無色の男と、半端モノ

越子

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二、鬼と人

昔のこと

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 ――セツが産まれる前のことだった。

 青年のような二匹の鬼が山の中を歩いている。

「セイさん。また女鬼からのお誘いを断ったんですか? 貴方の父親も心配していますよ」

「ハハッ。カズキも早く俺に所帯を持って欲しいのか? でも、無理だな。興味がない」

 セイと呼ばれた鬼が朗らかに笑う。やれやれ、というような仕草でカズキが頭を振った。

 セイという男は、漆黒の短髪で青緑色の瞳に、凛々しい顔立ちの容貌をしていた。額には二本のツノが生えており、漆黒の横笛を腰に佩いている――何か不思議と威厳ある雰囲気を醸し出している。

「おい! お前、弱っちい人のくせに一人で山に入るなんていい度胸だな!」

「あら。人は見かけによらないって言葉があるのよ。あなた達は鬼だから、見かけどおりってとこかしら?」

 セイとカズキが歩いている先で、鬼と人の会話が聞こえた。女の人が鬼たちに囲まれているところだった。

「ちっ! 人のくせに生意気な! 殺っちまえ!」

 鬼たちが一斉に飛びかかると竜巻が発生し、鬼たちは一斉に遠くへと吹っ飛んだ。

 青々とした木の葉が舞い、竜巻が収まると一人の女性が陣の中心で跪いていた。彼女が顔を上げると二匹の鬼たちに気付き、「あら。あなた達も遠くへ飛ばされたいのかしら」と、話しかけてきた。その女性は長い黒髪をキュッと束ね、目鼻立ちの良い顔をしていた。琥珀色の瞳は明るく、気の強さをも感じる。

「ハハッ。それは勘弁だ」

 セイが両手を軽く上げて言うと、

「セイさん! あの人、きっと退治屋だ」

 カズキが慌ててセイに伝える。しかし、それを知ってか知らずか、彼は更に彼女に話しかける。

「教えて欲しい。君は何故鬼たちを倒さず、遠くへ逃したんだ?」

 彼女は目を丸くしたが、突然「ぷっ」と笑い出した。

「あなた、面白いことを聞いてくるのね! でも、確かにそうだわ。変だよね。私」

「そんなことはない。思わず感心してしまった。君みたいな人もいるんだな」

 鬼と人が会話をして笑っている。カズキは幻でも見ているのかと目を疑った。

「私も大概だけど、あなたも変わっているわ。あなたからは嫌な匂いを感じない。その、隣の方もそうだわ。こんなの初めて!」

 彼女は嬉しそうに朗笑した。その瞬間、セイの表情が一瞬固まり、頬の辺りが仄かに染まる。カズキはどう接して良いかわからず呆けていると、セイが彼女に話しかけた。

「その、君さえ良ければ、また会いたいのだが。俺の名前はセイだ。隣のこいつはカズキという」

「ちょ、ちょっと、セイさん!?」

 呆けていたカズキは驚き、我に返った。

「もちろんよ! 私も、またあなたに会いたいわ。私の名前はナツよ。セイさん、カズキさん、よろしくね」

 ナツは笑顔で二匹の鬼に手を振って山を降りた。

 セイは満足気に彼女の背を見送り、カズキは不安気に彼の横顔を見ていた。

 ――そして、数ヶ月が経った。

 ナツは山へ行くと、セイとカズキがナツに会いに来てくれる、という日が何度も続いた。

 従者カズキは、主であるセイを守るため、ナツを警戒していたが、裏表が無い天真爛漫な彼女の態度に、いつの間にか気を許すようになっていた。

 二匹の鬼と一人の人が意気投合し、仲良くなるのはあっという間だった。

 そして、その二匹と一人の行動が鬼たちの間、人たちの間でそれぞれ噂になっていた。

「セイのやつは一体どうしたと言うんだ!? 女に興味がなかったというのに、よりにもよって人の女に興味を持ちやがった。カズキもカズキで仲良くしやがって」

「ナツは一体どうしたと言うんだ!? 一人で山に入り鬼退治をしているのかと思いきや、鬼と仲良くしているだと!? これを婚約者のタカトが知ったらどんなことになるか……」

