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一、匂いと出会い
セツという女
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「――はぁっはぁっはぁ! ――ああっ! ごめんっ!」
白日の下、黒猫のような若い女性が、町中を歩く人たちの間をぶつかりそうになりながら縫うように走っている。何かから必死に逃げているようだ。
(何なんだ、あいつ!? 何なんだ、あいつ!?)
彼女の後に無表情な男が追いかけてくる。……徐々に距離が縮まってきた。
「ヤバッ!」
彼女はダンッ! と地面を蹴り上げ、屋根の上に飛び立った。町の人たちは彼女の人離れした脚力を見て目を丸くしていたが、
ダンッ!
町の人たちは更に目を丸くした。無表情な男も同じく屋根の上に飛び立っていた。
「あ、あんた、何者だ?!」
「私は退治屋だ」
「クソッ! 追いかけて来るなよ。俺はこれから退治でもされるのかよ?」
「退治はしない。君が突然逃げ出したから追いかけている」
彼女は屋根から屋根へと疾走り飛び、ハクから逃げ続けるが、一向に逃げ切れない。
「来るな、来るな、来るなぁ! 俺が何をしたっていうんだよぉぉぉぉ!」
彼女は彼に向かって叫び、トンっと地面に着地した。跪き、立ち上がろうとして彼女は空を見上げると、眩しい太陽を覆い隠すように、黒い影が飛び降りてきた。
青白い月のような顔をしたハクが彼女の上に覆い被さり、抑え込む。押し倒されてしまった彼女は逃げることが出来ない。
ハクに押し倒されても尚、彼を睨みつけていた彼女だったが、諦めたかのように「はぁーっ」と深く息を吐いた。
「……お願いだ。どうしたら離してくれる?」
彼に乞うと、月のように綺麗な顔が徐々に彼女に近づく。
「人混みの中を全速力で走るな。民家の屋根の上を勝手に上がるな。私から逃げるな」
「近い! 近い! わかった! わかったよ!」
彼女は思わず彼から目を逸らして降参した。
◇ ◇ ◇
町の人たちの視線がハクと彼女を刺す。特に女性たちの視線は、彼女の身体に穴があきそうになるほど鋭い。
「あの娘、何なの? ハクさんと歩いているなんて図々しい」
「ちょっと器量が良いからって調子に乗らないで欲しいわ」
「でも、見てご覧なさいな。あの娘の着物、男物でぶかぶかだわ」
「可哀想に、可愛い服を買うお金がないのね」
女性たちの嘲笑が聞こえ、鈍色のぶかぶかな着物を着た彼女はハクを睨む。彼女の視線に気づいたハクは、無表情のまま視線を返して言った。
「気にするな」
(一体誰のせいだと思っているんだよ!? 逃げても、逃げても追いかけて来やがって!)
「ねぇ。お兄さん、もう逃げないけど、どこまで付いて来るの?」
彼女は尋ねた。しかし、それは彼によって無にされた。
「ハクだ」
「ん? うん?」
「私の名はハクだ」
「ああ、うん……。ってことは、俺も名乗らなきゃダメ?」
「君の名はセッチャン、だろ?」
「はあ?!」
「君の名ではないのか?」
ハクは老婆との会話をちゃっかり聞いていたらしい。
「そうだけど違う! 俺はセツって言うんだ!」
「そうか。……セツ」
「何だよ?」
「いや、呼んでみただけだが」
(本当に何なんだ! コイツ。むかつくな!)
セツは頬を膨らまし、言いたいことを表情で全面に出した。
しばらくの間、二人は無言のまま、ただ町を歩いていた。セツは逃げることも出来ず、どうしたものかと考えていると、
「きゃぁっ。ひったくり! 誰か捕まえてぇ!」
女性の悲鳴と共に、その犯人は攻撃的な表情でハクたちに向かって来る。セツは腰に佩いていた漆黒の横笛を抜き取り、慣れた手付きで地面に陣を描き出す。描き終わったかと思えば、即座に跪き、陣に向かって拳を撃ち出した。すると突然、地面が盛り上がった。犯人は盛り上がった地面に躓き転がると、そのままハクに捕まった。
その後、呼ばれた役人によって犯人は連れて行かれた。ハクは彼らを見送ると、セツの方へ振り向いた。
「見事な術式だ。君もどこかの退治屋に属しているのか?」
「まさか。昔からずっと俺は独りだ」
「では何故、術式を使える?」
〈術式〉とは、〈陣〉と人の体内に宿る〈丹〉で発動される。術式と同様に武器もそうだ。刀や矢などに丹を入れ込むことで、岩のように硬く強靭な身体を斬り裂いたり、貫いたりすることが出来る。だが、丹は全ての人が持っているわけではない。普通ならば退治屋の特殊な修行によって丹を形成し、得るものだが、それでも得られないことがある。逆に、稀にだが強い丹を持つ親から子へそのまま引き継がれ、生まれながらにして得ることもあるらしい。
――彼女は後者の方なのか?
「もしかして、君の両親は退治屋なのか?」
するとセツは深く考えるまでもなく答えた。
「いや、母さんは普通の人だよ」
ハクは妙な返答に引っ掛かりを覚えたが、そのまま質問を続けることにした。
「では、術式は誰から教わった?」
「母さんだよ。母さんと沢山絵を描いて遊んだんだ。母さんは絵が上手だった!」
母親を思い出し、懐かしむセツを余所にハクは確信した。
――彼女は後者だ。母親は有名な退治屋だったのだろうか。
ハクはまだ聞きたそうだったが、口を閉じ、黙って歩き出した。
日が暮れ始め、ようやくセツはハクと離れることが出来た。
彼女は安心した様子で彼の後ろ姿を見送ると、独り町の何処かへ消えていった。
白日の下、黒猫のような若い女性が、町中を歩く人たちの間をぶつかりそうになりながら縫うように走っている。何かから必死に逃げているようだ。
(何なんだ、あいつ!? 何なんだ、あいつ!?)
