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第二巻
芝居屋
しおりを挟むそれから数日後。
「──焔来? 出掛けるのかい?」
透き通った晩秋の日射しの下、枯れ葉を運ぶ風に黒髪を撫でられながら、リュウが戸口から顔を出す。
彼が呼び止めた先には焔来がいた。
「ああ、チヨ様に呼ばれてるんだ。村に芝居屋が来てるらしい」
「芝居屋?」
「詳しくは知らねぇけど。リュウも来るか?」
「僕は行かないよ」
こういう城から離れた村に見世物が来るのは珍しかった。
焔来は芝居屋というのを見たことはないが、何やら珍しい事を披露する集団らしい。
チヨの付き添いという立場ながら内心楽しみにしている焔来は、リュウも誘うが……二言目には断られた。
「曲芸とかもあるらしい」
「僕は遠慮するよ」
本音を言えば、リュウが断るのは承知だった。
こういう時にリュウは決して誘いに乗らない。
彼は人混みを嫌っているし…それに、チヨのことが嫌いだった。
「…ったく、俺と二人なら来るってか?」
「うーん、どうしようか…」
焔来が試すように聞くと首を傾げながらはぐらかす。
「教えない」
「わーかった、んじゃ行ってくるな」
「うん、行ってらっしゃい」
まるで海へ出掛ける漁師を見送る妻のように、リュウは軒の下で手を振った。
「──…焔来」
「…ん?」
と思えば、数歩か歩いた焔来を呼び止める。
「どうかしたか?」
「君が戻ってきたら……したい話が、あるんだ」
「何だよ気になるな。わかった。じゃあ後でな」
「うん」
意味深なことを言って微笑むリュウに、背を向けた焔来も手を挙げて返した。
「お待たせっ、焔来」
「チヨ様……って、あれ」
その後焔来が、名主の母屋の前で待っていると、ひとりの娘が駆け寄る。
いつもと異なり色が入った着物をまとい、肩に打掛けを羽織った彼女を見て焔来は戸惑った。
「そんなめかしこんで、何処に行くんですか?」
「もう…// ばか…」
頭から足までをまじまじと見てくる彼に、チヨは顔を赤くして唇を尖らす。
上目遣いで焔来を睨んだ。
「……?」
「焔来ってば鈍感……」
「え、何か言いました?」
「ばかーー!」
家の前で大声を発した名主のひとり娘に、周囲で立ち話をしていた村人たちは一斉に注目した。
ワオーーン!!
「──お!?」
そして千代の大声に続いて、犬の咆哮( ホウコウ )。
驚いた焔来が飛び上がる。
「──…ッ…シロ! 脅かすなよ!」
「あれ、シロも来たの?」
チヨの陰に隠れていた白犬が、焔来を威嚇しながら彼女の足元から出てきた。
「なんでお前がいるんだ」
ワン!ワン!
「なーにが気に食わねぇ? そんなに俺が嫌いか」
ワン!
「…っ…返事すんな!」
律儀に返事をする白犬に、焔来は腕をまくらん勢いだ。
そう、この白犬はリュウと出会った日に見つけた仔犬だ。
今では仔犬の面影もなくなり、何故か焔来に敵意をむき出す憎らしい奴だ。
「シロも来るの?」
足元から離れないシロにチヨが問いかけると、およそ同じ犬とは思えない可愛らしい声で返事をする。
そして彼等は目当ての芝居屋まで仲良く…(を念頭におきながら)歩いて向かった。
「…いい加減に睨み合いはやめてよ」
芝居屋の舞台がある場所まで来た二人と…一匹。
家屋が並んでいた道から離れて、田んぼの中の抜け道を進む。
「見て、見て、焔来」
「あの辺りに人が集まってますね」
道の突き当たりに人だかりがある。
チヨは歩みを早め、落ちた稲穂をまたいで輪の中へ飛び込んだ。
ドンッ
「きゃ…!」
「ほら、危ないですよ」
すかさず焔来は彼女の横に立ち、村人の波から身をていして守る。
村一番の男前からそんなことをされれば、チヨが照れるのも当たり前だった。
「あっ…ありがとう焔来…」
「お気になさらず。あっちが、舞台か…。俺の袖、持ってて下さいよ?」
首を伸ばす村人の間を通り抜け、焔来がチヨを前列へと連れていく。
すると、即席で作られた芝居用の舞台が現れた。
「あれですね、演目までは見えねぇけど。チヨ様は見えますか?」
「わたしも演目までは…っ」
焔来の袖を強く握るチヨの、目線の先は、舞台どころではない。
「──…始まりましたよ! ちょうどいい」
ドドン、ドン
そんな彼女の心情などそっちのけ。
和太鼓の音が始まりを告げる。
役者の男が舞台へ上がり、見物人が沸いた。
ドドン、ドドン
むかぁ~し、むかぁ~し
北の~~果てさ
雪に~埋もるる、村ぁ~在りて
“ 周りがうるさくて聞こえ辛いな… ”
演者の歌が空に伸びる。
抑揚のある不思議な声に、焔来は耳をすませた。
雪に~紛れて、血がぁ、流れる
村人、恐るる、神隠し
「すごい人の数ね、焔来…っ…」
「──…」
「あ! 演目が見えたわ」
「これ、は……」
「……焔来?」
隣の家のぉ、娘が消えた
向かいの家から、女房消えた
「焔来…っ、焔来? ねえ、どうしたの?」
「……」
ひとり……
ふたり……
また、ひとり
「──…ッ…ちが ぅ」
「待って! どこに行くの!?」
舞台に掲げられた演目の旗──。
それを目にした焔来の様子が急変し、そして彼はその場から逃げ出した。
“ 違う──…ッ、そうじゃない ”
和太鼓の音に追い立てられながら
チヨの声にすら反応しない
ドドン、ドドン
“ やめてくれ…っ ”
必死の形相で走る焔来を誰も気にかけず
皆の視線は、舞台上の役者に釘付けであった──。
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