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故障

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 あれから十数年が経った。

 街を彩る桜の花々が散りきったこの季節、僕に異変が起きている。

 だから君に連れられて病院に行くことになった。

 大きな大学病院には専門の科が用意されており、そこの先生が僕の前に現れた。

 白衣を踏まないように丸椅子に座り、カルテに目を通して溜め息を零す。

「もう、古いですね」

 医師が放った第一声には、人間を相手にする際の配慮がまるでなかった。僕が人間でないのだから当然だ。

「カルテを見る限り、637Sはずいぶん前の型ですよね。つまり今回の不調の原因は肉体的なものではなく──こちら側、です」

 医師は人差し指を自身のこめかみに向け、トントンと二回ほど当てる。

 それに対して僕は顔色を変えず落ち着いて聞いていた。

 だいたいの予想は付いていた。

 今の僕はあらゆる動作が人よりも鈍く、喋る速さも遅いので自然な会話ができない。心配した君が何度デリートを行っても改善しなかったのは、より根本的な所に問題アリという証拠である。

「そんな……古いだなんて」 

「新しい物に乗り換えを勧めます」

「……っ」

 隣の君だけが動揺していた。

 そうだ。僕はもう古い。

 本来、僕たちは二十年かそこらで役目を終えるのが自然なのだ。

 それは歳を取ることによる見た目の劣化が理由で、僕たちの需要が無くなるから。

 なのに君は僕を捨てない。

 僕が君と出会ってからかれこれ三十年が過ぎた今──

 僕を捨てないまま君は大人の女性になり、僕は、古びた機械となった。


「それはできません」

 君は医師の提案を突っぱねた。

「彼を捨てるなんてありえません」

「しかしですね…。解決を長引かせたところで、637Sが停止するのは時間の問題ですよ」

「停止…?」

「半年もたないでしょうなぁ」

 半年。

 僕はこの時、自身の寿命を告げられたのだ。

「ですから新しい物に換えましょう。若い新型をご紹介できますよ」

 鈍くなった判断力でも、医師の言葉がしごく真っ当だと理解できる。

 僕の思考は確かに  だが、それ以前に合理的にできているから。


 でも──


「できません」


 非合理的で感情的な君は、首を縦に振らない。

「わたしは彼がいいんです。お願いです、彼を治して下さい!」

「それは……」

「治らなくても……っ、せめて、少しでも長く……」

 しまいには泣き出してしまった。

 昔のようにわんわんと泣くでなく、いたって静かに……目尻から零れてしまう水滴を、手の甲で拭いながら泣いていた。

 医師が二度目の溜め息をつく。

 すでに僕と君は、患者ではなくただのクレーマーになっていた。

 君が治してくれと懇願する僕には……医師にとって直す価値が無く、直す手立てすらそもそも無いのだから。

「先生……! お願いです」

「……」

「彼じゃないと駄目なんです。彼を治さないと意味がないんです……!」

「……でしたら」

 そんなクレーマーの対処に悩む医師は

「ひとつだけ、方法がありますが」

 感情的な君を抑える目的で別の案を持ちかけた。


「──初期化です」


 医師がいやいや持ち出したこの案は、つまりは気休めにすぎない。

 合理的でない。決して解決策とは呼べない。

「どういう……ことですか?」

 一瞬だけ希望が灯った君の目も、すぐに曇りを映した。

「今までのデリートとは違いますよ。初期化を行うことでほとんどの不具合は、ある程度回復させることができますが……」

「……!?」

「文字通り初期化ですから。彼は全てを忘れます」

 全てを、忘れる

「わたしのことも、ですか」

 今までのことを、全て

「初期化ですから」

 同じ言葉を医師が繰り返す。

 君はその言葉を上手く噛み砕けただろうか。

 馬鹿馬鹿しい。

 君を忘れて身体だけ老いた僕に……何の価値が残ると言うのだろう。

 目を閉じた僕の耳に、カタカタと不細工な音が絶えず響いていた。




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