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第三章

片腕の兵士

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 朝食を終えれば、訓練が始まる。

 練兵所である広場に整列する隊員にならってシアンもそこに紛れていた。

 さすが──それなりに訓練を受けた彼等らしく、今だけはその粗暴な面を消し去り、私語もなく、きっちり姿勢を正している。

 上官が現れるまで、シアンは最後尾から隊の様子を観察していた。

 長丈衣エンターリを羽織り、その下に脚衣シャルワルを穿く。腰にはクシャックという帯。そして頭には白色のターバンを巻いていた。

 昨日シアンに渡され、今彼が身に付けている見習い用の隊服も同じつくりだ。ただ羽織っているのは膝丈衣ギヨムレクで、周りの者より丈が短い。


 ほどなく時間となり、篳篥ズルナの音が長く鳴った。

 それに続き太鼓が二回打ち鳴らされる。

「整列!」

 上官の号令があり、片足を上げた隊員達が地面を強く踏む。遅れをとったシアンを目ざとく見つけた上官が、彼のいる最後尾までやって来た。

 吊り目がちの強面な男だ。背丈はシアンより少し低いが、がっしりとした体格のせいで凄みがあった。

 ターバンからこぼれたひと房の黒髪が、気難しくシワを寄せた眉間の上にかかっている。

「貴様は新入りだな。シアンと申す者か」

「はい」

「貴様についてはスレマン・バシュより聞いている。──…久方ぶりのクルバンだとな」

 その上官の言葉は周りの多くの人間に聞き取れた。

“ クルバン? ”

“ こいつクルバンか。へぇ… ”

 当然、周囲に動揺が走る。

 シアンに向けられるのは驚きの目と好奇の目、そして蔑みの目──。

 そんな中、冷徹な目でシアンを睨みつけてくるのが目の前の上官だった。

「私は槍兵師団の副官だ。貴様の推薦先は騎兵師団であるが、この数日は私の下で訓練を行なってもらう。…これも将官の意向だ」

「つまり僕が槍兵師団に?」

「不満だと申すか?」

「いえ、ただ」

「鼠ふぜいが口答えとは生意気なものだ!」

「……」

 口を開くだけで途端にこの激昂だ。

 これにはシアンも困惑を隠せず、言葉に詰まる。「落ち着け」なんて声をかけようものなら鋭い吊り目が血走りそうだ。

「何を黙っておる。卑しい鼠は返事のひとつもできぬか」

「…副官殿。お怒りを承知で申し上げますが、僕に槍は扱えません」

「何だと?」

「僕の貧弱な片腕では、槍のような長物を扱うことなど到底──できそうになく。戦闘に不向きと思われます」

「…ふっ、何を言い出すかと思えば " 戦闘には向かない "?──当然だろう。はなから貴様にそのような期待はしていない」

 副官はシアンの胸ぐらを掴んで引き寄せる。

「思いあがるな。貴様はせいぜい馬舎から拾ってきたわらでも掴んで振り回しておけば良い。それが似合いだ」

 鼻が付くほどの近距離でまくしたてられると鼓膜が痛いが、顔をしかめる事さえ許されそうに無い。

「──どうせその左腕も盗みを犯した罰で斬り落とされたのだろう。卑しい手に持たせてやる武器は無い」

「……」

 男のこれは敵意とは違う。

 深い意味など無い。賤人であるシアンが蔑みを向けられる時、たいてい…そこに理由は無い。


 突き飛ばすように解放されたシアンが数歩後ずさった。


「…──ん?」

「……」

「き…っ さま、その刀……!」

「…………ああ、失礼」


 副官が再度シアンを睨み付けた時、見覚えのある物が彼の手におさまっているのを目視する。

 そして慌てて自身の腰を見た。腰に巻かれたクシャックに──いつも挟んでいる刀が無い。


「私の刀を──ッ」

「……なにぶん手癖が悪う御座いまして」


 シアンは、誰にも気付かれず奪ったクルチ(三日月刀)を軽く放って持ち直す。

 冷めた表情を全く変えず、それを男に差し出した。

「お返しします」

「…ッ…貴様ぁ!」

 当然、怒った男は差し出された刀を無視し、手に持つ槍をシアンに向けて振り下ろした。

 声も無く倒れ地に腰を付いたシアンの腹に男の足が乗り、めり込む。

「生意気な下民め……」

「………ッ─…!!」


ググッ....


「教育の必要があるようだな…っ」

「…‥ァ─ッ‥‥グ‥…‥!!」

「だがここで手を下しては後処理が面倒だ…。貴様を連れてきた公爵家への建前もある」

「‥‥‥ッ」

「かと言って許されると思うなよ?無礼を働いた礼として、きっちり歓迎の舞台を整えてやる。

──…ウルヒ!ウルヒはいるか!?」

「‥‥!?」

 そこで副官に名を呼ばれ、ひとりの男が隊列をぬけて現れた。

「何でしょうかねー副官殿」

「貴様の好みであろう。歓迎してやれ」

「それはそれは…俺がもらっていーんですか?」

 二人のいる最後尾までのそのそと歩いてきた男は、浅黒く大柄な身体に汚れた隊服をまとった、見るからに危険な様相である。

 頭布留めの色から察するに、最下位の隊員だ。

 乱れたターバンからは整えられていない長めの髪がいくつも飛び出し太い首に張り付いている。ぎらついた目をシアンに向けるさまは、肉を前にした野生の獣と瓜二つだった。

“ ウルヒか…っ…あのクルバンさっそく災難だな ”

“ チッ、いきなり死ぬんじゃないだろうな? ”

 立ち代るように他の隊員が散っていく。ウルヒを良く思っていないのが筒抜けの顔で、しかし上官の指示なので黙って引き下がる。

「さっさと立ちなぁー、キレイな顔の小僧」

「……」

「副官様のご指名だ。俺がお前の入隊試験を手伝ってやるよ」

「……試験?」

「なに簡単なルールだ……俺と闘えばそれでいい」

 ウルヒが槍をひと振すると、砂が舞ってシアンの顔にかかった。 


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