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第七章

決意の涙

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 クロードを信じて待つ。そう誓ったレベッカ。


「伯爵の愛を信じるのか…!」

「クロードを密告なんてできない。でもそれは…」

 でもそれは首飾りを盗もうとするクロードの手助けをするのと同じこと…。公爵家を裏切ることになる。

「公爵家を裏切るわたしに、ここにとどまる権利なんてありません。ちゃんと…この城を出るつもりよ」

 けれど──

「あなたとじゃない…!」

 一緒に逃げてアドルフに迷惑をかけるわけにはいかない。職人としてのアドルフの人生を、邪魔していいはずがない。

 レベッカは心に決めていた。

「…だから、帰って」

「レベッカ!」

「ありがとう…アドルフ…」

「──…」

 レベッカは本を閉じ、窓から離れて本棚へと向かう。

 部屋の中央に立ち尽くすアドルフの

 ──ちょうどすぐ横を通りすぎようとした時だ。



「…ふざけるな」



 アドルフが彼女の両腕を強引に引き寄せ、驚いた手からこぼれた本が、まっ逆さまに床へと落ちて音をたてた。

「…アド…ん…っ」

 がっしりと身体を抱き締められる。

 彼女の抵抗も意味なく、頭の後ろをアドルフの手が固定して…そして強引に口づけられる。

「…ん…っ──んん…!」

 レベッカの腕は二人の身体に挟まれていた。

 彼女はその腕で彼の胸を押し戻そうする。

 けれどアドルフは離さなかった。

 逃れようとするレベッカの身体がのけぞりバランスを崩して倒れそうになるのを、アドルフの腕が支えている。

「…ふッ…ン…っ──…ッッ」

 彼が舌をいれようとするのがわかった。

“ アドルフ……! ”

「…ぷはッ、…ゃ…っ……ハァ…ん、んッ…」

 口を塞がれたレベッカが、唇の離れたすきに呼吸をしようとすると、今度はその開いた唇の隙間を狙って舌が差し込まれる。

「…ハァ……ぁ……ぁ‥…アドル…フ‥‥!?」

「……っ…」

「…ん…ん、‥‥──!」

クチュ.....

 彼女の頭を捉える男の手が……震えているような気がした。

 だが抱き締める腕の力はどんどん強く……余裕を無くしていく。

 強引に口付けるアドルフは、同じように無理やり舌を絡めていった。

「…ぁぁ‥‥ハァ‥っ‥…んぁ‥‥‥」

「…ハァ…っ」

 絡められた彼女の舌は、彼に誘惑されるまま互いの間でさ迷っている。

 そこには

 どちらともわからぬ唾液が糸をひいていた──。

「…お前のそんな表情は…初めて…だ…」

「…‥っ‥ぅ‥ハァ‥‥ぁ…っ」

「その……声も……!」

 激しい口淫に彼女の意識が霞み、倒れそうになる。

 脚の力が抜けてしまったのか、脱力した細い身体を、被さるアドルフが抱きかかえている。

「レベッカ…!」

 二人の舌がほどけた。

 アドルフは熱い吐息のこぼれる唇を、レベッカの喉にそっと落とした。

 後ろに仰け反ったレベッカは、もはや彼の手が支えてなければ重たい頭を持ち上げることもできない。

 晒された喉元は狙いやすい。

 男の熱い舌が這うと、レベッカは弱々しく喘いでいた。



「…ッ…‥‥は、ハァ…‥ハァ……ゃ、ゃめ、て」




....




『 可愛らしいですね、若き公爵夫人── 』



 こんなことになるなんて

 これは、あの夜とそっくりだ

 あの夜にわたしを襲ったクロードが

 今のアドルフと重なっている──



 アドルフはこのままどうしたいの?

 クロードに無理やり奪われたように…今夜、わたしは貴方のものになるの…?

 貴方はわたしのドレスを剥ぎ取るの──?



