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第九章
これから
しおりを挟むその後 彼等が浴場を出る頃には、街に夕刻が近付いていた。
この季節は夜が長く、故に日没も早いのだ。
バヤジットは戻りの道中で現れた部下に呼び止められ、何か重要な用だったのだろう…どこかへ行ってしまった。
よって今、クオーレ地区の門をくぐり中に戻ったのは、シアンとオメルの二人だけだった。
「へへっ、いい匂いだなぁ」
隣を歩くオメルは風呂上がりに塗った香油の香りに興奮している。
自分の腕をくんくんと嗅ぎながら、照れ臭そうに笑うのだった。
「シアンと同じ」
「オメルの好きな香りで良かったよ」
その香油はシアンがいつも持ち歩いているものだ。湯浴み後や、また砂漠超えの際にも、肌を乾燥させないために使っている。
「外は楽しかった?」
「あーうん、楽しかった!」
これまでクオーレ地区の中に閉じ込められていたオメル。外の街はもっと危険だと信じ込まされていた彼は、今日、それが嘘であったと理解できただろう。
「メシも美味かったな。店のおっさんは意地悪してこなかったし、つーかむしろ優しかったな」
ただ、街人がオメルに親切だったのは彼が隊服を着ているからだ。本来の身分を知ったら、こうはならなかった。
「また行けばいいよ。頼めばバヤジット将官が許可をくれるさ」
「そうな。またバヤジットさまも誘って行きたいな」
「もう将官が怖くないのかい?」
「顔はっ……怖いけど。でもバヤジットさまは優しいよ。貴族なのに、優しいよ。なんでか知らんけど」
「ふっ、今度直接聞いてみるといい」
並ぶ二つの影が──石畳に長く伸びる。
オメルの影だけが、その場で陽気に跳ねた。
「これから先、僕がいなくなっても──…君は将官を頼れば大丈夫だからね」
「──!」
跳ねた足がストンと地面に着くと同時に
シアンの言葉を聞いたオメルは立ち止まった。
数歩先を歩いたシアンが、そっと後ろを振り返る。
「……シアンは、いなくなるのか?」
「……」
肯定も否定もしない。
シアンは自らも足を止めた。
「僕が消えたら寂しいかい?」
寂しがるに決まっている。オメルにとってはシアンだけが仲間だ。ひとりは不安に違いない。
だから彼をバヤジットと引き合わせた。
バヤジットはああいう男だ。オメルに危険がおよぶなら…必ず守ってくれるだろう。
それでもオメルはきっと、どこにも行くなとダダをこねる──シアンはそう予想していた。
けれど
「そりゃあ寂しいけど、しかたないか」
「……!」
「だってオレたちずーっとこんなトコにいるつもりないもんな!オレだっていつかは父ちゃんのいる村に帰るんだ。シアンだって…」
まったく取り乱すことをせず、オメルは大人しく受け入れた。
「シアンにだって帰りたい場所があるんだ、だろ?」
「…帰りたい、場所?」
「シアンがここに来た…目的?よくわからんけどさ、それが叶ったら二人でここを出よう」
「……っ」
「オレたちは貴族じゃない、から、どこだって行ける」
少しの寂しさを漂わせて明るく言い切ったオメルを、シアンは思わず見つめ返した。
オメルの丸く愛らしい目は、自分の夢を、そして、シアンの事を──真っ直ぐな心で信じていた。
その目が、怖い──。
「…そうだね」
シアンはそう短い言葉を返すのがやっとだった。
「ああ…話してる間にもう将官の邸宅に着きそうだ。帰り道はわかるね?」
「え?うんわかるけど…」
「僕は別に行く所があるから、ここからはひとりでお帰り」
「シアンはどっか行くのか?何するの?」
「たいした用では無いよ」
バヤジットの邸宅を前にして、シアンは先に帰るようオメルを促した。
行き先を教えてくれないシアンにオメルは、今度こそ不服そうに口を尖らせる。
「暗くなる前に戻れよ!」
いつもシアンに言われる忠告をよこして、彼はひとりで歩いて行った。
角を曲がりオメルの姿が見えなくなる。
シアンはそれを見届けて、自らの行先を変えた。
もとより男爵のはしくれに過ぎないバヤジットの邸宅は、クオーレ地区の門から近い居住区に建つ。
そこからひとつ城壁をくぐり中心へ近付くごとに、立ち並ぶ建物の荘厳さが増していき、上空に目をやれば古びた塔が見えるようになる。
かつてオメルとシアンが身を隠していた、あの今は使われていない古塔だ。
シアンはその方角を目指した。
塔を目指しているのではない。
彼が歩く先には練兵所と近衛隊宿舎、そして司令部があるのだ。
「──…ごめんね、オメル」
シアンは誰に聞かせるでも無く、小さな声で呟いた。
『 目的が叶ったらさ、二人でここを出よう 』
「僕は此処から出るつもりはないんだ……」
彼を慕うオメルの想いを裏切ろうとしている
それに対する謝罪の言葉を胸の内に刻み付けた。
───
その時、突風にも似た強い風が街を突き抜け、砂塵と共にシアンの髪を巻き上げた。
来たのか────嵐が。
それは人の肌を凍らせてしまいそうな、酷く冷たい風だった。
───…
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