問いかけ魔獣の討伐に乗り出すことにした。



「あのサイズの生物を殺すとなると、簡単に手に入る毒で考えると樽一杯は最低限必要です。特殊な毒ならまた話は変わりますが、それをかき集める余裕はないですね」

「やっぱりそのくらいは必要になるよな」

 そもそもあいつの全体の大きさすらもわかっていないのだから、そんな馬鹿げた量になるのも仕方がない。
 クロアが言っていたことに何かヒントはあっただろうか。
 あいつは人がベースで精霊結晶で暴走させられている。それが前提だ、それに爬虫類系の生物を繋ぎ合わせている。その結果があの水陸両用の人造魔獣。

「精霊結晶を溶かすような薬はないか?」

「ありますけど、それが何か必要なんですか?」

 そう言えばこいつらに言ってなかった、正直言いたくはないけど言わないと話が進まないな。
 俺はかみ砕いて全員にあの魔獣の事を告げた。

「つまり兄さんは、精霊結晶が弱点だと考えているんですね」

「ああ、精霊結晶を取り除いて生きているなんて考えてはいないけどな、少なくとも魔獣ではなくなるだろう」

 魔獣のまま殺すよりも人として殺してやりたい。
 そんな自己満足の精神がないとは言わない、体はきっと引き延ばされたままだし、下半身に混ぜられた獣が突然足に変わるなんて考えていない。
 ただ、街を襲った怪物として死ぬよりも、悪い主人に殺された人間として終わりを迎えさせてやりたい。

「私が持っているのは、この小瓶だけです。それなりに強力ですが、人間サイズの精霊結晶となると溶かせるかはわかりません」

「アルシェの魔法の熱ならどうだ?」

「私には無理です、精霊結晶単体があり、それを溶かせならできると思いますが動いている魔獣の中にある物を溶かすのは無理です」

 アルシェはそう言って俺に謝罪した。
 俺達は暗礁に乗り上げてしまう。やはりこのまま水の神が気づき助けに来てくれることを祈るしかないのか。

「人間くらいの大きさってことならあの人の部分ごと持ってきたら?」

 ルリーラが突然そんなことを言う。
 もちろんそれは考えた。だけどそれは本当に人の部分に精霊結晶が埋まっていることが前提だ。
 俺は考える。
 それは人として死んだことになるだろうか、魔獣として殺しているんじゃないだろうか。そんなことを考えてしまう。

「クォルテ、あの人は最初から人だよ」

 ルリーラが言葉を紡ぐ。

「私もああなったかもしれない可能性があるんだよ、あの人みたいに」

 木に隠れて今は見えない魔獣を見る。
 今も戦闘の音は消えない。
 破裂音に悲鳴が耳障りな不協和音に変わり一帯を包んでいる。

「私がああなったら、私は人じゃなくなる? クォルテは私が人じゃなくなったって思う?」

「いや、思わないな」

 ルリーラの頭を撫でる。
 ざらついている髪を解かす様に指を入れる。
 パラパラと土が落ちて地面に帰る。

「よし、ルリーラの作戦通りに行こう」

 自分のおこがましさに恥ずかしいと思った。
 人間のまま殺してやりたいなんて俺は何様かと殴ってやりたい気分だ。
 俺はみんなに指示を出す。

「まずはあいつの視界を封じる。さっき見た限りだとあいつは目で得物を追っている。目を潰せたら後は一気に真っ二つだ。暴れることもあるだろうから、俺とカルラギークの兵隊で動きを止める。後はルリーラ達の出番だ」

 皆は反論もなく頷く。

「じゃあ、俺はカルラギークの連中と話をしてくるから、しばらく待機。流れ弾には気をつけろよ」

 俺はカルラギークの兵達に作戦を伝えた。
 さあ、人間退治の始まりだ。

 何名かの攻撃隊を残し準備を始める。
 最初の誘導、目つぶし、拘束、切断。全てを決め最初に跳び出すのはフィルだ。
 得意の空中移動で魔獣の口が開き、熱線の準備に入る。
 そして目の前でフィルが突然横に移動する。
 魔獣はそれを目で追うが、それが囮だと気が付いた。
 その時にはもう遅い。

