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一、匂いと出会い
鬼の匂い
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葉月の頃。高く昇った太陽が町を照らしている。
「あら、ハクさんじゃない。一人で歩いているなんて珍しいわね!」
「ハクさん、今日も暑いわねー。うちの店、寄って行きなよ! 冷たいお茶でもいかが?」
「ハクさんは今日も美人さんだな!」
町の人々は次々と巡回中のハクに話しかけるが、ハクは誰に応えることもなく規則的な速度で歩き進んでいく。彼は町の巡回なんて乗り気ではなかった。屋敷で毎日毎日鍛錬を積んでいたらレイに声をかけられた。
「たまには外にでも趣きなさい。町の人との交流も退治屋の仕事だよ」
要は、暇なら治安維持のため見回りをしなさいということだ。ハクは渋々承諾し、今に至る。退治屋は鬼を退治するだけではない。悪人や罪人を捕まえることも任務の一つだ。
「ばあちゃん、お待たせ! 薬草持って来たよ!」
一人の若い女性がハクの方に向かって走って来る。ルリ姫と同じ歳くらいだろうか。どうやら彼の後ろにその老婆がいるのだろう。
ハクと彼女がすれ違うその瞬間――。
「痛っ!」
ハクは彼女の腕を掴んでいた。
「……お兄さん、痛い。腕、離して」
静かに、そして訝しげな顔で彼女は言う。だが、ハクは掴んでいる腕を離さない。それどころか、より一層力を込めると、彼女の表情はより一層怪訝になる。
――この匂い、どこかで……。
「……青臭い」
「はぁぁぁッ?」
驚き、そして不機嫌全開の表情になった彼女は、力一杯に腕を振り解いた。
「お兄さん! 初対面の人に向かって失礼にも程がある!」
ハクは困惑した。
――この匂い、あの日の笛の鬼の匂いではないか!
普通、鬼は黴に似た不快な匂いを放っているが、彼女は違った。晴空に広大な草原を思い浮かべる様な、爽やかな匂いが彼女から漂っていた。そんな匂いを彼は「青臭い」と言ったが、何故か彼にとっては懐かしく、心地良くも感じていた。だが、目の前にいるのは男の声をした鬼ではない。彼女は人だ。よく見ると男性物の鈍色の着物を着ており、ぶかぶかで身体に合っていない。そして黒い帯に漆黒の横笛を佩いている。
ハクはそのまま視線を上げると、長い黒髪を一つに結い上げ、琥珀色の瞳が黒猫のように睨んでいる。彼女は彼を睨みながら細い腕を擦っていた。
「……すまない」
ようやくハクは謝るに至った。
彼女との間に張り詰めた空気が流れる。しかし、それはいとも簡単に破られた。
老婆が後ろから彼女の肩に手を添えて言った。
「セッちゃん。薬草を持って来てくれたのね。嬉しいわぁ。ありがとうねぇ」
「ばあちゃん……。ううん。こんなのお安い御用だ」
彼女の不機嫌な表情が消えると、ハクそっちのけで彼女と老婆は会話を進めていく。
「本当に助かっているのよ。薬の材料になる薬草は山にあるから私だけでは鬼に食べられちゃうもの」
老婆はもう一度お礼を言って彼女に包み紙を渡した。彼女は満面の笑みでそれを受け取る。
「ばあちゃん、またな!」
彼女が老婆に別れを告げ、この場から去ろうとしたその時、
「っぃ痛ぇえ!」
またしてもハクは彼女の腕を掴んでいた。
「君は一体、何なんだ」
「それはこっちの台詞だ! アンタは一体何なんだ!」
「私は、退治屋だ」
一瞬、彼女の顔が強張ったのは気のせいだろうか。
「そうか。お兄さん、ご苦労なこった。腕、離してくんない?」
「君は何者だ?」
「見て分かんない? ……人だよ。鬼にでも見えるのかよ?」
ハクは自分を睨んでいる彼女を見て、これ以上の問答はできないと感じると、腕を離すことにした。
「ねぇ。お兄さん、もう行ってもいい?」
