カフェオレはありますか?

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 雨が降って、どれくらいの時間が経ったのかもわからないで、幸慈に言われたまま動くことなく、壁に背を預けて立っていると、今日何度目かの携帯が振動を始めた。相手が幸慈でないと確認しては、携帯をズボンのポケットに入れるの繰り返し。ちゃんと帰れているのか、と、心配しながら、幸慈が消えた方へ目を向けて、何度も瞬きをする。自分を殺してまで傍に居たいと思ったんだよ。全てを俺のせいにして生きれば、幸慈は罪悪感から解放されて、少しは楽になれると思ったのに。何が駄目なのかな。何が足りないのかな。幸慈の欲しいが、解らない。悪者にしてよ。そんな扱いは慣れっこなんだから。今更善人扱いされるとは思ってない。だから悪者扱いされる道を選んだ方が早いと思ってたのに。女の子だったら、なんて、くだらない事聞いちゃったな。性別以前の問題なのに。愛や恋。どうして人は、他人に恋をして、愛する事が出来るの?恋の仕方や愛し方を、誰が教えてくれるの?傷付けてばかりの恋に、愛はあるのかな。傷付いてばかりの幸慈に、どうして愛は背中を向けたままなの?あんなにも、愛されたいと泣いているのに。どうして、誰も気付かないまま悪者にして苛めるんだよ。そんな世界だから、幸慈が愛を嫌いだと言うんだ。愛が嫌いなら、愛を嫌って当たり前。そんな、嘘の鎧しか守ってくれない世界なら、俺だけの世界に閉じ込めてしまえば良い。でも、それって本当に幸せ?
「こんなところに居たのか」
 差し出された傘と、聞き覚えのありすぎる声に息を吐く。やっぱり、幸慈は来てくれないんだね。俺は大袈裟に肩を落として、オジィの傘に素直に収まる。俺の様子を困った顔をしながら見つめたオジィは、幸慈から大体の話は聞いたと言った。どんな風に話をされたにしろ、俺が悪者ってことに変わりはない。良かった。少しは悪者になれたみたいだ。
「随分と酷な事を押し付けようとしたんじゃないのか?」
 酷な事、か。まぁ、俺の人生は要らないって言われたばっかりな気もするけど。
「幸慈を送っていってくれたの?」
「それは茜のすべき事じゃないか?」
 オジィの言葉に耳を疑う。
「待ってよ、雨の中放っておいたって事?」
「何もせず言われたことを守って、後を追う事をしなかった茜に、私を責める資格はないだろ」
 確かにそうだけど、でも、だからって、それじゃ今も雨の中って事じゃん。
「引き留めはしたさ。けど、走って行かれてしまってな。一人の老いぼれには、追いかけるなんて出来る速さではなかった」
 確かに、オジィを責めるのは間違ってる。でも、じゃあ誰が俺のしようとした事や、実際にした事が間違ってるって、行動する前に教えてくれるんだよ。俺、何でいつも中途半端なのかな。
「責めるのはいつでも出来るんじゃないのか」
 そう言って、オジィは道路の方を振り返る。そこには、よく見るオジィの車と、オートバイがあった。
「此処は家の敷地ではないから、警察に捕まらないように気を付けなさい」
 本当、オジィには敵わない。俺の気持ちを知って、先読みして動くところは、流石経営者ってところだよ。産んだ親より育ての親だね。オジィの傘から飛び出した俺は、バイクへ走り寄ってヘルメットを被る。エンジンを吹かした後、長く息を吐き出す。
「やっぱ、自分を殺すなんて俺らしくないよな」
 自嘲した俺は、警察に捕まらないようにと頭では解っていても、感情が先走って仕方なかった。また、風邪引かせたら大変だもんね。覚悟を決めた俺は、アクセルを入れてバイクを走らせた。
