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第九章

Epilogue──2

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 凛々しい黒褐色の馬が、その背にアドルフを乗せて街を出る。

 全速力でしばらく走ると、道が途切れ、彼の前に小さな村が現れた。

 村自体は小さいが広い畑だ。

 畑の周りを囲むように植えられていたのはおそらくサンザシで、刺のあるツタを動物避けにしているのだとわかった。

 アドルフが村に入ろうとしたとき、昼の仕事を終えて休憩中の村人に出くわす。

「すまない…っ。この辺りにフランスの伯爵の別荘があるだろう?場所を教えてくれ」

「ああクロード様とレオ様のことだね。あの林の向こうさ、相談があるなら行ってみるがいいさ」

「……相談?」

 アドルフは村人の言葉どおりの場所へ向かう。

 そして少し小高いその場所には、たしかに貴族のものらしい館が建っていた。

 彼は早速馬をとめ、入り口の鉄柵を登って越えた。

 公爵家のように広い庭があるわけではないので、柵を越えればすぐに館の扉である。

 ガチャッ...

「──…」

 扉に鍵はかかっていない。ドアノブをおろすと何の抵抗もなく扉が開く。

 アドルフは迷うことなく中に入った。

 しかし鍵もかかっていない館には、人の気配が何処にも無い。

 敷き詰められた絨毯と、入口のホールに面した螺旋階段。

 彼は手近の部屋の扉を開ける。

 けれど…中はものけの空。

 その横も、またその横の部屋を見ても、クロードを見つけることはできない。

 彼は館の部屋すべてを確認したが同じだった。

 そして、最後に入った寝室らしき部屋の、奥につづくバルコニーを確認したところで、ようやく彼の足は止まった。


「…ハァ…、ハァ…!」


 誰もいない…か


 アドルフは部屋の壁に背を預けて肩で粗い息をした。

 街からひたすら馬を走らせ、館中を探した彼はひどく疲れており、後から後から汗がしたたる。

 彼は額のそれを手の甲でぬぐい、深く息をして部屋を見渡した。

 そこにはベッドや書棚などの家具があるだけで、人が住むために必要なものが何一つ見当たらない。

 ──すでに住民は、ここを捨てた後だった。

「…っ…?」

 そうとわかり脱力するアドルフは、部屋の机に置かれた──ある手紙を見つける。

 その机はクロードが普段、本を読むのに使っていたものだ。

 アドルフは最後にそこへ向かい、置かれた羊皮紙を拾い上げた。




 《 Adolof 殿──


  依頼した剣を受け取れず、申し訳ない。


  Claud─Michel・Geofrroy・de・Bourgeat 》




 したためられていたのは、そのひと言。

 手紙の内容はそれで終わっていた。




....




「──それだけかよ!」

 アドルフが大きな舌打ちとともに吐き捨てる。

「…ハァ…ハァ、く…ッそ…!」

 最後までからかいやがって…!

 彼の脳裏にクロードの顔が浮かぶ。結局、眼中になかったのか。俺は……!

 
《 …まだ子供だ 》


「…っ」

ギリッ.....!

 あいつに言われた言葉がいちいち俺の腹をえぐる。

 …あの澄まし顔も、すべてが気にくわない。


 “ 俺はもっと…っ、あんたに言いたいことがあったんだ…! ”


 あんたが俺に言い残したのは
 たったこれっぽっちなのかよ──


 アドルフは手紙をおいて、自らの腰に下げた剣を手に取った。

 鞘から半分だけを引き抜き、現れた白刃を眺める。

「せめてこの剣を…見てから行けよな」

 それは彼の最高傑作…。鋭い切っ先は鋼の美しさをまとい輝いていた。

 彼はそれを鞘に納め、腰から剣帯を外して机の上に剣を置いた。

 代わりに手紙を再び手にして、くしゃりと潰してポケットに押し込み……寝室を後にした。




 館の扉を開けてゆっくりと外に出たアドルフ。

 そこで彼は、柵越しにこちらを向いて立つひとりの子供に気が付いた。

「お前は……?」

「クロードさま…いなくなっちゃった…」

 アドルフが門の柵を飛び越えて出てくるのを、その少年はじっと見つめていた。

「たしか、カミルつったか…お前」

「……うん、そうだよ」

 少年は笑うことなくアドルフの言葉に頷いた。

 持ち主のいなくなった立派な別荘を、カミルは黙って眺めるだけだ。

「おいてかれちゃった…」

「──…」

「でも、いいんだ。僕は父ちゃんと、母ちゃんと姉ちゃんを守っていかなきゃいけないから。ちゃんと…ひとりでも頑張ってくんだ」

 そう言う彼はどんな表情だったのだろう。

 赤茶色のカミルの髪は、陽の光を反射することでより赤みを増して色付く。

 立ったまま見下ろすアドルフの目線からは、ただそれが見えるだけだった。

「──僕、強くなりたい」

 意思のこもった声でカミルが言う。

「クロードさまが言ったんだ。大切なものを守りたかったら、強くならなきゃ、ダメだって」

「…お前には大切なものがあるのか」

「うん」

 いっぱいあるよ

 ここで初めて笑顔になったカミルは、隣のアドルフを見上げて歯を剥き出した。

「黒髪の兄ちゃん…。強くなるにはどうしたらいいんだろう」

「……そうだな、先ずは鍛えろ。それと読み書きも勉強しろよ。この世界はそれができなきゃナメられる」

「…よみ…かき…?」

 聞きなれない単語にカミルは首をかしげた。

「それ、兄ちゃんが教えてくれるの!?」

「──お前ついさっき " ひとりで頑張る " とか言ってなかったか?」

「ええっ!…だってぇ…」



 けちんぼ

 膨れっ面になるカミル



「…だって、ひとりはさみしいよ?兄ちゃん」


「──寂しくねぇよ」


「へへっ、ウソつきだーー…」


「──…っ」



 ズボンの端を握ってきたカミルの小さな手を

 アドルフは鬱陶し気に払いのける──。



「あー畜生…っ、火傷がいてぇ…」


「大丈夫?僕んちの薬草、あげようか?」



 大人になったカミルが村のリーダーとして、不法な取り立てを行う貴族の役人たちと渡り合うようになるのは、……ここから十年以上も先のことであった。









───…

     

  





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