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第十三章
甘い毒
しおりを挟む「スレマン様を廃人同様に堕としたのは、僕の策、僕の毒──。すべて僕が仕組んだコトです。……残念ながら」
「…スレマン・バシュに毒をもったと言うのか?伯爵家の人間にそんな真似をしてはただですまん!医官が気付けば真っ先に疑われて捕まるぞ…っ」
「フフ、…ええそうですね。医官が気付けばの話ですが」
恐る恐る顔を上げれば、シアンの顔がすぐ横に。
至近距離で目が合ったまま……背に置かれた義手の手がバヤジットの肩をなぞって離れる。
「僕の "毒 " は特別な物ではありません。どこの貴族も毎夜のように飲んでいるから」
「毎夜のように……?そんな毒がどこに──…!?」
「宿舎の食堂にいけばいつでも飲めますよ」
「…!? まさかその毒──" 酒 " だと言うのか?」
「ええ」
「ではスレマン・バシュは酔っているだけだと?それならとっくに正気に戻っている筈だろう!」
「ところが二度と正気には戻らないのです、バヤジット様」
「…何故だ」
「では……参考までに、遠い西方諸国の話をしましょう」
理解がおよばないバヤジットへ、シアンはゆったりと語り始めた。
「葡萄の産地である西の大国では、キサラジャとは比にならない量の酒が消費されています。それこそ王族は " 浴びるように " 水の代わりに酒をたしなむ」
「それがなんだ…!!」
「噂に聞いた事はないですか?西の大国の王達は、たとえ才知に優れた名君であろうと、歳をとるにつれ残忍な嗜好を持つようになり……多くが暴君になり果てると。
──その原因が酒だとしたら?」
「…っ…そんなわけがない。酒で人格が変わるなど一過性のものだ。西国の王達はっ…それが彼らの本性であったというだけの話。スレマン・バシュの乱心とは関係ない!」
「いいえ無関係ではありません。このありふれた酒という飲み物には、人の精神を蝕む有害なモノが含まれている」
「……!なんだ、それは……」
「……、鉛です」
「鉛……!?」
バヤジットはうろたえた。
鉛が人体に有害なのか無害なのか、医学的な知識はない彼でも、そんな物が酒にはいっていることがいかに危険かは想像できる。
「鉛が酒の材料だとでも…!?」
「そうではなく鉛が混ざるのは完成した酒を容器に保管した後──瓶と水差しの中なのです。あらゆる容器、食器にいたるまで西国は鉛を好んで使いますから」
「本当 に…そんなものが人を害する毒に変わるのか…っ。スレマン・バシュの " あれ " が酒に溶け出た鉛を飲み続けた結果なのか?シアンお前がこうなると予測して──っ」
「その通りです。だがこの方法では……標的を錯乱いたらしめるのに何十年と待たなければなりません。なので」
酒に微量の鉛が含まれるという事は、知る者にとっては既知の事実。
よって、たとえスレマンの身体を調べた医官が鉛の反応に気付いたとしても、単純に酒を飲みすぎた結果ととらえるしかない。
そんな理由で錯乱したとあっては伯爵家の恥だ。
酒と男娼に溺れて精神疾患など……
スレマン・バシュの妻も子も、その事実を隠そうとして騒ぎにはしない。
しかし、普通の葡萄酒に含まれる鉛は微量すぎるが故に、それこそ何十年と飲み続けなければ人体に影響はないのである。
そこまで知っていたシアンは
スレマンを陥れるべく、恐ろしい手段をもちいていたのだ。
ところでキサラジャのとある娼館通りでは、" 甘い酒 " が飲めると噂の売春宿がある。
この国で──とりわけ貴族でない者が手に入れられる酒は、質の悪いものがほとんどだ。貯蔵の技術が西方のそれほど進んでおらず、すぐに酸化してしまうからだ。
なのにその宿の酒は甘い。
宿はまたたく間に噂となり、多くの客が出入りしている。
「…初めてここで酒を振るまった日、僕は近衛兵達の前で酒を鍋にうつし火にかけました」
「……!?」
「宿舎で使われている鍋は鉛製です。酸化した酒を熱すると、大量の鉛が酒に反応して甘い物質に変わります。いちど甘くなった酒は冷めてもそのまま。スレマン様はコレがお気に召されたようで…………フッ」
「……そっ……そんな物を……飲ませたのか」
「ええ……。肌と肌を重ねながら、やすみなく流し込み続けました。それでもあとひと月はかかろうかと予測していましたが…早く効果が現れたのは幸運でしたよ」
「…──ッ」
床に跪いたままのバヤジットが、ほりの深い目元を動揺で歪ませる。
「貴方はいかがですか、バヤジット様」
そんな彼に挑発的に顔を近付け
「僕の身体を肴にして飲む酒は美味ですよ」
蠱惑的な目でシアンは男を見下す。
「お望みとあらば指の一本や二本喜んで差し上げます」
...ニコッ
「きっとそれで、貴方も壊せる」
美しい顔を歪ませたシアンは、その後バヤジットの邸宅を去っていった。
───……
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