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第一巻

やっと逢えたね

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 “ こっちの方から聞こえるんだよな~ ”


 遠く小さな仔犬の鳴き声だが、耳をすませた焔来にはその方向がわかってしまう。

 村の東を流れる小川に出ると、案の定、川沿いに走る犬の汚れた尻を見付けた。

「あんなとこまで…っ」

 仔犬はキャンキャン鳴きながら、後ろの焔来に見向きもせず進んでいく。

 そして──川にかかる小さな橋の上で止まったのだった。


「…!?…何だ?…人か?」


 不自然なくらい騒がしくなる仔犬。

 見付けてくれと言わんばかりに飛び跳ねるそいつの足元には、なんと、ピクリとも動かない人間がうつ伏せの状態で倒れていた。


「……!」


 倒れているのは少年。…正確には、男女の判別はつかないけれど男の服装(ナリ)をしている。


 “ あの服装…っ…武士だよな? それに…腰に刀? ”


 駆け寄った焔来が橋まで追い付くと、仔犬はこちらに戻ってきた。

 百姓が着るような麻の着物ではない。袴(ハカマ)姿のその子供は、腕と背中から血を流して動かない。

 腰にさげた黒い鞘(サヤ)は、彼が帯刀(タイトウ)を許された身分であると示していた。


 “ 生きてるのか? でも…あの傷じゃあ…! ”


 負傷した浪人というのは珍しい光景ではない。

 このご時世だ。

 そう言えば十日ほど前にも、京の池田屋という店で殺傷事件が起きたらしい。


 ……と、呑気に観察している場合か!


「おい、お前!」


 戻ってきた仔犬を飛び越え、焔来は倒れた少年のもとへ走った。

 草履をはいた足が橋の上を蹴飛ばし、木材がギシギシときしむ。


「…………」


 その振動が伝わったのか、頭の横に投げ出された少年の指が僅かに反応した。


 “ 良かった、生きてるのか ”


 安堵した焔来に応えるように、血を流す彼は拳を握り、肘で支えて……なんとか顔を上げる。




「───な…!?」


「ハァ…‥ハァ、‥‥ッ─‥‥」




 互いの視線が、ピタリと合わさる。

 その刹那──橋を支配する空気が一変した。




 焔来は跳ね返るように立ち止まった。

 急に止まったせいで、尻もちをついて転ける。

 その間も…目は少年から背けられない。

 そして相手もまた、目の前で無様に転げた焔来の姿を焼き付けるかのように凝視していた。



「…ハァ‥ッ‥…ハァ…──きみ…は…」


「──…?」



 女人のような高い声。

 それは透き通った──川のせせらぎ。



 切れた唇を、明け方の三日月のような形にして……彼は弱々しく微笑んだ。



「…ッ‥ハハ…、なん だ‥‥仲間じゃ…ないか…」



 薄茶の瞳を囲む、緑っぽい虹彩(コウサイ)が、潤んでいる。

 自らの血がこびり付いた手を伸ばし、彼は焔来に手招いた。


 “ こいつ、同じだ…… ”

 
 しかし焔来は動けない。


 “ 俺と同じだ ”


 何を見て気付いたわけでもない。

 ただ、二人は互いに直感したのだ。



 やっと会えたね──。

 少年の唇が無音でそれを告げ、限界に達したのか……伸ばした手から力を失い意識を手放した。

 同時に、呼吸を忘れるほど驚いていた焔来も、硬直状態から我に返った。


「…ハァ…っ」


 深く息を吸う。


「お前も…──鬼、なの、か…!?」






 文久四年。旧暦の六月。

 暮れかけというのに強い日射し──夏を感じるあの季節に、お前は橋の上で倒れていた。

 思えば出会いの瞬間から、お前の身体には血の匂いがたっぷりと染み付いていた。

 なのに、お前は笑うんだよ。

 こんな傷、気にしないって。自分の目には、俺しか映っていないんだって。

 俺の事しか頭にないって……笑うんだ。








 ───…







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