 車のテールランプを幾つ追い越しても、幸慈に近付いてる気がしない。そんな不安を、ヘルメットを打つ雨音が煽る。誘拐するなら、本気で家に閉じ込めれば良かった。そうすれば、こんな事にはならなかったのに。でも、それは絶対に出来ないんだろうな。それこそ、幸慈は全てを投げ出してしまいそうだから。自分を、悪者にして。歩道橋を通り抜けた辺りで、幸慈が大通りではなく、住宅街や小道を選んでいたらどうしよう、と、今更な不安が頭を過る。幸慈の事だから、知らない道は選ばないと思うけど。でも、勘を頼りに、行き止まりの方へ行こうとしてた行動力もあるし。どうしよう、色々考えすぎて運転に集中出来ない。今度こっそりGPS付けとこうかな。バレたら絶対に殺される。まぁ、幸慈に殺されるなら良いんだけどね。実際、初対面の日から殺されそうになったし。その後だって、何度も呆れられて責められて避けられて、挙げ句の果てに怒られて。でも、せっかくならどんな形であっても、一緒に長生きしたい。とりあえず、幸慈が風邪を引いたら全力で看病をしよう。赤信号に捕まって舌打ちしていると、女子高生が怯えたような表情で俺の横を通りすぎていった。少し気になって遠くの方へ視線を向けると、オジィの経営してるファミレスがあった。幸慈をデートに連れ出して、最初に行った場所だからよく覚えてる。最悪な思い出しかない。水も滴る良い男だとは思ったけど、同時に俺の肝も冷えたよ。
「何だ?」
 店の少し先で何人かが立っているのが見えた俺は、嫌な違和感にバイクを近くに止めて、急いで降りて駆け寄る。そして、和の中心に居るのが、俺の探していた人物だというのが解った。何を話してるのかは解らなかったけど、幸慈の持っているナイフに、血が付いていたことが俺の心臓を速くする。
「幸慈!」
 男の間を割って入った俺は、急いで幸慈の手からナイフを奪おうと手を伸ばしたけど、逆にそのナイフを突き付けられた。その流れが、あの日の廊下での出来事と重なって、背中に何かが沸き上がる。本当、極上に良い男。
の邪魔するな」
 自分をと言っているって事は、幸慈はかなりお怒りのようだ。
「それ、誰の血?」
「誰の……さぁ」
 考える素振りを見せはするが、どうやら俺とのやり取りには興味がないらしい。純粋に寂しいです。
「ふざけんじゃねぇよ!人数的にもこのゲームは俺達の勝ちなんだよ!」
 ふざけてんのはどっちだよ。俺の幸慈に何を言いやがった。後ろでキャンキャンと煩い男を蹴り倒して黙らせる。その時、街路樹に背中を預けてる奴が居ることに気が付いた。腕から流れる微かな血を見て、ナイフに付いたのはコイツのだと理解して腹が立つ。俺以外の男の血が付いたものを、いつまでも持たせたくない。
「早く失せてくんねぇかな。苛々して仕方ないんだけど」
 人の親切心を無にするように、全員が騒ぎ始めたから、纏めて黙らせる。幸慈がジッとしててくれた事が、何よりも救いだった。幸慈を宥めながら喧嘩とか、メチャクチャ大変に決まってる。
「死んだ?」
「気絶してるだけじゃないかな」
 漫画だったら、星が綺麗に頭の周りを回ってる感じかな。問題は目の前の可愛いお怒りさんだ。
「新しいナイフ買ってるとか驚きなんですけど」
 横を通りすぎようとする幸慈のナイフを持つ右手を掴んで、軽く捻って危険物を没収した。持ち手に血は付いてない。良かった。家庭科室みたいな事には、ならなかったみたい。少しは痛いはずなんだけど、幸慈は顔色を変えずに、地面に寝てる奴等を殺そうと抵抗してくる。何でこんなクズ共に拘るのさ。
「俺を見てよ」
 俺の言葉に幸慈は力を弱めて、動きを止める。
「……見たら教えてくれるのか?」
「何を?」
 俯く幸慈の顔を覗き込もうとするが、さらに俯かれてしまった。
「とにかく此処から離れよう」