彼女の後に無表情な男が追いかけてくる。……徐々に距離が縮まってきた。
「ヤバッ!」
彼女はダンッ! と地面を蹴り上げ、屋根の上に飛び立った。町の人たちは彼女の人離れした脚力を見て目を丸くしていたが、
ダンッ!
町の人たちは更に目を丸くした。無表情な男も同じく屋根の上に飛び立っていた。
「あ、あんた、何者だ?!」
「私は退治屋だ」
「クソッ! 追いかけて来るなよ。俺はこれから退治でもされるのかよ?」
「退治はしない。君が突然逃げ出したから追いかけている」
彼女は屋根から屋根へと疾走り飛び、ハクから逃げ続けるが、一向に逃げ切れない。
「来るな、来るな、来るなぁ! 俺が何をしたっていうんだよぉぉぉぉ!」
彼女は彼に向かって叫び、トンっと地面に着地した。跪き、立ち上がろうとして彼女は空を見上げると、眩しい太陽を覆い隠すように、黒い影が飛び降りてきた。
青白い月のような顔をしたハクが彼女の上に覆い被さり、抑え込む。押し倒されてしまった彼女は逃げることが出来ない。
ハクに押し倒されても尚、彼を睨みつけていた彼女だったが、諦めたかのように「はぁーっ」と深く息を吐いた。
「……お願いだ。どうしたら離してくれる?」
彼に乞うと、月のように綺麗な顔が徐々に彼女に近づく。
「人混みの中を全速力で走るな。民家の屋根の上を勝手に上がるな。私から逃げるな」
「近い! 近い! わかった! わかったよ!」
彼女は思わず彼から目を逸らして降参した。
◇ ◇ ◇
町の人たちの視線がハクと彼女を刺す。特に女性たちの視線は、彼女の身体に穴があきそうになるほど鋭い。
「あの娘、何なの? ハクさんと歩いているなんて図々しい」
「ちょっと器量が良いからって調子に乗らないで欲しいわ」
「でも、見てご覧なさいな。あの娘の着物、男物でぶかぶかだわ」
「可哀想に、可愛い服を買うお金がないのね」
女性たちの嘲笑が聞こえ、鈍色のぶかぶかな着物を着た彼女はハクを睨む。彼女の視線に気づいたハクは、無表情のまま視線を返して言った。
「気にするな」
(一体誰のせいだと思っているんだよ!? 逃げても、逃げても追いかけて来やがって!)
「ねぇ。お兄さん、もう逃げないけど、どこまで付いて来るの?」
彼女は尋ねた。しかし、それは彼によって無にされた。
「ハクだ」
「ん? うん?」
「私の名はハクだ」
「ああ、うん……。ってことは、俺も名乗らなきゃダメ?」
「君の名はセッチャン、だろ?」
「はあ?!」
「君の名ではないのか?」
ハクは老婆との会話をちゃっかり聞いていたらしい。
「そうだけど違う! 俺はセツって言うんだ!」
「そうか。……セツ」
「何だよ?」
「いや、呼んでみただけだが」
(本当に何なんだ! コイツ。むかつくな!)
セツは頬を膨らまし、言いたいことを表情で全面に出した。
しばらくの間、二人は無言のまま、ただ町を歩いていた。セツは逃げることも出来ず、どうしたものかと考えていると、
「きゃぁっ。ひったくり! 誰か捕まえてぇ!」
女性の悲鳴と共に、その犯人は攻撃的な表情でハクたちに向かって来る。セツは腰に佩いていた漆黒の横笛を抜き取り、慣れた手付きで地面に陣を描き出す。描き終わったかと思えば、即座に跪き、陣に向かって拳を撃ち出した。すると突然、地面が盛り上がった。犯人は盛り上がった地面に躓き転がると、そのままハクに捕まった。
その後、呼ばれた役人によって犯人は連れて行かれた。ハクは彼らを見送ると、セツの方へ振り向いた。
「見事な術式だ。君もどこかの退治屋に属しているのか?」
「まさか。昔からずっと俺は独りだ」
「では何故、術式を使える?」
〈術式〉とは、〈陣〉と人の体内に宿る〈丹〉で発動される。術式と同様に武器もそうだ。刀や矢などに丹を入れ込むことで、岩のように硬く強靭な身体を斬り裂いたり、貫いたりすることが出来る。だが、丹は全ての人が持っているわけではない。普通ならば退治屋の特殊な修行によって丹を形成し、得るものだが、それでも得られないことがある。逆に、稀にだが強い丹を持つ親から子へそのまま引き継がれ、生まれながらにして得ることもあるらしい。
――彼女は後者の方なのか?
「もしかして、君の両親は退治屋なのか?」
するとセツは深く考えるまでもなく答えた。
「いや、母さんは普通の人だよ」
ハクは妙な返答に引っ掛かりを覚えたが、そのまま質問を続けることにした。
「では、術式は誰から教わった?」
「母さんだよ。母さんと沢山絵を描いて遊んだんだ。母さんは絵が上手だった!」
母親を思い出し、懐かしむセツを余所にハクは確信した。
――彼女は後者だ。母親は有名な退治屋だったのだろうか。
ハクはまだ聞きたそうだったが、口を閉じ、黙って歩き出した。
日が暮れ始め、ようやくセツはハクと離れることが出来た。
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