「――、インフェルノフレイム!」

 呪文を終えていたアルシェ達の呪文は完成している。
 最大火力の魔法が魔獣の顔に炸裂する。
 炎の魔法は顔から体に移っていく。

「――――、――――っ!!」

 声にならない叫びを発しながら水中に移動しようとしたところで、今度はこちらの番だ。

「――、アイシクル」

 泉の池が凍り固まった。

「――――!!」

 更に悲鳴を上げるが逃げ道はもうない、泉から出ている部分だけをばたつかせ氷を割ろうと必死に体をぶつける。
 氷上で焼かれる魔獣は苦しそうにのたうち、燃える先から再生を繰り返す。
 予想よりも激しい動きに兵達が怯え始めてしまう。

「僕が行く」

 どうにか動きを止められないかと考えていると、サラが飛び出した。

「無茶だ」

 制止をする間もなくサラは魔獣に向かう熱線を出せないのか、魔獣は手を振り下ろす。
 それはサラの刀は肩まで切断する。

「――――!!!!」

 三度の悲鳴を上げる魔獣の動きが止まる。
 人間らしく、切られた肩を無事な手で押さえる。

「ルリーラできるか?」

「楽勝」

 最後にルリーラが飛び出す。
 身の丈ほどの大剣を背負い、魔獣に向かう。

「――、――――!」

 魔獣の叫びが弱くなる。
 必死の抵抗で魔獣は腕を振り上げる。
 しかしその腕は振り下ろされることなく宙を舞った。
 サラが後ろから二度目の居合。
 何度目かの魔獣の驚きに、魔獣の動きは制止する。

「――――――――!!!!」

 ルリーラの力任せの一太刀は魔獣を横に真っ二つに切り裂いた。
 二つに切られた魔獣は力なく凍った泉に倒れ込む。
 数秒の沈黙が続き、魔獣の復活が無いとわかった瞬間泉の周りでは大歓声に沸いた。

 歓声に沸く場所から俺達は急いで離れ遺体を担ぎ込む。
 背中には雑に縫われた跡があった。千切れた腹部からは精霊結晶が見えている。

 本当に人で精霊結晶を包んでやがる。

 無残なこの死体に胃が上に押しあがってくる。
 それを無理に下に戻す。

「ミール以外は離れててくれ」

 皆が何かを言いたそうにしていたが、俺の言うとおりに遠く離れてくれた。

「悪いな、ミールくらいしか手伝いを頼めなかった」

「気にしないでください、奇妙な死体は地下でも見たことはありますから」

 そう言いながらも、ミールは何度か嗚咽をしながら取り出しの作業に入った。
 臓器に変わって接合されている精霊結晶を取り出し、丁寧に縫い直す。

「ロックスもこういうことをしようとしていたんですか?」

「ここまでの事はしていない」

「そうですか」

 そう答えるだけで黙々と作業を続ける。
 できる限りの復元をした、伸ばされていた皮膚はもうどうしようもなかったが、それでも人とわかるくらいには修復した。
 目の前で死んでいるのは女性だった、顔の輪郭に体の凹凸を確認してそう判断した。
 俺とミールは彼女を布で包んだ。

 泉の周りで急に叫び声が聞こえた。
 急いで戻ると氷を壊し暴れている一匹の魔獣が居た、彼女に混ぜられていた獣も魔獣になっていた。

「みんなはできるだけ離れていてください」

 俺の言葉に兵隊は散り散りに逃げていく。
 どうもあれは蛇ではなく、トカゲだったようだ。
 トカゲの後ろと人間の下半身を融合させた魔獣。一体で二つの命を宿した魔獣。

 そのトカゲの目は俺を捕らえていた。

「アルシェ、手伝ってくれ」

 俺はトカゲの魔獣に歩みを進める。
 トカゲは睨むだけで、襲っては来ない。
 更に近づく、トカゲは激しく威嚇して後ずさる。
 手負いの魔獣が逃亡を図ろうとする。
 俺は呪文を唱え魔獣を包み込む大きな水の球を作りだした。
 泉の大半を使う魔法に魔獣は包まれる。