「…っ…そんな、こと…」



 貴方にはできないわ、アドルフ…



「ぁ…ハァ…、アドル フ…アドルフ、…ねぇ、…無理しちゃ、駄目よ」

「──…!?」

「…こんなことしたら、いけないわ…!」

「レベッカ…、許せ…」

「…ううん…ッ…、ハァ‥…
 こんな の絶対に…許さない…から……っ」

「──…っ」

 アドルフは彼女の首に這わせていた舌をおさめて、眉間にシワを寄せて…苦し気に歯を食い縛る。

 額には汗がにじんでいた。

「伯爵には許すのにかよ…!」

 睨み付けるようで、それでいて切ない彼の瞳。

 それを見たレベッカも悲しい眼差しを向けた。

 アドルフは顔を横に向けると、隣のベッドに彼女を仰向けに押し倒す──。

 柔らかなシーツがその勢いを吸収し、彼女の身体を受け止める。

「俺はお前を伯爵に譲る気はない…!」

「…っ」

グッ・・・・ッ

 彼の手がレベッカの夜着の胸元にかかる。

 すでに肩紐をちぎられていた薄いシュミーズは、いとも簡単に、男の力で破かれてしまった。

「…ッ…!」

「……ハァ…ハァ、ク…っ…」

 レベッカと同じように息を乱すアドルフ。

 宙をさ迷う彼の視線は、目の前のレベッカと合わさり止まった。



「お前っ……泣かないのか……!」


「……っ、あなたこそ、泣かないの?」


「──俺が?」


 アドルフの手はドレスを裂いたまま止まっている。


「あなた…今にも泣きそうな顔よ、気付いてるの!?」


 震えながらも彼女の声には
 意思と気持ちの強さが表れている…


「もう一度……言うわ、やめて、アドルフ……」


 力強く、睨んでいた。




 アドルフは咄嗟に、押さえ付けていた手を離して彼女を解放した。

 それはまるで…親に叱られた子供のようだ。

「こんなことまでして、アドルフあなた……!……どうするつもりなの?」

「──ッ…俺は」

「わたしをこの場で奪って…、っ…それから、無理やり連れ去ってくれようとしたの?」

「……!?…連れ去ってほしいのか」

「それは……」

 言葉につまるレベッカは
 今度は自分自身に問いかけていた。

「連れ去ってくれる誰かを…待っているわたしも、確かに嘘じゃない…」

 クロードを信じたい自分

 対して、裏切られるのを恐れる自分

 相反する想いが同居する
 この不安定な心を抱えて…

 誰かがこの状況から、無理やり連れ出してくれたらどんなにラクだろうかと。



「…でもね、あなたにはできないわ」

「──…っ」

「わたしはアドルフを…よく知っています。いくら悪ぶったって、あなたは優しい人だもの」

 嫌がるわたしを無理やりになんて……アドルフにできる筈がない。

 あなたはまっすぐで、義理堅くて、お節介で…

 わたしがこれまで出会った人のなかで、一番、優しい男性よ。

「…クロードとは違うのよ」

 身体を起こし、立ち上がったレベッカは、彼の首に腕を回して抱きつく。

 背が高い彼に合わせるために、一生懸命につま先立ちで背伸びしていた。

 ポタリ、ポタリと……

 彼女の目尻にたまった雫がこぼれ落ち、アドルフの胸を濡らしていった。

「…そんなあなたが…っ…大好きよ…!」

 優しい幼馴染み

 レベッカが貴族である自分の運命に絶望しなかったのは、きっとアドルフがいてくれたから。






 ───





『 ──…ったく、貴族のお嬢さまがこんな煤(スス)だらけなところに来るんじゃねえよ 』


『 まぁ失礼ね、特別扱いなんて必要ないわよ。わたしにもやらせてちょうだい? 』


『 邪魔…って言ってんのがわからないのか?……──っておいおいそこに触るな!!火傷するぞ! 』








 ───





『 …お前…何やってるんだ 』


『 ああ、びっくりしたアドルフね。後ろから声をかけないでちょうだいよ 』


『 何の手紙だ…? 』


『 これは昔、世話になった人に書いてる手紙… 』


『 ──… 』


『 …読める? 』


『 いや… 』


『 そう…なら、わたしが教えてあげようか? 』


『 ──は?べつに読みたいとか思ってねぇよ 』


『 まぁまぁ遠慮なさらず…!

 ほらこれ、《 Adolof 》…あなたの名前よ 』


『 俺の名…? 』


『 素敵でしょう? 』









 ──


 ───






『 ……ねぇアドルフ、あなたはわたしのことが好き? 』


『 …っ…何だいきなり… 』


『 でも恋人にはなれないわね、わたしたち…。だってアドルフは貴族じゃないもの。御義父様たちは大反対するわ 』


『 …当たり前だ。俺は追われる身になるのは御免だ。親方にも迷惑をかけることになる 』


『 …なぁんだ…、悪ぶってても中途半端ね。面白くない、つまんない 』


『 …っ…言いたい放題だな 』


『 ──… 』


『 なら生まれ変わったら、…でいいんじゃねぇの。そしたら恋人になってやれる 』


『 ……そうね、その時は、貴族とか平民だとか…そういうのがない世界だといいわね。…約束ね! 』


『 その時はお望み通り、正真正銘のワルになっといてやるよ。どれだけ嫌がっても逃がさないからな 』


『 …いやよそんなの 』


『 ハァ、面倒くさいやつだな…… 』













 ───




「…ッ…、…アドルフ…っ」

 アドルフに抱き付いたまま涙を流し続けるレベッカ。

 彼との思い出が色鮮やかに思い出される。


 あなたはわたしの初恋

 青春のきらめき──

 だけどわたしたちはあの頃に戻れない

 もう…二人は大人になってしまった

 きらめく日々は過去のものになってしまった


「ごめんねアドルフ…!」

「──…」

「ごめんね…ごめんなさい…っ」

「なら俺は、いつ奪えば良かったんだ…!」

 もっと早くに連れ去れば

 お前を伯爵にとられることはなかったのか

「ごめんな…さい……」

「…もう…いい」

 アドルフは彼女の肩を優しく掴むと、そっと自分から引き剥がした。

 ベッドの布団をひっぺがして、ドレスの破れた彼女の胸を隠すようにそれを押し付ける。

「──…ッ」

「…ったく…、泣くタイミングおかしいだろ」

 アドルフは数歩、後ろ向きにさがった。

「襲われたときに泣けよな……」

 彼はぐいっと手の甲で彼女の頬をぬぐう。

 暗くてよく見えなかったが、もしかしたら彼も、同じように涙を流していたかもしれない──。

「…じゃあ…な」

 二人の眼差しが悲しく交差していた時間は、ほんの少し。

 アドルフは彼女に背を向ける。

 床に転がる一冊の本をまたぎ、彼はまっすぐ出口の扉を目指した。

「──…! っ…アドルフ」

 アドルフの手がドアノブにかかったとき、レベッカは彼を呼び止めた。

 けれどアドルフは止まらなかった。

 扉が開いて

 そして閉まる音──。


──バタン


“ さようなら、わたしの大事な人…… ”


 さようなら、永遠に──。






 愛することは、信じること


 愛することは、残酷なこと


 愛することは、こんなにも辛くて、人を傷付ける






 彼女の涙は、ひと晩中止まることなく流れ続けた。











 ───








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