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第零章
王弟が散った日
しおりを挟む「ねぇ‥‥バヤジット」
「──?」
「兄さまは‥ッ‥‥どおして
僕 を 殺そうとするのかな」
悲しみが、叫んでいた
「僕はどうすれば‥ッ
兄さまに愛してもらえたの‥‥!?」
首をめがけ、刀を振り下ろさんとしたその瞬間
男が見たのは…深い悲しみに打ちのめされ、泣きじゃくるただの幼子だった。
とても無防備で…威厳を忘れた、幼く弱い子供の泣き顔。
辛い、悲しい
悲しい、悲しい
「にぃ さ ま‥」
「──…!?」
強い動揺が男を襲う。
男は、両目を固く閉じた。
そして、獣の咆哮に似た大声とともに、渾身の力で刀を最後まで振り下ろした。
「おおおおおお!!!」
ザクリと、砂に刀身が埋まる
同時に散った赤い血が、白い砂塵を濡らした
....
「──……はぁ…はぁ…!
はぁ……ッッ───く………!!」
「‥ァ‥!?」
「はぁっ……はぁっ……!!」
「ッ‥──バ、ヤジッ‥‥‥!?」
刀を振り下ろした男は血痕の付いた刀身を翻し、それを足元の砂へ突き立てた。
「王弟殿下は……!
今日、陽の国へと旅立たれた…」
捨てるように、荒々しく突き立てた。
「殿下は此処で狼共の餌食となられた。御身は無残にも喰い尽くされ、唯一、持ち帰る事ができたのは」
そして男は少年の隣へ……片膝を付け、跪く。
力なく投げ出された少年の華奢な手に、自らの手を重ねて置いた。
「持ち帰るコトができ たのは──…
左の御指に宿りし此の刻印のみ…」
「──…」
重ねた男の手の隙間で…
新たな血が滲み出た。
細い指の断面
骨まで見える生々しい切り口──
そこからコロリと、剥がれ落ちた数本の指 ──
それをすくい取った男の掌から、ちょうどネズミの心臓のひとつほどを握り潰したぐらいの、そんな度合いの量の血が…ポタリとひとつ滴り落ちた。
その指には王族の証となる刻印がある。
男は隊服の肩布を抜き取り、切り取った指をそれに包んだ。
痛みに呻いた少年の身体を抱えてラクダの背に寝かせると、革の羽織りを脱ぎ去り、それを少年に被せて鞍と固定した。
「ハァッ‥ッ‥ハァッ‥ ‥ナニ を‥!?」
「二度とお戻りくださるな」
そしてラクダの腹を平手打つ。
少年を乗せたラクダは一度大きく いななき、王都に背を向けて走り去った──。
手綱を持たれぬ獣など、行く宛もわからない。
それでも
「どうか、此処では無い場所へ…っ」
何処でも構わない
遙か遠く──遠く
どうか
二度と、その顔を見なくてすむように
《 どうしたら…兄さまに愛してもらえたの? 》
砂漠の流砂に引きずり込まれたかのような、底無しの絶望へ沈んだその声を──
呪いの言葉を
二度と耳にしなくてすむように
───…
肌を削る冷風が国中を吹き荒れたこの夜
幼き王弟はその命を散らした。
国王暗殺未遂
都外に逃亡の末、砂漠の獣に襲われ死亡。
そして兵士のひとりが持ち帰った証拠の指は、王族の死を告げるにはあまりに貧相な物であった。
しかし、彼の死の真偽は…それを望む者共にとって重要ではなかったのだろう。深く追求されることさえ無かったのだから、王宮での彼の扱いがわかると言うものだった。
長くつづられる国の歴史の──ほんの一節に刻まれただけの数奇な命。
王弟の齢は僅か十一。
十二の生誕日を迎える、ちょうど前日の出来事であった。
───…
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