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第十九章

利用価値

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──


「お父様!お父様はいらっしゃるの!」

 クオーレ地区の中枢、サルジェ公爵邸。

「どうされましたか、ハトゥン(王妃)・ハナム」

「お話がありますっ…」

 明朝の議会を終えた侍従長が邸宅に戻ると、そこにはハナム王妃が待っていた。

 アシュラフ王の正妻である彼女は、本来、王宮の外に出てはいけない身。

 急を要する事態のようだ。

「シアンが陛下の寝所にいることはお父様もご存知なの?どうして護衛なんて命じたのですか?」

「その件ですか」

 外から戻ったばかりのサルジェ公爵は、外套を使用人に渡しながらハナムに歩み寄った。

「こんな場所で大声を出されるものだから使用人たちが混乱しておりますな。別室へ案内させましょう、こちらへどうぞ」

 ハナムをなだめるためか、公爵は落ち着いた所作で奥の間に進む。

 使用人を遠ざけて二人きりになってから、改めて振り向いた。

「…それで?ハナム様は何をそこまで慌てているのですか。人事に口出しするお立場ではあるまい」

「何を?何をですって…!? お父様こそ何を考えているのかわかりませんわ!シアンはもともと下賎の生まれで、ラティーク・タランとも繋がりがあった男なのよ…っ。陛下に近付けるなんて危ないでしょう?」

「はぁー……」

 もっもとらしい事を心配するハナムだが、公爵はそれに呆れた溜め息を返した。

「みっともなく騒ぐのはやめろ、ハナム」

 その声は、キサラジャ王妃に対してではなく、実の娘へ向けられた威圧的なもの──。

「すべて陛下のご意向だぞ」

「だっ…だからと言って…」

 父親の変わり身にハナムがたじろいだ。

「夜も寝所で過ごすだなんてっ…こんなの王家への冒涜です!わたしに対しても…」

「──それが見苦しいと言っているのだ!黙らないか」

「お父様……!」

「お前が寝所に呼ばれないのはお前自身の問題だ。他の者に当たるな」

 シワをたたえた初老の面に、暗い影を落とす。

 厳しい目つきで睨まれたハナムは肩を震わせた。


 わかっている……

 とっくの昔に、陛下には愛想をつかされている

“ わたしが陛下のお心を掴んでいれば ”

 もしハナム王妃とアシュラフの仲が良好で、二人の間に世継ぎが生まれていたら、何もかもが違った筈だ。



 ハナム王妃が暗い顔で俯いていると、公爵は声を小さくして彼女に提言した。

「……はぁ、そこまで思い悩むでない、ハナム。心配せずとも、もうじきお前は世継ぎを授かる。私の言う通りに動くのだ」

「…!? 世継ぎ…?それはどういう意味ですか…?」

 ハッと前に向き直ったハナムは、少しの希望をいだいて公爵を見る。

 …けれど、それもすぐに不可能だと悟った。

「二日後の夜だ…陛下の寝所に行きなさい。侍従や使用人たちにも手を回しておく故、邪魔をする者はいない」

「つまりっ…!?」

「そこで王妃としての務めを果たすのだ」

「そ、そんなの無謀です!陛下に追い返されてしまいです!」

「いや、陛下はその夜…酒をお飲みになる。毎年決まって、必ずだ。陛下は何かを忘れようとするかのように……眠りにつく前に、酒におぼれる」

 公爵が話しているのは、アシュラフ王の奇妙な習慣についてだ。

 普段はあまり酒をたしなまないのに、何故か毎年…同じ季節の同じ日に、部屋にこもって強い酒を飲み、聞き取れない独り言をポツリポツリとこぼしたかと思うと、気絶するように深い眠りにつく。

 それが今年は、二日後の夜というわけだ。

「でもっ…陛下が酒に酔っていたとして、上手く事が運ぶとは思えませんわ…!」

 酔っているから、それがなんだ。そんなことで陛下が自分を抱くなら苦労していない。

 疑念をいだくハナムに対して、信じられない言葉を公爵が口にする。


「──…勘違いをするな。
 お前がそこで契る相手は、陛下ではない」


「は……!?」


「寝所にはもうひとりいるだろう。王家の血を持つ……別の男が」


 絶句するハナム王妃。

 だが彼女は、その意図する男が誰であるかを瞬時にさとった。



「お……仰ってる意味が分からない わ、別の男…!? ふふ、ナンの冗談」

「下手な芝居はやめなさい」

 誤魔化さなければ

 咄嗟に浮かべた作り笑いも、すぐに見抜かれる。

「お前が裏でこそこそ動いているのを私が知らぬと思ったのか?愚かな娘よ…。金で雇った賤人どもに人探しをさせた次は、見つけたそやつを近衛兵としてクオーレ地区に引き入れおって」

「そっ…れは、違うの…」

「奴は諸刃のつるぎ。安易に呼び戻していい者ではない」

 ハナム王妃の裏工作

 それは公爵に筒抜けだったのだ。

 ハナムにとって、陛下の傍らにいたタラン元侍従長が邪魔だった。だから彼女は王弟の行方をおった。

 タランの企みを暴くための切り札として必要だった。

 だから必死に探した。

 カラハ城塞の売春宿で見つけたシアンを、クルバンとして王宮に呼び戻したのだ。

 そんな彼女の作戦は上手くいったように見える。ラティーク・タランは失脚し、帝国に引き渡されたのだから。

 …けれど、その作戦の詰めの甘さを、ハナムを見る公爵の厳しい表情が物語っていた。

 事が上手くいったのは運が良かっただけだと。



「しかし結果として──利用価値はあったがな」

「……!!」

「よいか?シアン・ベイオルクの種を受けた後、就寝中の陛下の寝台でともに眠るのだ。翌朝になって陛下は驚かれるだろうが…酔ったゆえに記憶が抜け落ちただけと説得できる」

 豊かな髭で隠れた口元に笑みを浮かべ、公爵はハナムに念を押す。

 ハナムは恐ろしさのあまり、顔から血の気を失っていた。

「これで王家の血筋は、我がサルジェ家のものよ」

 そんな娘の心境に気付いているのかどうなのか…

 どちらだろうと公爵は、彼女に逃げ道を与える気はさらさらないようだった。










───…








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