「炎よ、爆炎よ、我の破壊の衝動を受け止めよ、敵を討ち滅ぼす衝撃を生め、バーンアウト」

 俺の魔法で包み込んだ球にアルシェの魔法が重なる。
 激しい閃光と衝撃が辺りを包み、泉に大きな波紋を生む。
 不運なトカゲは炎と共に溶けて消えた。

 全てが終わり俺が車に乗るとカルラギーク王が近寄ってくる。

「助かった、あれは一体何の魔獣だったんだ?」

 俺は考える。
 事実を言うのはためらわれた、今も荷物として乗っている女性の事を思えば言いたくはない。

「ハベル・クロアという悪人が作り出したトカゲの魔獣です」

「そうか」

 カルラギーク王は何かを言いたそうにしていたが、何も言わずに車を後にした。
 車に乗るとルリーラが膝の上に座ってきた。

「疲れてるんだ」

「私も疲れてる」

 そう言って俺に体重を預ける。

「私も疲れました」

 アルシェがそう言って隣に座り体重をかけてくると、全員があたしも私も僕もと俺を中心に寄り掛かる。

「流石に重いから離れてくれ」

 俺がそう言っても全員動く気はないらしく、カルラギークの兵隊が全員いなくなるまで俺達は車の中でまとまって座っていた。

「そろそろ、動きますね」

 アルシェがそう言って離れるとルリーラ以外が俺から離れる。

「お前も離れろよ」

「嫌だ」

「わがままな奴だな」

「クォルテ」

 ルリーラが俺の名前を呼んだ。

「おかえりなさい」

 そう言えばまだ言っていないことに気が付く。

「ただいま」

 俺はそう応えた。



 どれくらいの時間寝ていたのか、たぶんそこまで長い間寝てはいない。
 気が付くと日は沈みかけていて、空は赤く染まっている。
 俺にもたれかかって大口を開けているルリーラを退かして、操舵中のアルシェの隣に座る。

「おはようございます。今はまだ半分くらいですよ」

「止めてくれ」

「わかりました」

 車はゆっくりと減速してやがて止まる。
 一度大きく欠伸をして寝ている間に固まった体をほぐす。
 大きく息を吸うと肥料の臭いがした。おそらくここはギアロの近くなのだろう。

「どうかしたんですか?」

「今日ここで、はやめた方がいいか。肥料の臭いがない所で野営する」

「このまま進めば明日の朝にはカルラギークに着きますよ」

「アルシェ、お前も少し休め」

 俺がそう言うと少しだけ困った顔をする。
 何か言いたそうだが、言ったら怒られそう。と悪戯が見つかったような動きに俺はため息を吐く。

「何かあるなら言えよ。別に怒ったりはしない」

「いえ、私今回何もできていないです」

 アルシェはそう言った。

「ハベル・クロアが来た時も、魔獣と戦う時も何もしてません。言われるがままにやっただけで……、皆さんが考えて動いている中で私だけ……」

 尻すぼみに小さくなっていくアルシェの言葉に、俺はまたため息を吐く。

「それでせめて操舵して早くベッドで寝せてやりたかったと」

 アルシェは頷いた。

「アルシェは今回どう思った? そんな大層な感想を求めてるわけじゃないぞ楽しかったか? 嫌だったか? 嬉しかったか? 悲しかったか? どんな感想を持った?」

 アルシェは少しだけ考え、気持ちを少しづつ言葉に変換する。

「道中は楽しかったです。魔獣にされた方を見て悲しかったです。それなのに何もできていないのが嫌でした……」

「ならいい。アルシェ達がそう思えるようにするのがこの旅だからな。アルシェはいい案が今回は思い浮かばなかった、あんまり役に立てなかった。楽しくて、悲しくて、嫌だった。これはそういう旅だった。それでいいんだよ、だから顔を上げろ」