 乾いた風が吹き、木枯らしが舞い上がる――冷たい風が吹き荒れる季節がくる。



   ◇ ◇ ◇



「ナツ、今日も一人で山へ行くのか? たまにはゆっくりしたらどうだ?」

 一人の男性が屋敷の中で出かける準備をしているナツに声をかけた。

「タカトさん。いいのよ。私は好きで山へ行っているの」

 ナツは振り返って笑顔で答えた。タカトは一瞬躊躇ったが、思い切ったかのように話を切り出す。

「ナツ。聞いてくれ。最近、君に対して良くない噂が立っている。……率直に言おう。もう山へ行くな。退治屋も辞めろ。遅かれ早かれ、君は俺と結婚して落ち着くことになるのだから」

 それを聞くなりナツの表情は徐々に曇りだす。そして彼に言った。

「嫌です。そんな噂、何なんですか? そもそも、結婚は互いの両親が勝手に決めたこと。私はあなたと結婚する気はありません。でも、誤解しないで欲しいの。決してあなたが嫌というわけではないの。私の、ただの我儘よ。私はもっと自由に生きたいの」

 今度はタカトの表情が曇りだす。

「たとえ親同士が決めたことでも、俺は君と所帯を持ちたいと思っている。君となら俺は一緒になっても良いと思っている。いや、違う。俺は、君が好きなんだ。そんな俺の気持ちを、君は無下にするのか?」

「そんなこと……」

 二人の間に重い空気が流れる。

 居た堪れなくなった彼女は、「ごめんなさい」との言葉を残して屋敷を出た。

 山の空気は随分と冷たくなっていた。

 ナツが晴れない気持ちで歩いていると、

「ナツ。どうした? 何か問題でも……あったみたいだな!」

 ナツの前に突然現れ、ハハッと、明け透けな笑顔をナツに向ける男に「セイさん……大したことではないの。あなたは今日も元気そうね!」と、ナツも表情を切り替えて明るく応えた。

「あら? 今日はカズキさんと一緒じゃないの?」

「ああ。今は別行動だ」

「そうなのね」

 そうしてナツは少し考え込み「ねぇ、セイさん。あなたは誰かを好きになったことはある?」 と、ポツリと聞いてきた。

 思わぬ質問にセイは驚いたが、視線を少し斜め上にあげて顎に手を添えながら「うーん。どうだったかな。そもそも俺、そういうのに興味が持てなくてね」と、答えた。

「ハハッ。スマン!」と言ってセイが笑うものだから、曇っていたナツの気持ちも澄んだ空のように変わった。

「ふふっ。やっぱり、あなた、面白いわ」

 お互い顔見合わせてクスクスとわらう。

 ナツはセイに伝えた。彼女に両親が決めた婚約者がいること、そして婚約者に恋愛感情が持てず、彼女自身はそれを拒んでいることを――彼は真剣に聞いている。

「……そうだったのか。意外と、鬼も人も同じだな」

「?」

「いや、なに。実を言うと、俺も周りがいい加減所帯を持て、と煩くてな。今、カズキがいない理由がそれだ。カズキには悪いがな」

 セイに憧れ、誘ってくる女鬼たちに、カズキはセイに変わってお断りの対応をしていたのだ。カズキは、自ら願ってようやく従者の契約を結ぶことが出来た主のお願いを断ることは一切ない。

「本当ね。意外と、同じね!」

 彼女は目を丸くして答えた。そして「案外、モテるのね」と、セイに聞こえないようにポツリと付け加えた。

 セイとナツが立っている道の奥から、赤髪の鬼が手を振って走って来る。

「セイさん! ようやく終わりましたよ。あ、ナツ、今日も来ていたのか」

 カズキが対応を終えたらしく、彼らの下に駆け寄ってきた。

「カズキさん、聞いたわよ。あなたも大変ね」

 主の手前、カズキはどう答えて良いものかと顎をポリポリかいて苦笑いしていると、突然彼の顔付きが鋭くなる――どこからともなく矢が飛びかかってきた。

 二匹の鬼の動きは同時だった。セイはナツを自分の方に引き寄せ、背中に隠す。カズキはセイの前に出ると同時に手で数本の矢を受け止め、握り折っていた。だが、矢は次々に飛んでくる。セイとカズキは矢を防ぐことで精一杯だ。

