ただ、笑顔が見たくて。

越子

文字の大きさ
上 下
3 / 9

三、辰巳とハナ

しおりを挟む
 恵風がそよぎ、青々とした山草が踊る季節。

 村人たちは山菜採りの為、山に入る。辰巳も山菜を採る為、あぜ道を歩いていると、草萌えに咲いているシロツメクサが見えた。

(もう、こんな季節か)

 この季節は、このシロツメクサは、あの頃のハナを思い出す――。



 十年前のあの日から、辰巳とハナはいつも一緒にいた。

 辰巳の他人を放っておけないという性格が、二人の縁を結んだ。

 ハナは阿仁の集落で浮いていた。基、ハナの父親が集落で浮いていた。

 ハナの父は横手にあった武士の家系で、自尊心が強かった。武士の時代は終わりを迎えたが、彼は今の時代を受け入れられず、引きこもり、旧友以外は誰とも交流することはなかった。それどころか、阿仁の集落に移ってからは働こうともしなかった。

 ハナには年の離れた姉がいたが、奉公に出ており、いつも家に居なかった。月に一度、お金を入れるために阿仁へ帰るくらいだった。

 ハナには母親は居ない。ハナを産んですぐに亡くなったとのことだ。

 そういう理由で、ハナはいつも一人で遊んでいた。

「おい。何をしているんだ?」

 草むらにしゃがみ込んでいたハナが振り向き見上げると、辰巳が真顔で見下ろしていた。

「……お母ちゃんごっこ……」

 彼女は大きい瞳を震わせて、怯える様子で答えた。

「母ちゃんごっこ?」

 いつも一人で遊んでいる彼女のことがどうしても気になってしまい、気が付いたら辰巳は声をかけていた。そして、少し後悔をした。

 ――母ちゃんごっこって、何だ?

 彼が当惑していることに気付いたのか、

「私ね、お母ちゃん居ないから、お母ちゃんになっているの」

 そう言って、鋭利な石ころを右手に持ち、左手に持った草を叩き切りながらハナが説明をした。

「それ、俺もまぜてくれねぇか?」

 まだ理解ができないが、何故か辰巳の好奇心が掻き立てられた。

 ハナは俯き、何かを考え込んでいたが、パッと閃いたかのように顔を上げた。

「じゃあ、兄ちゃんは私の旦那さん! 兄ちゃんは、旦那さんごっこ!」

 さっきまでの怯えていた表情が嘘のように、無垢な笑顔が返ってきた。その笑顔はさっきまであった彼の〝少しの後悔〟を真っ白に打ち消した。

「あのね、西洋の文化では、旦那さんは奥さんに指輪をあげるんだよ」

 どこでそんな話を知ったのか、八歳の女の子のマセた言葉に、辰巳の方が恥ずかしくなり、先ほど打ち消した〝少しの後悔〟が顔を出す。

 戸惑いながら辰巳が辺りを見回すと、緑の地面に降り積もる雪のようなシロツメクサが咲いていた。彼はそれを二本摘むと、茎を輪っかにして結び、ハナの左手親指に嵌めてあげた。

 ハナは目を丸くしながら、黙って左手を眺めている。

 ――気に入らなかったか?

「えーと……この花は小さいが、強くて逞しいんだ。なんか、母ちゃんみたいだろ?」

 無反応な彼女に耐えきれず、辰巳は言い訳がましく言葉を加えた。

 すると、雪のように白い彼女の頬が桃色に染まって、満開に咲きほころんだ。

「強い指輪! 白くて、とっても綺麗!」

 ようやく喜んでくれたと、ほっと胸を撫で下ろして、辰巳は笑顔になった彼女をずっと見ていた――明日も明後日も、彼は彼女のわらった顔が見たいと思った。



「あら、もしかして辰巳さん?」

 女性の声が聞こえ、辰巳の意識は現在に呼び戻された。白い肌で柔和な雰囲気のある女性が、山菜が入った籠を抱えて彼に向かって歩いて来る。

「ハナの……お姉さん?」

 彼女はハナの長女だった。今は結婚して隣の集落に住んでいるとのこと。

「久しぶりねぇ! 五、六年ぶりかしら。逞しくなってぇ……流石マタギね。貴方、結構腕が良いって評判よ」

 それは、どうも……と、彼は軽く頭を下げ、彼女に目を向けると、彼女は懐かしそうに、そして、やるせないと言った表情を浮かべていた。

「ハナも、きっと貴方の評判を聞けば喜ぶわ。……はぁ。どうしてハナばかりがこんな目に……」

 突然、秘めた心に火がついたかのように長女は告げ始めた。

 「ハナは、あの子は可哀想な子だった。あの子が産まれてすぐに母が死んだこともあり、父はハナを憎んでいた。彼の機嫌が悪くなると、怒りの矛先はいつもあの子だったわ。それでもあの子、小さな身体でずっと耐えていたの。私の前では『私は強くて逞しいから大丈夫』って、明るく振る舞っていたわ」

