人形姫の価値

神村結美

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12. 絶縁

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しばらくして父との面会時間になった。
傷メイクが崩れてないことを確認して、その上に再びガーゼを被せる。ゆっくりと父の待つ応接室に向かった。


応接室の扉を開けると、私が来た事に気づいた父が立ち上がった。

「アイラ! 心配したんだぞ。傷はどうなんだ? 大丈夫なのか? お前の顔に傷なんて……」

いかにも娘思いの父親が心配しているかの様に聞こえるが、そうではない。そして、父の視線がガーゼに注がれている。

侍女はお茶を用意すると、一礼して部屋から退出していった。それを横目で確認しつつ、部屋に2人だけとなり、父の向かいのソファに腰を下ろした。

「お父様……申し訳ございません」

「なんだ?」

「傷のことよりも、お父様にお伝えしなければならないことがございます。先ほどマイク様にお会いしました。そして、マイク様は私との婚約を破棄するとおっしゃいました」

私が淡々と告げた内容が予想外だったようで、ポカンと口を開けている。私には、父がその様な顔をしている事が不思議だった。だって、私の顔に傷が出来たのなら、それくらいの事は想定範囲内であるはずだ。すぐに正気に戻ったようだが、狼狽えている。

「は? お、おい何を言っている! 婚約破棄だと?!」

あまりの動揺っぷりに思わず笑ってしまいそうになるのを堪えて答える。

「はい。この傷を見て、社交なんか出来ないだろうと詰め寄られました。後ほど、婚約破棄の書類を送っていただけるそうですわ」

「なぜ、俺がいない場でそんな話になっているのだ……」

余程動揺しているようだ。父は突っ込みどころが満載の発言をしている。

「マイク様は本日お見舞いにいらして下さいました。しかし、私の傷を見て、婚約破棄を言い渡したのです。伯爵令嬢の私では侯爵子息であるマイク様に逆らう事など出来るはずもなく、了承するしかありませんでした」

「なんだと……」

怒りが募ってきているようで、父の顔が少し赤くなった。声も少しづつ怒鳴ってきている。

「おい。傷を見せてみろ。傷跡は完全に消えるのか?!」

傷を見せるべく、再びゆっくりと外して傷を見せる。頬半分に広がる酷い傷。父はそれを見て反射的に顔を顰めた。

「お医者様の見立てですと、完全に傷が消えるのは……」

声に悲しみの色をのせて、少し俯き加減で、それだけを告げた。心の中では「2週間もかからないんですけどね」と続けながら。

「チッ。治らないのか。お前の魅力である顔にそんな醜い傷が残ったら、もらってくれるやつなんていないじゃないか……役立たずがっ。お前の価値はその人形の様に美しい顔だけなんだぞ! 傷でその価値も損なった上、婚約破棄で傷物令嬢扱いされる様な娘なぞいらん!」

「そんな……お父様」

「お前はリンメル伯爵家に傷をつけたのだぞ! 修道院なんかに行かせるにも金がかかる。なぜ不利益を生んだお前に金を使わなければならないのだ……」

下唇を噛み、イライラしながらもどうすべきか考えている様で、ブツブツと独り言を言っている。そして、結論が出たらしく、まっすぐ私を見た。

「お前は勘当する。今後はリンメルの名を名乗るな。流石にそのまま追い出すのは外聞が良くないからな。王都では醜聞も広まって住みにくいだろうから、近隣の街に向かう馬車代と数日分の食費くらいは出してやる。1週間以内にお前の荷物も取りに来い。1週間経っても来なければ、全て処分する。わかったな?」
 
心の中で、思い通りになったことをほくそ笑みつつ、「わかりました」と答える。
それだけ言って満足したのか、父は帰って行った。



とりあえず、婚約破棄の書類への署名と荷物を取りにリンメル伯爵家に一度行く必要はある。今後どうするか考えていたら、ライナス殿下とローズマリー様が連れ立ってやってきた。