 俺はナイフをズボンのポケットに入れて、抵抗してくる幸慈を無理矢理引きずり、エプロンを拾ってその場から離れる。オートバイはオジィに連絡を入れて、近くの店で預かってもらうことにした。邪魔されないで幸慈と話をするための場所は無いかと探したけど、全くと言って良いくらいに思い当たらなかった。ホテルに行くわけにも行かないし。つか、俺の理性の為にも行けない。かと言って、このまま歩き回ってても風邪を引くだけだ。実際、寒さからか幸慈の手が微かに震え始めてる。せめて着てるものだけでも、と思って頭をよぎったのは、幸慈の服を買ったところだった。また濡れた状態の幸慈を連れていくことになるとは思わなかったけど、それに関して考えるのは後回しにしよう。目的地が近づいてきた頃、幸慈がよろめいたのを感じて足を止める。心配で様子を窺おうとした時、幸慈の頬が雨以外のもので濡れてるのが解った。それを拭おうと左手を伸ばしたけど、避けるようにそっぽを向かれてしまう。
「幸慈」
 名前を呼んでも無反応。プライドが強いから、泣き顔を見られたくないのかと自己解決して足を動かすと、幸慈の手首を掴んでいた手に痛みが走って、反射的に力を緩めた。幸慈はスルリと手を引いて、自由になった手を軽く回して俺に背中を向ける。空いた方の手で手首を捻られたと理解した俺は、眉をしかめて手を放したことを反省する。骨折してでも捕まえとかないと駄目なのに。
「バイトに戻る」
「駄目に決まってんじゃん」
 徐々に痛みを訴え始める手を無視して、もう一度幸慈の手を掴もうとしたけど、それは叶わなかった。
「オマエ以外の誰があの二匹を守るんだよ」
 オマエじゃない。
「だったら、誰が幸慈を守るのさ」
「そんなの必要ない」
「嘘言うなよ!どれだけ自分を否定するんだよ!」
 どうなっても良いみたいに言う姿が、どうしようもなく切なくて、そう言わせた自分に一番腹が立つ。今まで幸慈に投げ続けた言葉は、全部無意味だったのかと、肩を落としかけた。
「いい加減、僕から離れてくれよ」
「何それ」
 俺の気持ちを知っているくせに、遠ざけようとするのは今に始まったことじゃない。でも、この状況で言われるのは嫌だ。俺は幸慈の胸ぐらを掴んで見えない顔を睨み付けた。
「また俺から目を背けるの?また逃げようとするの?そうやって全部を否定するのは止めてって言ったよね?」
 わざと疑問系で聞いているのに、幸慈は黙ったまま口を開こうとしなかった。
「何でこんな手のかかるのを好きになっちゃたかな」
 好きなんだから仕方ないけどね。理由がない。それが一番、痛くて苦しい。
「だったら今すぐ嫌いになれよ。僕の事なんか忘れればいいだろ」
 どうしてそうなるのかな。
「オマエ一人居なくなったところで、僕には何の関係もない」
「ふざけるなっ!」
 幸慈を無理やり路地に連れ込んで、壁に背中を押し付ける。幸慈の足はもつれ、落ちていた缶や瓶を蹴ったせいか、足が真っ直ぐ伸びてなくて、いつもより低い場所に頭があった。けど、今は優しくしようと思えない。
「関係ないってなんだよ。幸慈にとっての俺って、それ位のもんなの?」
 そんな簡単に消える位の存在でしかないのかよ。そんなのってあんまりだ。
「どんだけ、俺を惨めにするのさ」
「嫌いな人間相手に、惨めも何もないだろ」
「嫌いなわけないだろ!こんな、息が出来ないくらいに苦しいのが、恋じゃないなら何だっていうの!?教えてよ!」
「死神に解るわけないだろ」
 死神という言葉に、俺はさっきの奴らが幸慈に絡んでいた理由を理解した。幸慈を標的にした死神狩りは、今も独り歩きをしてるってことか。やっぱり、元を絶っても意味無かったな。
「死神とか関係ないって」
「人殺しの血が混ざってるんだから、丁度良いだろ」
 何で、自分の事を、そんな他人事みたいに言えるんだよ。初めて会った時からそうだった。幸慈は自分の事を、誰よりも他人事として捉えてる。
「幸慈は死神でも人殺しでもない」
「だったら何になれば良いんだよ!」
 空気を震わすような訴えに、俺は体に力を入れなおした。どんな言葉にも耐えられるように。幸慈の両手が俺の胸ぐらを掴んできたけど、顔は伏せたままだった。
