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第十九章

愛と憎悪

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 ──


「──…陛下、これ以上は毒ですよ」

 空気がシン──と静かになる、夜々中の刻、まだ起きているアシュラフ王へシアンが提言する。

「お休みにならないのですか?」

「……ああ」

 王の前には酒のはいったアンフォラが置かれていた。

 それを召使いにさせるでもなく、小さな酒器に自身で手酌している。

 コポコポと注がれる真っ赤な酒は、まるで血のようだ。

 許容値をこえても飲むのをとめないアシュラフを、側で控えるシアンが心配している。

 そして沈黙をもてあそんだのか、ふいにアシュラフが問いを投げた。

「お前は…今日が何の日か知っているか」

「いいえ」

「…少しは考えるそぶりを見せろ、愚か者が」
 
 今にも眠りにつきそうな小さな声だ。

「そうですね……。思い当たるふしがあるとすれば、ひとつだけ」

「ふっ……そうか、珍しい奴だ」

「私は長い間忘れていました。ただつい先日に、…ある人に伝えられました。それで思い出したのです」

「なるほどな…」

「──顔色がすぐれないようです。水をお飲みになりませんか?」

「ああ…わたせ」

 ずいぶん酔いが回っている。

 それが十分にわかるので、シアンはせめてと水を手渡した。

 渡された水をとったアシュラフは面倒くさそうに口元へ運ぶ。


 パリンッ──!


 ところが、水をいれた器が指の間を滑り落ちて、石床の上で砕け散った。


「…ッッ…お怪我はありませんか?」

「ああ……」

「もうお休みになってください。寝台の用意は整っていますから」

 シアンは義手の左腕に彼の手をのせ、後ろから肩を持った。

 ふらふらしているアシュラフを恐る恐る支えて、椅子から寝台まで導いていくと

 ちょうどたどり着いた時、彼は気を失ったかのように敷布に倒れ込む。

「陛下…っ」

「………、………、………」

「…すでにお眠りですね」

 寝息が聞こえたので、ほっと安堵する。

 眠る君主にそっと掛け布をして、乱された敷布を整えた。



 何故こんなにも無防備なのか。

 それはシアンにもわからない。

 初めての拝謁でいだかれた疑念は何ひとつぬぐえていないのに、あれ以降のアシュラフは、シアンを問い詰めるようなことを一切してこない。

「…貴方は気付いておられるのですか?僕が何者なのかを」

「……」

「フ……まさか、そんな事」

 そんな事が…あってたまるか

 切なく瞼をふせて、寝台を離れる。

 酒器の片付けは明日やらせればいいだろう。

 シアンは奥の間を出て、寝所の入口となる通路の壁に背を預けた。


───カン、カン


「……?」


 だが自分も眠ろうと、腰をおろそうとした時

 扉に付いた銅製のリングが外から打ち鳴らされる。それは来訪の合図だった。

 もちろん、客人が来る時間では無い。

「どなたですか?」

 シアンは扉向こうに問いかけながら、さりげなく右手を腰のクルチ(三日月刀)に添えていた。

「酒の追加は頼んでおりませんよ」

「……私です、シアン・ベイオルク」

「……!」

「ここを開けなさい」

 扉の傍には王宮警備兵が控えているはずだが、返ってきたのは女人の声。これは──

ギィィ・・・

「中へいれて」

 扉を開けたそこには、水杯をのせた盆を持つハナム王妃がいた。




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