 長女は父を憎んでいた。

「武士の矜持なのか知らないけれど、いつまでも昔を引きずって働きもせず、なのにいつも偉そうで……」

 柔和だった長女の顔が、徐々に硬くなっていくのが辰巳にはわかった。

「少しでも早く、ハナを父から離そうと、私は奉公先だった御主人様に働き口を相談している矢先だったわ。あの人、いつの間にハナの身売り話を進めていたなんて……」

『私ね、お母ちゃん居ないから、お母ちゃんになっているの』

 辰巳は今になって、この言葉の意味を理解した――ハナは父親のために母親になろうとしていたのだ。

 彼の胸が熱くなった。と同時にハナの父親に対して、暴力的な衝動に駆られた。

 ――殴りてえ……殴りてえ、殴りてえ!

 長女は気が済んだのか、落ち着いた表情に戻ると「あの頃はハナと遊んでくれて、ありがとうね」と言って、村へ帰って行った。

 辰巳は拳を握り、穿つように山へと歩き出した――。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

探しもの

越子
キャラ文芸
『緋色ノ叉鬼』の番外編になります。 家族を失った右京と雪治の出会いの物語です。 こちらの物語だけで完結しておりますので、本編を読んでいない方もサラッと読めると思います。 ※本編はまだ連載中です。ちょいと寄り道、いかがでしょうか?

Rotkäppchen und Wolf

しんぐぅじ
ライト文芸
世界から消えようとした少女はお人好しなイケメン達出会った。 人は簡単には変われない… でもあなた達がいれば変われるかな… 根暗赤ずきんを変えるイケメン狼達とちょっと不思議な物語。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

日給二万円の週末魔法少女 ~夏木聖那と三人の少女~

海獺屋ぼの
ライト文芸
ある日、女子校に通う夏木聖那は『魔法少女募集』という奇妙な求人広告を見つけた。 そして彼女はその求人の日当二万円という金額に目がくらんで週末限定の『魔法少女』をすることを決意する。 そんな普通の女子高生が魔法少女のアルバイトを通して大人へと成長していく物語。

神様のボートの上で

shiori
ライト文芸
”私の身体をあなたに託しました。あなたの思うように好きに生きてください” (紹介文)  男子生徒から女生徒に入れ替わった男と、女生徒から猫に入れ替わった二人が中心に繰り広げるちょっと刺激的なサスペンス&ラブロマンス!  (あらすじ)  ごく平凡な男子学生である新島俊貴はとある昼休みに女子生徒とぶつかって身体が入れ替わってしまう  ぶつかった女子生徒、進藤ちづるに入れ替わってしまった新島俊貴は夢にまで見た女性の身体になり替わりつつも、次々と事件に巻き込まれていく  進藤ちづるの親友である”佐伯裕子”  クラス委員長の”山口未明”  クラスメイトであり新聞部に所属する”秋葉士郎”  自分の正体を隠しながら進藤ちづるに成り代わって彼らと慌ただしい日々を過ごしていく新島俊貴は本当の自分の机に進藤ちづるからと思われるメッセージを発見する。    そこには”私の身体をあなたに託しました。どうかあなたの思うように好きに生きてください”と書かれていた ”この入れ替わりは彼女が自発的に行ったこと?” ”だとすればその目的とは一体何なのか?”  多くの謎に頭を悩ませる新島俊貴の元に一匹の猫がやってくる、言葉をしゃべる摩訶不思議な猫、その正体はなんと自分と入れ替わったはずの進藤ちづるだった

ユメ/うつつ

hana4
ライト文芸
例えばここからが本編だったとしたら、プロローグにも満たない俺らはきっと短く纏められて、誰かの些細な回想シーンの一部でしかないのかもしれない。 もし俺の人生が誰かの創作物だったなら、この記憶も全部、比喩表現なのだろう。 それかこれが夢であるのならば、いつまでも醒めないままでいたかった。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

カラスに襲われているトカゲを助けたらドラゴンだった。

克全
ファンタジー
爬虫類は嫌いだったが、カラスに襲われているのを見かけたら助けずにはいられなかった。

処理中です...