 アルシェの顔が前を向いて俺の顔を見つめる。
 日は完全に沈んで群青色に染まっている。そんな中でアルシェの顔は赤くなっていた。

「クォルテさん、私、やっぱりクォルテさんが好きです。奴隷ですけど、クォルテさんを好きです」

 開けている空間にアルシェの告白が広がる。
 大きな胸の前に結んでいる手は、星明りの下でさえ震えているのがわかる。
 俺の言葉を待ちアルシェの瞳は潤み月光に輝く。

「ありがとう、アルシェがちゃんと考えてくれたのは嬉しい。でも――」

「わかってます」

 俺が何かを言う前にアルシェが変わりに言葉を続ける。

「旅が終わるまで、答えは待ってくれ。ですよね」

「我ながら情けないこと言ってると思うよ」

「わかりました。答えをくれるまで待ちます」

「いいのか?」

 自分で言うのもなんだがこんな返事の先延ばしをするような俺に普通は幻滅すると思っていた。
 それで離れていかれるならそれはそれで仕方ないと思っていた。

「はい。私も決めましたから」

 少しだけ嫌な予感がした。

「普通の女性は、好きな人には好きになってもらえるようにアピールしていくものですよね?」

 予感の通りそんなことを言い始めた。
 そして俺の元に歩み寄ってくる。
 後ずさるのも違うと思いその場で立っていると、アルシェの胸が俺に触れる。

「クォルテさんは、私の体嫌いじゃないですよね」

 そう言って上目遣いで見つめてくる。
 俺が困った表情を見せると、アルシェは口角を上げる。
 唐突にアルシェは今までにないほど俺に迫ってきた。

「急に変わったな」

「変えてくれたのはクォルテさんですよ、私に恋を教えてくれたのは。これはお礼です、ありがとうございます」

 不意にアルシェの顔が俺に近づき、頬に温かく柔らかい湿った感触が伝わる。
 アルシェが離れると一瞬の熱は、夜風に吹かれ幻の様に冷えていく。

「じー」

 わざとらしく視線を口にして主張している影が四つ。
 いつから起きていたのかさっきのシーンだけならまだごまかしはできるはずだ。

「起きてたのか、みんな」

 何もなかったかのように話しかけても四つの影は動こうとはしない。

「何してたの?」

 代表してルリーラが聞いてきたので、俺は今考えた言い訳を使う。

「目にゴミが入っててさ、アルシェに見てもらったんだよ。ほら暗かったしだいぶ近づいたけど。な、アルシェ」

 俺がアルシェに話を振ると、アルシェは地面で頭を抱えていた。
 今しがたやった自分の行いを後悔しているようだ。

「じー」

 なんで俺は誰とも付き合っていないはずなのに、こんな風に言い訳をしているんだろう。
 まるで俺が浮気男の様になってきている。

「ちなみに私ベルタだよ」
「あたしは黒髪だし」
「僕も目はいい」
「身体強化使いました」

 ごまかしの意味はなかったようです。

「私もチューする!」

 そう言ってルリーラが飛びかかるとみんなが一斉に自分もと一気に迫ってきた。

「お前等やめろって、アルシェも何か言ってやってくれ」

 迫る顔を押し返しながらアルシェに助けを求める。

「私は一体何をしてしまったんでしょうかクォルテさんにキスなんてはしたないと思われたでしょうかこれで嫌われてしまったらどうしたらいいんでしょうかもう死ぬしかないんでしょうか……」

 さっきまでの俺を攻めていたアルシェは、自分を責めるいつも通りのアルシェになっていた。
 そしてその懺悔の言葉にキスという単語が入っていたのが四人の耳にも届く。

「ずーるーいー!」

「頬だよ頬わかるだろ」

「それなら私だっていいじゃん」
「あたしは口がいい」
「フィル、口へのキスは正妻の僕だろう」
「サレッドクイン、正妻はお姉ちゃんですから」
「私はこれからどうしたらいいのでしょうか」

 さっきまで魔獣と向き合っていたのが信じられないほどに滅茶苦茶になっていた。
 そんな滅茶苦茶な四人からの口撃はその後一時間ほど続いた。



 人造魔獣との一戦から二日、俺はカルラギーク王に呼ばれていた。
 だいぶ人数の少なくなった城を歩き、顔見知りになった兵士と挨拶をしながら玉座の間に向かう。

「ロックスさん、王がお待ちです。どうぞお入りください」

「ありがとう」

 そう挨拶をして玉座の間に入る。
 広い空間の最奥に座るカルラギーク王が立ち上がる。
 この前とは違い一人だけではなく、メイドの姿をした若い女性が一人カルラギーク王の隣に立っていた。