事前に伝えられていたが、アングラード家の応接室に録音機が設置され、私とマイク様、私とお父様の会話をそれぞれ録音していたのだ。婚約破棄や勘当の証拠とするために。


2人はその会話を聞いてから、この部屋にやってきた様だったが、私の口からも結末を伝えた。

「アイラ、これからリンメル伯爵に手紙を書いてもらえるか? 婚約破棄の書類へのサインと荷物の引き取りのために、5日後にリンメル伯爵家を訪れる、と」

「わかりました」

「それから、その時に、この紙にもサインをもらう様にしてくれ」

そう言って、ライナス殿下から受け取った紙には絶縁誓約書と書いてあり、同じものが2枚あった。

「絶縁誓約書?」

「そうだ。絶縁後に復縁出来ない様にするための書類だ。リンメル伯爵にサインをもらっておけば、君の傷が完治したとしても、リンメル伯爵家が家に連れ戻す事は出来なくなる。無理にそんなことをすれば、法に基づいて罰せられる」

「その様なものがあるのですね。それなら、こちらにも忘れずにサインを貰わないといけませんね」

「何かあった時にリンメル伯爵家にこれ以上迷惑をかけたくないとか、何が起こっても、これがあればリンメル伯爵家との縁が切れている証明になるからリンメル家に被害が及ぶ事は一切ない、と言えば、サインしてもらえるだろう」

「そうですね」

ライナス殿下は父とは直接やりとりした事はほとんどないはずなのに、父のことをよく理解していると思う。そんなにもわかりやすい性格なのだと思ったら、笑いがこみ上げてきた。

「国王陛下に確認してもらう必要があるから、2枚ともサインを貰って俺に渡してくれ。然るべき手続きが済んだら、君に一枚渡す。もう一枚はリンメル家に届けられるだろう」

「はい」

ライナス殿下の用件は、それで終わりの様で、私たちの会話を見守っていたローズマリー様に話しかけられた。

「アイラ、あなたはこれでリンメル伯爵家とは関係がなくなって、ただのアイラになるわ。前にも伝えたけれど、アングラード家の養子になりたいと思うかしら?」

「ローズマリー様。お心遣いありがとうございます。私にこんなにも良くしていただいて感謝しておりますわ。でも、今後、傷物令嬢として扱われる私が、アングラード公爵家に養子に入るなんて恐れ多いことですわ。申し訳ございません……」

「そう。あなたが望まないなら仕方ないわね。それなら、アングラード家の使用人になるという話の方はどうなのかしら? もちろん、今すぐに返答はいらないわ。うちで働くにしても、他のところで働くにしても、まずは傷が完治してからの方が良いでしょうし、これからあなたの婚約破棄の件も広まるでしょうから、しばらくはゆっくりしながら、考えれば良いわ。その間は、私の友人としてこの家に滞在してもらうわよ? 遠慮はなしね」

「ありがとうございます。考えてみます」

「えぇ、それで良いわ。5日後に荷物を取りに行くのは1人で大丈夫なの?」

「はい、そこまで多い訳ではないですし、専属侍女のマリーに手伝ってもらいますので大丈夫だと思います」

「そう。それなら、持ってきた荷物はこの部屋に運ぶように執事に伝えておくわ。他にも何かあれば言ってちょうだい」

「ありがとうございます」

2人とも私のために色々と協力してくれている。とても有難いけれど、どうやってお返しすれば良いのかわからない。私にどの様なお返しが出来るかも、これから考えてみることにした。

しかし、何よりも最初に決めないといけないのは、仕事と住居である。それが決まらないと、ライナス殿下にもローズマリー様にもアングラード家にも更に迷惑をかけてしまう。

今後について検討するにしても、手持ちの情報が少なすぎるので、ローズマリー様に、王都の住居の家賃の相場や、近隣の街の情報をお願いした。数日かかるとの事だったので、空いている時間は刺繍をして、色々なことを考えながら過ごした。
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