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第七章

目覚めた部屋

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──…


「ん……」

 自分を包むふわふわとした感触が心地好く、シアンは目を閉じたままそこに頬を擦り付けた。

 布団……。寝台か。

 それに気付いてからは起きてしまうのが嫌になり、彼は暫く目を開けないでいた。

 久しく触れていない絹織物の滑らかさ──。

 そのままの状態で取り敢えず、彼は記憶を辿る事にした。自分がこうして上等な布団で眠るまでの経緯である。

「……?」

 しかしいくら思い起こそうにも合点のいく結果にはならなかった。

 シアンの記憶は酒臭い宿舎の食堂の──泣き喚くオメルと勝ち誇った副官の顔、暴力的な快楽の連続で終わっている。

 あまりに辻褄つじつまが合わない。

 ではあの散々な陵辱と、今のこの布団の感触の、どちらかが夢なのだろうか。

「…………。(パチッ)」

 シアンはそれなりの覚悟を持って瞼を上げた。


 寝台にうつ伏せのシアンが片目をキョロキョロと動かす。

 宿舎の食堂ではない。地下牢でもない。

 …見覚えがない。

「──…」

 仕方がないので寝台の上で起き上がったシアンは、今度こそ両目でしっかりと辺りを見回した。

 しつらえからして貴族の家。誰かの寝室と予想する。


「おい」

「──っ」

「入るぞ」


 小さく空いた窓から外の様子を確認しようとしたシアンだったが、突然、扉の向こうから声がかけられた。

 シアンは扉を背後に動きを止めた。

「目を覚ましたと見張りの部下から連絡があった」

 見張りがいたとは初耳だ。

「ずいぶん長く寝ていたな。それで──」

「……ッ」

「顔色は……まだ、悪いか」

 部屋に入った男はいきなり、寝台に座るシアンの顎を持って顔を近付けてきた。

 その瞬間、シアンは動揺で目を見開く。

 男はそれが自分に怯えての表情であると思ったらしく、すぐに顔を離してやった。

「取って食いやしない、怯えるな」

「……!」

「見付けた時は死人のように青白かったが、ひとまず命拾いしたらしい」

 男はそう言うと寝台の向かいにある椅子に腰を下ろした。

 近衛兵の上級隊服がさまになるがっしりと恵まれた体躯。椅子に座っても背の高さが十分に伺えるその男は、凛々しい太眉をぐっと眉間に寄せて、シアンを真っ直ぐ睨んでいる。

 ……正確には睨んでいない。少なくとも本人にその自覚は無い。

 怒っているわけではないのに顔が険しくなってしまうのは、彫りの深い目元と……生まれついてのこの男の癖のせいだった。


 ──…そんなところも、昔のままだ。


「……貴方は?」

「騎兵師団の将官(バシュ)、ジフリル・バヤジットだ」

「──…」

 自ら聞いておきながらその返答にシアンはひとつも驚きがない。

 彼はこの男を よく 知っていた。顔をひと目見た瞬間、すぐに気が付いた。

 ジフリル・バヤジット・バシュ……。
 またの呼び名を《指切り将軍》。

 もとは廃れた男爵家の生まれで、若くしてその当主となったバヤジットも近衛兵団のいち兵士にすぎなかったのだが……

 ラティーク・タラン・ウル ヴェジールの後ろ盾により将官に抜擢されたと噂に聞く。

 異例な事だが、昇級の理由は明らかだった。

 九年前──この男が、" ある者の指 " を国王に献上したからである。


「ここは貴方の自邸ですか?」

「そうだ、俺がお前たちを宿舎からここへ運んだ。…あのまま放置はできんだろう。荷物もここに運ばせておいた」

「つまり貴方が僕たちを助けてくださったと」

「偶然だがな」

「それは…なんと礼を申し上げればいいものか。この御恩にむくいるべく、僕は貴方の下僕となります…──バヤジット・バシュ……」

 下着姿のシアンはそう言ってベッドから降りると、バヤジットの足元に跪いた。

 その足に口付けをしようと頭を垂れる──すると、男は急いで足を引いた。

「…っ…やめろ!お前が俺にかしづく必要はない!」

「?」

「そうやって相手に媚びを売るのはやめるんだ。不愉快だ」

「……はぁ」

 まるでシアンから逃げるように椅子から立ち上がると、彼の横をすり抜けて壁際に行ってしまった。

 シアンのような美しい青年に跪かれて、気分を害する者は珍しい。


 まさか照れている訳でも無さそうだが


「第一に、そのような格好で寝台から出てくるな…っ。代えの服は用意してある、まずこれを着ろ!」


 ……いや、照れているのか、あれは。


「………………」

「…っ、どうした」

「…騎兵師団の将官殿は、純情な方と見受けられる」

「馬鹿にするな」

「僕のカラダに興味はありませんか?」

「…っ…そういうコトはそういう店で いたす。部下であるお前をどうこうせずとも間に合っている」

「…ではそういう場所で " いたした " ご経験はあるのですね。それを聞いて安心しました」

「お前ッッ…」

 若くして将官になったとはいえ、歳はもう三十を超える筈──。反応があまりにアレなのでまさか免疫が無いのかと心配したが、本人いわくそうではないようだ。

 ただ噂によれば、いまだに妻をめとっていないらしい。

「お前はッ──…ハァ、…奴等が暴走するのも納得だな」

「…ええそうですね。僕は賤人でありながら生意気なふしがあるので、不満を持った方々に襲われたのも順当でしょう」

「そうは言っていない。あのような淫行…っ、陛下をお守りする近衛兵としてあってはならん事だ」

「…………。(他の兵士に嫌われているのはこの清廉な性格のせいだな)」

「……どういう意味だその顔は」

「いえ、ただ…──。……いえ、とくに深い意味はありません」

 相手にその気が無いと知ると、シアンはさっさと渡された衣服を身に付け始めた。

“ こいつはもう大丈夫そうだな… ”

 そうして片手で器用に長丈衣エンターリまとうシアンを無言で見守っていると、部屋の外から部下が呼び掛けた。

「バヤジット・バシュ。宜しいですか」

「ああ、いま行く」

 部下に呼ばれたバヤジットは、シアンを部屋に残して外へ出た。



....パタン




「──…」






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