「クォルテよく来てくれた。座れ座れ」

 玉座の間に置かれているテーブルに促され進む。
 俺が着席するとメイドは笑顔で目の前に紅茶を一杯置いた。
 慣れた姿からすると見た目よりも年を重ねているのかもしれない。

「アリカ、私にもくれるか?」

「ご自分でどうぞ」

 遅れて座ったカルラギーク王はメイドに断られ凹んでしまった。

「私が言われているのはお客様への対応ですので、父上へ奉仕する義理はありません」

 更に追い打ちをかける暴言を吐いた。

「王のご息女ですか?」

「王などいらん、シシカでよい。そうだこいつは俺の娘アリカ・ウォーカーだ」

「初めましてクォルテ・ロックス様、私がシシカ・ウォーカーの長女、アリカ・ウォーカーです」

 恭しく頭を下げているが、この子はたった今父であり王を雑に扱っている。
 普段の対応が目に見えるようだ。
 想像だと、その辺のお父さん達の様に娘に無下にされているのだろう。

「この娘をどう思う?」

 テーブルを挟み身を乗り出して俺に意見を求めてくるが、正直どうとも思わない。
 娘とはそういうものだと勝手に思ってしまっている。

「ほら、クォルテさんの表情でわかるでしょ? 父親というものは娘に塵芥以下の扱いを受けるものなのです」

「そこまでは思ってないんだけど」

「ほら見ろ、クォルテもこう言っているんだぞ。少しくらいパパに優しくしてもいいだろう」

 今さりげなくパパ呼びさせているのだろうか……、それに反発して父上って呼ばれているのか。
 しかしそう言うのを強要している辺り、あながちこの扱いで問題ないんじゃないだろうか。

