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雨の鎮魂歌
雨の鎮魂歌_3
しおりを挟むローは行ってしまった。
……セレナは止める事ができなかった。
脱力して立ち尽くす彼女の足の裏からは、岩の冷たさが直に伝わってくる。
“ 止めなくてはならなかった…… ”
何としても、どんな手を使っても……彼を引き留めなくてはならなかったのに。
「ごめんな さい…っ」
セレナが黙って見送る事しかできなかったのは、ローの無表情の背に、有無を言わせぬ怒りの色が含まれていたから。
その怒りの矛先は " 人間 " である自分にも等しく向けられているのだと知っているからだ──。
暮色は消えた。
厚い雲が現れ
滝とは別の水音が、彼女の耳に届く。
ポチャ ──ポツッ
セレナは胸の前で手を組んだ。
組んだ手に、閉じた瞼に──
落ちる雨粒の異様な重たさよ。
次第に雨の勢いは増していき、彼女の髪をドレスを、容赦なく濡らした。
それに合わせて、徘徊していた狼達は各々の巣に入っていく。野生の獣にとって雨で体温を下げることは命取りなのだ。
そうして、ただひとり祭壇前に残されたセレナは、両手を握り合わせ、星のひとつとして臨めない吹き抜けの空を仰いだ。
雲の縁を白く照らす…其処に在る筈の月を
雨雲の向こうに在る月を、濡れた顔で見上げた。
この状況で──彼女は何を祈るのか…。
仔狼の安否か
ローの帰還か
それとも、新たな流血の可能性を嘆いているのだろうか
しかしセレナの祈りが届くには、空の月はあまりにも遠く、其の光はあまりにも弱々しかったのだ……。
大地を叩く雨。
そして──出口の洞窟から音がする。
「──…っ」
咄嗟に向けた彼女の目に映ったのは、銀の毛皮を纏った大きな狼だった。
「ロー!…──ッ」
セレナは駆け寄ろうとした。だが、その足はすぐに止まってしまう。
ぬかるんだ地面から止まった勢いで泥が跳ねた。
パチャ!
洞窟から出てきた銀狼の、その口に、焦げ茶の狼が咥えられている。
「…そん な…」
小さな狼の姿
──まだ子供である事は明らかである。
咥えられていた仔狼は背中から血を流し、ぐったりと動かなかった…。
銀狼はゆっくりと動き出した。
彼の帰還に気付いた狼も穴から姿を現しその周囲に集まりだす。
益々激しさを増した雨が──
彼等の毛皮を打ち付けた。
耳鳴りのように頭の奥まで響いてくる。
「……」
彼は仔狼の身体を岩場の上に静かに寝かせ、前に立ち尽くすセレナと一瞬だけ目を合わせると、その横をすり抜けて湖へと進む。
セレナは振り返ったが、彼は此方に背を向けた。
そして銀狼は畔で一度立ち止まると湖の奥──滝壺へと飛び込んだ。
バシャっ...
滝の奥に映る影が、獣から人の形に変わっていく。
セレナは彼の後を追って湖の畔に歩いた。
……するとその瞬間
背後から一匹の狼が咆哮をあげた。
「──…ッ」
互いに頃合いを計ったように、それは数匹に増えて咆哮の声も大きさを増す。
尾を長く引くその声は威嚇的な吠え方ではない。
彼等は動かない仔狼を取り囲み、涙を溢す天を仰いで透き通った声を聖地に響き渡らせた。
──幼い頃から
森から聞こえる狼の遠吠えは、夜眠れなくなるほどの恐怖を彼女に与えてきたものだ。
けれど今彼女が聞くこの遠吠えは、これ以上無いほどの悲しみを帯びた、……まるで鎮魂歌。
切ないレクイエムだった──。
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