「何一つ守れてない人間は、自分を否定する以外にどうすることも出来ないんだよ」
 守れてないなんて言葉を、幸慈の口から聞くなんて思ってなかった。
「立派にミーちゃんを守ってきたじゃん」
「それが無意味だったんだよ」
 無意味なんて言わないで。自分を押し殺すように吐き出される言葉に、俺の心はギシギシと悲鳴を上げる。幸慈をここまで追い詰めたものは、ミーちゃんへの想い。それが全てを占めていたんだ。何で俺じゃないの。
「アイツ等のゲームは僕だけじゃなくて、未来のことも含まれてた」
 何で俺じゃないのかな。
「僕が全部を背負って、アイツと同じになる以外にどんな守り方があるんだよ」
 俺だったら、こんなこと言わせないし、考えさせないのに。幸慈の胸ぐらを掴んでいた手を包むように、自分の手を重ねた。
「何も守れてない。僕はあの日のまま、何一つ変われてない。ずっと、ずっと……変わったつもりで居ただけだった」
 幸慈という存在が居てくれるだけで、どれだけ俺を幸せにするのかを伝えるには、言葉が足りなくて、そっと抱き寄せる事しか出来なかった。
「だから、守り合うのかもしれないね」
 そのままの幸慈で良いけど、それは嫌だと思うから。
「正しい守り方が解らないから、誰かと一緒に守っていくんだと思うよ」
 誰かは、俺じゃ駄目ですか?
「それは、鹿沼とって事か?」
 本当、悲しいくらいに馬鹿で可愛くて困る。俺は幸慈の両頬を強く摘まんだ。その手をすぐ離す変わりに、幸慈の顔を上に向けた。
「痛いだろうが!」
 俺の心の方が重症だし。
「この状況で、何で秋谷の名前を出すのかな?」
 俺の事を睨む幸慈の目は、天気のせいでよく解らないけど、きっと赤くなってるに違いない。また、ミーちゃんの為に流した涙なのかと思うと、気が狂いそうだった。ねぇ、これ以上、俺以外の事で傷付かないでよ。
「鹿沼は未来と付き合ってるんだから、一緒にってなったら他に考えられない」
 そうですか、そうですか。右腕で幸慈の体を抱き寄せて、左手で幸慈が下を向かないように顎を掴んだ。
「じゃあさ」
 幸慈が俺の望む形で守る事をしないなら。
「俺の好きなように幸慈を守っても文句言わないでね」
「断る」
「イッテェ!」
 よっぽど嫌だったらしい。踏みつけられた足の痛みに涙を浮かべていると、幸慈は地面に落ちているエプロンを拾った。落としたことにすら気付かなかったな。雨水を吸い込んだエプロンからは、絞らなくても水が滴り落ちていた。
「とりあえず、体を温めて着替えをするって事を優先しませんか?」
 俺の提案に少し間を置いてから、幸慈は嫌そうに溜め息を吐いた。
「この格好で戻ったら店の中が水浸しになるな」
 肯定の言葉に内心でガッツポーズをした俺は、幸慈の手からエプロンを奪う変わりに、手を掴んで走り出した。途中転びそうになりながら俺の後を必死についてくる幸慈に笑顔が隠せない。まぁ、手を掴んでるから当然なんだけどね。体育の時みたいに、幸慈の背中を追いかけるのも悪くないけど、今日みたいなのも悪くない。
「とうちゃーく!」
 足を止めて後ろの幸慈に降り返ると、肩で息をしていた。
「平気?」
「僕の歩幅のことを少しは考えろっ」
 初めて幸慈を連れ回した時も同じことを言われたっけ。まぁ、怒りは鎮まったみたいだから、良しとしましょう。
「また風邪引いたら俺のせいになる?」
「……半分はな」
「後の半分は?」
「自然災害」
「天気予報士じゃないの?」
「自然相手の仕事なんだ。責める気にもならない」
