青き影の中で

序章

序章

序
　時の流れは戻せない。失ったものは、永遠に戻らずどれだけ願っても、冷徹な現実は変わらず、心に刻まれた喪失感という痛みだけが増していく。

　十月下旬、アスパルディ王国の北東部に位置するクレリック領には秋が訪れていた。ここは中央部に近く、北部エストリード地方でも比較的温暖な地域ではあるが、時折山脈から吹き込む冷たい風が、人々を震わせていた。
　
　クレリック侯爵家の当主、セリオ・リキュアス・エル・クレリックは、自邸の庭園を一人で歩いていた。
　彼の目には、季節の花が咲き誇る色鮮やかな庭の景色が薄暗くぼんやりと映る。庭園はかつて心の癒しの場であったが、今では寂寥感しか残っていない。

　夜になると、家領の空は深い紺色に染まり、無数の星々が輝く。
　ある人が以前セリオの瞳を「夜空のように青く美しい」と称賛した。
　その言葉は今も耳に残り、心の奥底で響き続けている。だが、その人物は今や彼の心に重くのしかかる痛みの源となっていた。
「ルシュアン……」
　セリオの唇が、ぽつりとルシュアンの名を呟いた。ひんやりとした風が頬を撫でるたびに、絹糸のような金色の髪が揺れる。
　数年前にクレリック侯爵家の当主となった時、隣には当然のように長年家に仕えていたルシュアンがいて、その頃の未来は希望に満ちていた。
　
　セリオはゆっくりと歩みを進め、見慣れた庭の片隅にある古びた石の二人掛けベンチに腰を下ろす。
　隣の空席に手を触れると、昔ここに座っていたルシュアンの面影が浮かんでくる。ベンチをなぞると、その場所から彼との鮮やかな思い出がひとつひとつ蘇ってきた。

　彼の黒髪が前髪を額にかけながらも後ろに整えられ、自然な雰囲気を醸した横顔。
　セリオが呼びかけると、穏やかな瞳で微笑みながら「なんでしょう、セリオ様」と優しく応える。
　ルシュアンと過ごした、平穏な時間。
　
　しかし、その美しい存在は夜空の星々のように遠く、どんなに願っても今は触れることができない。

　セリオは深く白い息を吐きながら、星空を見上げた。変わらぬ美しさの中で、彼の心に刻まれた傷は癒されることがない。
　肩を並べ共に老いていくと信じていた。
　その光景が今や夢の中の幻影となり、セリオの心に深い痛みを残している。

　ゆっくりと目を閉じたセリオは、過去の記憶に思いを馳せる。幼少期からの自分と、あの頃の無垢な希望と夢。
　失われた時間を再び感じ取ろうと、セリオはその静寂の中に身を委ねた――。