抱えきれない思い出と共に…

文月

文字の大きさ
上 下
18 / 23

義高様がいなくなる日[4]

しおりを挟む
その日――
姫は倖氏さんと双六をしていた。
部屋にいるのは二人きり。
義高様は今朝早くに出て行った。
女の人の格好をして市女笠を深く被り、顔を隠して。
すべては、お母様の配慮だった。
あの義高様を逃がさそうとしていたのがバレた日、お母さまはこうおっしゃった。
「近々、女人達だけで列を組み、参拝する予定があります。」
お母様の作戦は完璧にみえた。
「そこに義高殿は女装して紛れ込んでください。」
少なくとも、その案は、姫達には考えの及ばない領域のもので、
「後はそのまま、門外に出てしまえば行く先は山道です。どこへなりとも、隙を見て姿を消せましょう。」
何よりも一番安全性の高い、強固なものだった。
やっぱり、お母様はすごかった。
「その間、倖氏殿は姫と遊んでいてください。」
こちらに向かって微笑まれる姿に迷いはなく、
「これは念のためです。侍女たちの多くは参拝の列に加わりいなくなりますし、使用人たちもなるべく遠ざけるように、この母が心を砕くつもりでいますが、」
目はまっすぐ前を見て、淀むところがない。
「それでも、外からチラリと覗き見る者もありましょう。
その折り、御簾の内に姫の影一つでは怪しまれます。」
姫は、こんなに素敵なお母様を持って誇らしい。
「幸い、倖氏殿は義高殿と都市格好も似ています。遠目では誰かまでは判断できないでしょう。」
強さの中に優しさを宿した眼差し。
「やってくれますね? 倖氏殿。」
倖氏さんに送る言葉も慈しみに満ちている。
「はい。」
倖氏さんは平伏して、
しかし、と続けられる。
「どうして政子様はそこまでしてくださるのでしょう? はっきり申し上げて、これは頼朝様への裏切りに他ならないのでは。」
その問いに、
その誰もが疑問に感じていた思いに、
「本当は、」
お母様の笑顔は悲しそうな影を背負って、
「本当はね、」
でも、それは誰かのためで、
「本当は、頼朝様も殺したくはないのだと思うから。」
誰かとは、きっとお父様で、
「頼朝様はね、この世の底の泥を多く見てきてしまって、人の汚れた心をたくさん知りすぎていて、」
悲しいのは、きっと愛しいから。
「だから何も誰も信じていない。心を許していない。いつも裏の裏を疑ってしまう。」
お母様が動くのは、お父様のため。
「それが、あの人の強さでもあるのだけど、」
お父様の本当の心を見抜いてらっしゃるから、
「同時に、それは頼朝様を孤独にさせる。」
お父様の心を守ろうとして、
「それは、きっと寂しいことでしょう?」
お父様の命令にも背く。
そんな悲しい矛盾を抱えて、
お母様は笑う。
笑顔の中に涙を隠して。
「私はね。私は、頼朝様がこれ以上さびしくないように、そのために、雨夜に頼朝様の所へ駈け込んだのですよ。」
独りぼっちにならないように。
そう言ってお父様の苦悩を背負い込んで、どこまでも強く弱く、
笑った。
だから誰も何も言えなくなってしまって、
義高様は、その日旅立ち、
姫と倖氏さんは部屋で、ただ黙々とサイコロを転がし続ける。
代わる代わる。
変わる変わる。
義高様の無事を祈って、
計画の成功を願って、
カラコロと転がし続ける。
しおりを挟む

処理中です...