 天気予報士は眼中にないらしい。天気予報士になるという将来の夢は、幸慈にはなさそうだ。幸慈の手を引いて中に入ると、案内カウンターの従業員が気を利かせてタオルを持ってきてくれた。受け取ったタオルを幸慈に渡そうとした時、俺の思考は完全に停止する。外に居たときは気にする余裕が無かったけど、改めて幸慈を見るとヤバイのなんのって。ベストの下の透けたシャツと濡れたズボンが肌に貼り付いて、体のラインが色っぽく現れていた。前髪をかきあげ横に流す仕草に、無意識に息を飲む。此処が自分の部屋だったら確実に理性を捨てていたに違いない。ホテルに避難しなくて良かったと、心から思った。
「タオル」
「へ?」
「へ?じゃなくて、タオル」
 幸慈がタオルを指差したことで、俺の思考は平常運転を再開する。タオルで髪を出来るだけ拭いて、服の上から体を拭く。靴の中がびしょびしょなのは、もうしばらく我慢しよう。新しい物を買うまでの辛抱と自分に言い聞かせて幸慈を待った。
「古着屋ってあるのか?」
 この子ってば何を言ってるのかしら。
「あるわけないでしょー。ほら、行くよー」
「ちょっ」
 幸慈の事だから、お金は後日返すとか言いそうだ。そう言われる前に、お返しは美味しくて甘いカフェオレが良い、と、言わせてもらった。この間と同じ店に入ってすぐに個室に通してもらう。雨で店も空いてるし、床をびしょびしょにしても大丈夫そうだ。幸慈は店に足を踏み入れるのも嫌がったから、肩に担いでVIPルームに運ぶことにした。
「臨時で着るんだから古着でも良いだろ」
 担がれながら抗議してくるところが幸慈らしい。VIPルームに運んだ後、下ろした幸慈の両肩を掴む。
「この建物内に古着屋があると思ってるの?」
「無いのか?」
 真顔で聞き返されるとは思ってなかった。
「俺の説教を長々聞きたい?」
「何でオマエ……あー、檜山に怒られないといけないんだよ」
 どんどん鈍さが増してる気がするのは気のせいにしておこう。うん、そうしよう。
「この店って下着も売ってるのか?」
 下着。その二文字に俺は手に持っていたタオルを落とした。俺の下着がびしょびしょということは、幸慈の下着もびしょびしょって事じゃんか!どうにか深く深呼吸を繰り返して冷静を保つ。
「発情しそうです」
 いやもう、冷静って言葉が俺の中で絶滅しそうです。
「店員に言えよ。可愛い人とか居ただろ」
 幸慈の言葉に思考が止まる。
「可愛いって何!?幸慈の心を射止めた相手が居るとか、俺以外に聞きたくないんだけど!」
「社会的一般論で言っただけの言葉にいちいち反応するな」
 社会的一般論が幸慈の中にあるのは当然なんだけど、それに恋愛が絡むとなるとそれすら不安の対象でしかない。
「失礼致します。服をご用意させて頂きました」
「(社会的一般論ねぇ)」
 女性店員が服を並べている後ろ姿を指差して幸慈を見ると、小さく頷かれた。まぁ、確かに社会的一般論を言えばこの子は可愛い方に入る。けど、それを幸慈の口から聞きたくなかった。
「脱いだお洋服と使用済みのタオルはこちらのカゴに御入れください」
「あの、この店に下着ってありますか?」
「し、下着ですか!?」
 幸慈の質問に女性店員は顔を赤くして、俺と幸慈を見た後に急いで個室を出ていった。
「良くない事を聞いたのか?」
 本気で解ってないところが可愛くて大好きです。
「下着は俺が見てくるから、幸慈は服を選んでて」
 落としたタオルをカゴに入れて、個室を出た俺はさっきの店員に、下着は自分でどうにかする事を伝えて、隅の売り場コーナーへ向かう。体育の授業の後に着替えてたのを見た限りだと、ボクサーで問題ないはず。あの日以降、体育の授業の時は、空き教室に連れてって着替えさせてるから、他の男の目には触れさせてないけど。それでも半袖とか短パンになると、周りの目がすごい見てるんだよね。幸慈とミーちゃんセットで拝んでるヤツ居たし。秋谷の顔怖かったなぁ。柄物の下着は嫌いそうだから、無難に黒で良いよね。俺のと色違いで買っちゃおーっと。下着を手にとって個室に戻ると、幸慈はエプロンと睨み合っていた。
「どうしたの?」
