ただ、笑顔が見たくて。

越子

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二、虚無な日々

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 四年の時が過ぎた。

 ハナは告白した一ヶ月後に身売りされ、辰巳は今も変わらない生活を送っている。
 彼は秋田の阿仁マタギだった。

 マタギは本州の北の地で狩猟を生業としている者で、鉄砲の扱いに長けている為、戊辰戦争では狙撃部隊として重宝されたこともあった。

 マタギが独自の言葉を用いて山々を駆け回る姿は、まるで忍者のようだった。

 豪雪が山々を支配していた季節は過ぎ去り、淡い陽光に起こされた熊が大木のうろから顔を出す季節――山の忍者たちが動き出す。

イタズが居たぞぉ! 勢子セコ吠えろぉ!」

 マタギのシカリ勢子セコに指示を飛ばす。

「ホーリャ、ホウ!」
「ホーウ! ホウ!」

 熊の追い込み役である勢子セコたちはシカリの指示に従い、沢の方から各々に吠えて熊を追い込もうとする。コナガイという櫂のような道具を樹木に叩きつけて、大きい音を出している者もいる。

 煩い、と言わんばかりに重さ二十五貫位ある熊は、のそりのそりと動き出した――徐々にその動きが速くなる。

 マタギたちの思惑通りに動いた。

 熊は追い込むと、尾根へ逃げる習性があることをマタギは知っている。尾根には数人のマタギが鉄砲を構えて身を潜めていた。

イタズが尾根さ行ったぞぉ! 一の射場ブッパ鉄砲撃てシロビレタタケ!」

 シカリの声が響くと、待ってました、とばかりに――タァァァン……!

 尾根の方から銃声が響いた。

 熊は背に血を流しながら尾根に向かって猛進している。

「まんだ終わんねぇぞぉ! 二の射場ブッパ鉄砲撃てシロビレタタケぇ!」

 ……銃声が聞こえない。

 熊が猛進している先には、片膝を立ててしゃがみ込み、鉄砲を構えた青年の姿があった。

「辰巳ぃ!」

 シカリが、撃てないなら逃げろ! と叫ぶ。熊と辰巳との距離、十間、六間、二間――熊が彼を狩るべく、仁王立ちになった。

 タァァァン……。

 その一発は熊の心臓に命中した。

 熊は辰巳を押し潰すかのように倒れ込んだ。

勝負ショウブ! 勝負ショウブ!」

 仲間たちが叫びながら熊に駆け寄る。『勝負ショウブ』という叫びは、獲物を仕留めた、という合図に近い。

 倒れた熊の下から辰巳が這い出てきた。

「おめぇという奴は……本当に肝が座ってやがる。大したもんだ」

 こっちの肝が冷えたよ、と笑いながらシカリが辰巳を労った。仲間たちも安心したかのように辰巳に声をかける。

 皆は辰巳が撃った熊に興味を示し、山の授かり物に感謝をする『ケボカイ』という儀式で熊を供養し、賑やかに解体を始めていた。当の本人は自分の身体に穴が空いていくような気持ちで、熊の形が無くなっていく様を眺めていた。
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