 ようやく矢がおさまると、今度は一人の退治屋の声が飛んできた。

「ナツ! 君は一体何をしているんだ!? 早くこっちに来なさい!」

「タ、タカトさん……」

 タカトは大勢の退治屋を引き連れている。彼の退治屋での階級は一級であり、普通、大勢の退治屋を統べることはできないのだが、彼の場合は特別だった。彼の実家は、由緒正しい退治屋の家系で多くの財産を保持し、更に彼の国の退治屋を金で援助していたのだ。今いる大勢の退治屋はきっと金で動いたのであろう。

「タカトさんこそ、一体何を考えているの? 危ないわ。早く皆の矢と刀を納めさせて!」

 ナツはセイの背後から顔を出して訴えた。

「君が俺の所に戻って来たらそのまま大人しく帰るさ。とにかく、その鬼たちから離れてこちらに来なさい」

 タカトの言葉にナツは躊躇うも、一向に足が動く気配はない。我慢ならなくなったタカトは、ナツのもとへ瞬間移動をした。タカトはこうもあろうかと密かにナツを術で繋いでいたのだ。

 ナツたちは突然のことに言葉を失う。そのまま彼女は彼に捕まり、退治屋たちの所へ連れ去られる形になった。

 タカトはナツと繋いでいた術を解くと、続けて退治屋たちに命令した。

「これで二匹の鬼だけになった! 遠慮なく殺ってしまえ!」

「タカトさん! 言っていることが違うわ。お願い! やめて!」

 だが、ナツの願いは無下にされてしまった。退治屋たちは二匹の鬼に向けて攻撃態勢に入る。

「……カズキ、この状況はさすがに致し方ないよなあ……」

 カズキは無言のまま、頷く。

 セイは青緑色の双眸を光らせ、腰に佩いていた漆黒の横笛を抜き出して口元に添えると、威風堂々とした音色が山々に響き渡った。すると、どこからともなく大勢の鬼がセイの所に集まってきた。鬼たちはセイを前に跪いている。

(これが鬼たちを操り、統べることができるセイさんの能力。笛の音を聞いた全ての鬼たちはセイさんに従う。本当におっかねえな)

 カズキは久しぶりにこの能力を目の当たりにし、改めてセイを推服する。

「お前ら、あの大勢の退治屋を大人しくさせろ。いいか、絶対に人を殺すなよ」

 セイが命令すると、鬼たちは承知とばかりに「オオォォォォ!」と咆えた。

(俺の能力は、使い方を間違えるわけにはいかないんだが……)

 セイは退治屋に立ち向かっていく鬼たちの背を見送ると、重い表情で俯いた。

 大勢の退治屋と大勢の鬼が争っている。まさに戦場だ。ナツは顔色を青くし、立ち尽くしていたが、あることに気付いた。

(鬼たちが、人を殺していない……?)

 よくよく見ると、鬼たちは攻撃をしているものの、致命傷を避けている。どんどん退治屋たちは戦える状態ではなくなり、無力化していく。

「ナツ、こっちへ飛んでこい!」

 戦場を眺めていたナツが声のする方へ振り向くと、セイが両手を広げて叫んでいた。

「ナツ! 駄目だ! お願いだ! あっちへ行くな! 君は人だ。人なんだ!」

 タカトがナツの腕を掴んで止める。必死なタカトに、ナツの顔がクシャっと歪む。

(タカトさん。どうしよう、だけど……)

「ナツ、俺と……俺の所へ来い! 鬼も人もあるものか! ナツは、ナツだ! 思うがままに、我儘に生きていいんだ!」

 ――我儘に生きていいんだ――。

 ナツの琥珀色の瞳は輝いた。彼女は陣を描き、足をタンっと踏み出すと風が巻き上がり彼女自身を飛ばした。

 飛んだ先はセイの胸の中だ。

「セイさん、私、きっと凄く我儘よ」

 ナツはセイたちと共に姿を消した。タカトは放心状態で呟いている。

「鬼め。許すものか、許すものか。これが、許されるものか……ナツ、待っていろ。いつか必ず迎えに行く……」

 戦場だった辺りは静寂になった。鬼たちの圧勝だ。だが、退は誰一人も居なかった。

 ――それから数年後、セイとナツの間に子が生まれた。
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