「失礼ですけど、アリカさんはおいくつですか?」

「先日十七になりました」

 十七の娘にパパと呼ばせようとしているのか。

「父上が自分をパパと言っている様子を見て、クォルテさんも私に賛成みたいですよ」

「本当か!?」

「えーっと……」

 何とも返答に困る。
 正直親子喧嘩でどちらかにつきたくない。面倒になることが目に見えている。

「即答できないのは、父上の立場や、あって間もない人間に気持ちが悪いから話すなゴミムシと言えないクォルテさんの優しさです」

「よくそこまで血のつながった父親に暴言を吐けるな」

 俺はもはや感心してしまう。

「血がつながっているからです。私も他人にはもっと優しくしていますよ」

 そっちが素なのか、キレた時のミールみたいではなく、猫を被って生きているわけか。
 こういう奴がパーティに居なくてよかったと、俺は胸を撫でおろす。

「クォルテ、俺の心はズタズタだ」

 この巨漢が情けなく泣いている姿を俺は哀れに感じた。
 ルリーラ達は本当に真っ当に育っていてくれて嬉しく思う。

「それで父上、いい加減本題に入らないといけませんよ。これ以上クォルテさんの時間を浪費させるつもりですか?」

 本当に口を開けば暴言だな、毒というよりも暴言だ。

「そうだ、な……、俺如きがクォルテの貴重な時間を潰すのは良くないよな……」

 シシカの心は完全に折れていた。
 もしかすると、シシカの強すぎる力はこういった鬱憤を爆発させているからなんじゃないだろうか。

「はあ……、まずこれ、今回の賃金……」

 膨らんだ麻の袋が俺の目の前に置かれる。
 うつむいたままこんな大金を置かれると、俺が借金を取り立てに来たような気持になる。

「どうした、なぜそやつは泣いているんだ?」

「ヴォール様!?」

 今まで空席だった場所に突然水の神が座っていた。
 角の生えた姿に腕に張り付いている鱗は間違いなく水の神ヴォールだった。

「水の神、ヴォール様?」

「そうだ、我がヴォールだ。よろしくなシシカ・ウォーカー」

 シシカは握手を求められ戸惑いながらもその手を握った。

「水の神が一体何の用でしょうか?」

「いや、二日も遅れてしまったが、魔獣について聞きに来た。貴様らが無事ということならすでに終わっているのだろう?」

 そう言って、真面目な顔で水の神はシシカを見つめる。

「そこで少し調べていた。あの魔力は興味深い」

 水の神はあの魔獣が何かを知っている。
 魔力から普通の魔獣とは違う何かを見つけたのだろう。

「なるほど。そこの娘席を外してくれ、用が終われば我は帰る。それまで席を外してくれ」

 一度目には優しがあった。でも動こうとしないアリカに圧を効かせ脅す。
 隣に居ても死を覚悟する圧が、一人の女性を襲う。

「わかり、ました」

 そう言って、顔を青ざめさせながら外に出た。

「さて、後始末の話だ。クォルテはあの場所で球を使ったのだから知っているだろうが、こいつのために話をしないといけないな」

 水の神は椅子に背を預ける。
 どうやら説明は俺の説明らしい。

「ギアロで人体実験の施設を見つけました。そこの領主ハベル・クロアは非人道的な実験を繰り返し、怪物を二人作りました」

 俺の言葉に、水の神は納得し、シシカは驚いた。
 俺はそのまま続ける。

「一人はパルプ。複数の動物の力を体に宿した怪物、そしてもう一人が今回現れた魔獣」

 その言葉にシシカはテーブルを叩き怒りを顕わにする。
 顔を憤怒で赤く染め、手は怒りに震える。

「あれが、人間だったというのか?」

「我はその姿を知らないが、作ったということは一度暴走させているのだな?」

 水の神が話をすると、シシカは怒りのまま乱暴に座る。

「はい、人間ほどの大きさの精霊結晶を無理矢理体に押し込み癒着させていると言っていました」

「そのハベル・クロアは本当に人間なのか?」

 シシカの言葉に俺は頷く、あれは間違いなく人間の姿だった。

「わかった。ハベル・クロアだな、魔法の種類は知っているか?」

「風です。フィルとも面識があったので、間違いないです」

「そうか、茶会に無粋な話を持ち出して悪かったな。そいつの行方は我が探し対処しよう」

「お願いします」

 そう言い残すと水の神は一瞬で姿を消す。
 残ったのは怒りに震えるシシカと、その時のことを思い出し落ち込む俺だけだった。

「終わりましたか?」

「ああ、飲み物が冷めてしまった、新しいのを入れてくれ」

 タイミングよく入ってきたアリカにシシカはそう言った。
 雰囲気で何かを察したのか、新しく紅茶を入れ俺達の前に置く。

「気持ちを落ち着ける葉です。熱いので気をつけてください」

 俺達は紅茶に口を付ける。

「「冷たっ!」」

 俺とシシカは二人揃って叫ぶ。
 熱いと思って飲んだらも冷たく、紅茶の香りも何も感じる余裕すらなかった。

「何のつもりだ!」

「真面目な顔をしていたので、水を差したくなりまして」

 本気の怒りをぶつけるシシカに冷静にふざけました。と言ったアリカの剛胆さに俺は呆れてしまう。

「この子は大物になると思います」

「俺も我が娘ながら恐ろしいと思うぞ」

 俺の言葉にシシカもそう返した。
 怒りもどこへやらそれから少しだけ雑談をし、俺はアリカに付き添われ城を後にした。

「さっきのは俺らを落ち着けるためってことか?」

「いえいえ、真面目な人には不真面目に、不真面目な人には真面目に対応するのが信条ですので」

「厄介な心情を掲げてやがるな」

 街を少し歩き、大通りまで来るとそこでアリカが立ち止まる。

「私の家はこちらですので」

「わかった、じゃあまたな」

 俺がそう言うと一度深くお辞儀をしてアリカは去って行った。
 俺もみんなが待つ場所に向けて歩き出す。
 日も傾く街中の雑踏は、近くの国であった出来事など知る由もなくにぎやかに騒いでいた。 
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