「駄目だ」
理解出来ない彼の返答に、彼女の大きく開いた目と口はしばらく塞がらなかった。
「あら、ハクさんじゃない。一人で歩いているなんて珍しいわね!」
「ハクさん、今日も暑いわねー。うちの店、寄って行きなよ! 冷たいお茶でもいかが?」
「ハクさんは今日も美人さんだな!」
町の人々は次々と巡回中のハクに話しかけるが、ハクは誰に応えることもなく規則的な速度で歩き進んでいく。彼は町の巡回なんて乗り気ではなかった。屋敷で毎日毎日鍛錬を積んでいたらレイに声をかけられた。
「たまには外にでも趣きなさい。町の人との交流も退治屋の仕事だよ」
要は、暇なら治安維持のため見回りをしなさいということだ。ハクは渋々承諾し、今に至る。退治屋は鬼を退治するだけではない。悪人や罪人を捕まえることも任務の一つだ。
「ばあちゃん、お待たせ! 薬草持って来たよ!」
一人の若い女性がハクの方に向かって走って来る。ルリ姫と同じ歳くらいだろうか。どうやら彼の後ろにその老婆がいるのだろう。
ハクと彼女がすれ違うその瞬間――。
「痛っ!」
ハクは彼女の腕を掴んでいた。
「……お兄さん、痛い。腕、離して」
静かに、そして訝しげな顔で彼女は言う。だが、ハクは掴んでいる腕を離さない。それどころか、より一層力を込めると、彼女の表情はより一層怪訝になる。
――この匂い、どこかで……。
「……青臭い」
「はぁぁぁッ?」
驚き、そして不機嫌全開の表情になった彼女は、力一杯に腕を振り解いた。
「お兄さん! 初対面の人に向かって失礼にも程がある!」
ハクは困惑した。
――この匂い、あの日の笛の鬼の匂いではないか!
普通、鬼は黴に似た不快な匂いを放っているが、彼女は違った。晴空に広大な草原を思い浮かべる様な、爽やかな匂いが彼女から漂っていた。そんな匂いを彼は「青臭い」と言ったが、何故か彼にとっては懐かしく、心地良くも感じていた。だが、目の前にいるのは男の声をした鬼ではない。彼女は人だ。よく見ると男性物の鈍色の着物を着ており、ぶかぶかで身体に合っていない。そして黒い帯に漆黒の横笛を佩いている。
ハクはそのまま視線を上げると、長い黒髪を一つに結い上げ、琥珀色の瞳が黒猫のように睨んでいる。彼女は彼を睨みながら細い腕を擦っていた。
「……すまない」
ようやくハクは謝るに至った。
彼女との間に張り詰めた空気が流れる。しかし、それはいとも簡単に破られた。
老婆が後ろから彼女の肩に手を添えて言った。
「セッちゃん。薬草を持って来てくれたのね。嬉しいわぁ。ありがとうねぇ」
「ばあちゃん……。ううん。こんなのお安い御用だ」
彼女の不機嫌な表情が消えると、ハクそっちのけで彼女と老婆は会話を進めていく。
「本当に助かっているのよ。薬の材料になる薬草は山にあるから私だけでは鬼に食べられちゃうもの」
老婆はもう一度お礼を言って彼女に包み紙を渡した。彼女は満面の笑みでそれを受け取る。
「ばあちゃん、またな!」
彼女が老婆に別れを告げ、この場から去ろうとしたその時、
「っぃ痛ぇえ!」
またしてもハクは彼女の腕を掴んでいた。
「君は一体、何なんだ」
「それはこっちの台詞だ! アンタは一体何なんだ!」
「私は、退治屋だ」
一瞬、彼女の顔が強張ったのは気のせいだろうか。
「そうか。お兄さん、ご苦労なこった。腕、離してくんない?」
「君は何者だ?」
「見て分かんない? ……人だよ。鬼にでも見えるのかよ?」
ハクは自分を睨んでいる彼女を見て、これ以上の問答はできないと感じると、腕を離すことにした。
「ねぇ。お兄さん、もう行ってもいい?」
「駄目だ」
理解出来ない彼の返答に、彼女の大きく開いた目と口はしばらく塞がらなかった。
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