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「管理長、お話し中に失礼致します。少し来ていただいていいでしょうか」
「あ……、はい。メルニックさん、ちょっと外します。あとは自由に見て回ってください、申し訳ございません。何かあれば管理室までいらしていただければ」
「わかりました。ありがとうございます」

 ホルヴァートさんを部下らしき人が呼びに来て、二人で水の訓練場から足早に出て行った。


 私は一人、訓練生たちの邪魔にならないようプールの端にあるボイラー室のところまで離れ、壁側に寄って訓練を見学する。
 目の前で繰り広げられる水の魔法の数々は、昔兄の訓練を見に行った時を思い出す。

 ボイラー室が発する熱気と少しの振動を感じながら、強い日差しがプールの水しぶきをキラキラと彩るのをぼんやりと見ていた。

 プールの底の水色がまるであの日の海の表面みたいで、私にあの日を安易に思い出させたりもした。


 うちの兄の魔法は、とても鋭くとても温かい。ただ威力があるだけじゃない。
 だからあの時、ヒューと私を救ってくれたんだ。
 九年ぶりに本人を視界に入れているのに、この気持ちを九年ぶりに彼と共有できないことが心底悲しいと思った。かと言って、どうしたいのかも自分でわからない。

 今この瞬間のこの街のこの海のにおいが、あの日のことをふわりふわりと脳裏に蘇らせていく。
 目の前の訓練生の魔法は、当たり前だけどその兄の魔法よりもまだかなり拙く見えた。



 水が跳ねる音と、力を出す為に湧き上がっている声と、風の音が。全部を混ぜこぜにして響いてく。
 水が流れるように。
 水がしぶきになっていくように。

 時折、水の中に潜る音と、水の上に跳ねていく音を拾う聴覚と。
 水の近くで海の街なこの辺り一帯の匂いを拾う嗅覚と。
 この季節のこの地域の生ぬるい風が肌を通り抜ける触覚と。
 あの日を思い出せる私の記憶と。
 目に映るあの日とは違うヒューと。


 急に私だけぽつんとここに取り残されている感じにも思えたのと、強い日差しに少し疲れて。
そろそろ屋内に移動しようかと足を動かした時。
無言で近づいてきた人影に気付いて顔をあげた。

 さっきまで私がずっと見ていた遠くに居たヒュー・ボーグが、気怠そうに濡れた前髪をかきあげながら私に歩いてきていた。なんて目が離せなくなる容姿、そして歩き方。

「……あ」

 何かを言わなきゃと脳が判断するのに、声が出ない。全く姉弟そろって迫力がありすぎる。


 近づいてくる程にわかる、すらりとした背の高さ。
 水気を帯びたウエットスーツがヒューの身体にぴったりフィットして、それは彼の引き締まった身体を容易に想像させた。

 濡れた黒髪の間から、特徴的な赤色の目がこっちを見ている。
 赤色なのに、なんて冷たい目。まるで欲しいかどうか聞いてもいないのに「要らない」と言われているような拒絶を含む視線だった。

 怖い。でも目が離せない。


「ねぇ、本当に俺と九年前に会った…? 」

 ぶっきらぼうな低い声で問われた。
 口元は無造作にかけれた指で少し隠されて。濡れた前髪の間からこちらを見る視線。
 質問をされているのに疑うようなうんざりした瞳のままだったので、私はただそこから逃れたくなって下を向いて答えた。


「はい。九年前のあの時…、ここから少し行ったところの海で。崖の側面から枝の大きな木がはえているところにある海の中の大きな岩、そこで話したんです」
「……話しただけ?」

「話して、その後……、あ…、私さっきお姉さんにあの日のことはあなたに話さないようにと言われて……」

 フィーの強い物言いと、冷たい瞳を思い出すと更に言葉は出なくなった。
私はただ、少し懐かしかっただけなのに。なんでこんな。
ひたすら逃げ出したくなりながら、次の彼の言葉だけを待った。


「あぁ」

 目の前のヒューは軽く頷いて、冷たい表情のまま少し考えてから口を開いた。
 その「あぁ」はフィーの言葉に対して?私の話したことに対して……?
 聞きたいのに、何も聴けなくて。

 少しの間の沈黙でさえ私にはとても重たくて、次に何を言われるのか怖くてひたすら身構えていると。


「あのさ、聞いた? 俺、九年前の事故とその前の記憶がなくて覚えてないんだよね。だからさ、君の魔力の流れを見せて貰っていい?」
「……え?」
「俺、記憶はないんだけど、記憶のない間でも触れたことのある魔力は見てみると解るんだ。手に少し触れるだけだから。いい?」


 全く予想していなかった提案に、ひたすら驚いて顔を見上げると。ヒューは相変わらずの無表情のままこちらを見て、ただ返事を待ってる。

 記憶がないからごめんね。…それで会話は終わるんだと思っていた。

 魔力の流れを見せる? 見る? 手で? ……それは今まで聞いたことがない。知りたい、それを知りたい。
 そんな好奇心が勝って、震えた喉は無事に言葉を紡ぎ出した。


「は、はい。あ、でも私、魔力がないんです……」
「それは大丈夫。たぶん魔法が使えなくてもみんな魔力は体内に持っていて。魔法が使える使えないは、それを放出する能力があるかないかだけみたいなんだよね」
「あ、そうなんですね……」

 そのような話も確かに聞いたことがあって。
 研究者としての無知に少し恥ずかしくもなったけれど、でも彼がどのように私の魔力を見るのかがひたすら気になった。その様子をただ見たいと思った。

 そんな気持ちだけで返事をしながら、両手を前に出して了承の意思をヒューに示す。

「へぇ、いいんだ? うん、解った。ちょっと待ってて?」

 ヒューは私が了承したことを一瞬不思議がって、少しだけニヤっと口元を歪めてプールサイドにある小屋へ何かを取りに行った。

 私はこれから何が起こるのか全く何も想像できなくて、両手を前に出したままヒューが行った先を見つめ続けた。


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