「いや、おもいっきり汚したなと思ってただけだ」
 確かにエプロンは土が何ヵ所にも付いていて、簡単に洗って汚れが落ちるかは微妙なところだ。
「頑張って手洗いするか」
 手洗いしてる幸慈を想像しただけでキュンとしてしまった。生で見たい。
「とりあえず、着替えてから考えようよ」
 俺は下着を幸慈に渡して服に目を向けた。今は緊急事態だし、適当なので良いかな。脱いだのを入れる用のカゴと替えの服を幸慈に手渡して先に試着室へ押し込む。俺は待ってる間に暖かいココアを店員に頼んだ。カーテン越しに聞こえる生地同士がぶつかる音や、濡れた肌と生地が触れる音が聞こえる度、俺の理性をこれ以上無いくらいに刺激してきた。もう一度雨に当たってこようかな。別の事を考えるために俺は服を順番に手に取る。その中にあったオレンジのワイシャツが目にとまって、それを広げた。秋の色、か。色もしつこすぎなくて俺の好みだ。幸慈だったらどれが良いだろうか、と考えた所で身震いに襲われた。今度は俺が風邪引きそう。
「俺が倒れたら看病してね」
「断る」
「何で!?」
 聞かなくても解る気がするけどね。
「失礼致します」
 ノックの後に、ココアが入ったカップを二人分乗せたトレーを持って、男の店員が入ってきた。さすがに下着と口走った男の所に女を向かわせないか。賢い賢い。昔だったら、さっきの女の子を口説いてるところだけど、心を入れ換えた俺には無縁になったも同然。
「他に御用がありましたら、遠慮なくお申し付け下さいませ」
「じゃあ、早速だけど、あの服で……」
 買うものを伝えると、店員は丁寧に御辞儀をして出て行った。すぐに試着室のカーテンが開いて、顔を向ける。一言で言えば、幸慈らしい、だ。問題はその着方。
「ちょっ!何でワイシャツの前を全開にしてんのさ!」
 俺は反射的に体ごと幸慈に背を向けた。
「試着室が一つしかないようだったから、早めに開けないとって思っただけだ」
 何か問題があるか、と聞いてくる姿を見たいと思うけど、今はそれどころじゃない。タオルで拭いたとはいえ、それでも濡れた髪を後ろに流して、足首が見える丈のデニムに、前を全開にしたワイシャツとくれば、襲ってくれと言われてるようで気が気じゃない。
「パンツのサイズは大丈夫だった?」
「下着はどれも同じだろ」
 違うと思います。勉強は出来るのに、自分の身の回りの事に関しては、どうしてこうも無関心なんだろう。ココア置いてあるから温まっててね、なんて事を言ってはみたものの、冷静ではいられない。なるべく幸慈を見ないよう、着替えを持って試着室に入った俺は、二度と幸慈を誘拐しないように心がける事を静かに誓う。誓った矢先に、鏡に映った自分が歪んで見えて、口元をひきつらせた。どうやら、風邪をひいたみたいです。
『オジィ、オジィ』
 熱を出した最初の記憶は、六歳の頃。オジィが出張先から天候悪化で家に帰れなかった日だった。
『旦那様は今日は帰れないんです。さぁ、早くベッドに戻って下さい。絵本をお読みします』
『オジィが良い。オジィが良いの』
 ぐずぐず泣きながらオジィを探し回る俺を抱え上げた家政婦は、俺を部屋へと運びベッドに寝かせる。このまま死んでしまうのではないかと思っていた俺は、オジィに助けて欲しくてずっと泣いてた。ようやく薬が効いて眠った俺が目を覚ました時、部屋には誰も居なくて、その真っ暗な光景が今も頭に残ってる。それから、俺の執着欲は酷くなった。常に側に置いて、誰にも触らせない。俺だけの物にすれば、居なくならないと思った。独りにならないための、子供の反抗。上手く隠して生きてきたと思ってたけど、それも、もう無理だ。隠せない。ずっと、探してた。やっと見つけたんだ。俺のたったひとつ。
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