カフェオレはありますか?

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 別に、分かり合いたいわけじゃない。今更恋に夢見てるわけでもない。現にしたいと思わない。嫌悪感すら抱く程だ。だからこそ、急に変わった現状に吐き気がする。社交辞令で構わないのに、そうでないのがストレスに変換されては蓄積していく。檜山アイツに対して好き嫌い等の割り振りはない。ただ、正しい取り扱い方法が解らないのが面倒なだけだ。卵が割れた未来の様に、何かを喜ぶなんて事をしたのはいつだったろうか。嬉しかったのかすら、今はもう解らない。未来と違って可愛げがない子供だったのは自分でも認識している。どうして未来は、今でも俺の傍にいるのだろう。得なんて何一つないのに。下に向かうにつれて騒がしくなる音に耳を塞ぎたくなる。こんな世界の何が楽しいんだ?そんな疑問すら抱く事をしない。関わらないのだから、疑問に思っても無駄。でも、本当なら、未来もあの声の中に居るべきなんじゃないのか。僕が居るから、そうすることが出来ないだけで、本当は。一階に下りた僕は階段の一番下の段に座って溜め息を吐いた後、右足の甲を軽く擦った。あぁ、嫌だな。今日は何だか、面倒な事ばかり考えてしまう。僕以外の人間と親しくしてるところを久しぶりに見たせいかな。いや、それだけでここまで疲れることはない。やはり本調子じゃないのかも。伯父さんに言われたとおり、今日は早く帰ってやることをやって寝よう。そう決めて息を吐く。自分の体を労るのは苦手なんだよな。ゆっくり立ち上がって、軽い目眩をやり過ごす。足が気持ち悪い。自分の物じゃないみたいだ。家庭科室に行く為に足を動かそうとしただけで、軽い眩暈に襲われて壁に手をつく。その自分を鼻で笑う。
「ダッサ」
 情けない身体に嫌気を感じながら、足を家庭科室へと動かした。このまま人生終わるのだろうか。それならそれで構わない。どうせ求められていないんだから。少しでも求められていたなら、あんな事にはならなかっただろうし。伯父さん、プリンちゃんと覚えててくれるかな。どうでもいい心配をしながら家庭科室に近づくにつれ大きくなる声に、不信感を募らせて足を速めた。声の出所が目的の場所から聞こえてくると解った僕は急いでドアを開けて中へ入る。中へ入った僕の目に映ったのは、床の上のタッパとその中身。
「あれ、思ったより早かったじゃん」
 冷蔵庫の前に立つ見たことのない生徒は僕に見せ付けるように床の上のタッパを踏み割った。その光景に男の隣りに居る生徒二人が笑い声を上げる。コイツらは何をしているんだ。何故こんなことをされなければならない?とにかく、どうにかしないと。止めさせようと近づくと、横に居た二人の生徒が阻むように僕の前に立つ。二人の間を無理やり通ろうとすると、右側に立つ坊主頭の膝が僕の腹にめり込んだ。咳き込みながら痛む場所を抱えるようにその場に蹲ると、もう一人の生徒が僕を元居た場所へ蹴り戻す。久々の感覚だ。
「弱ー、噂と全然違うじゃん」
 噂。そうか、コイツらも同じか。
「だなー。これ壊したら帰ろうぜ」
 まだ壊すつもりかと顔を上げると、冷蔵庫からプリンが取り出された光景が目に入る。沢山有る中で、何でそれなんだよ。
『プリンー、プリンー』
 駄目だ。
『嫁さんの分もくれー』
 駄目だ。そんな小さな物だけど、待ってる人が居るんだ。それを壊すなんて。
「やめろ」
 やっとの思いで声を出す僕を、目の前の顔は面白そうに笑ってプリンカップを揺らした。
「ひとぉつ」
 見せ付けるように数を数えてカップを手放す。男の手から放れたカップは重力に従い真っ直ぐに床へと落ちていった。床にぶつかってカップが割れ中身が床に散らばる光景が、残酷にゆっくりと僕の目に映る。
『幸せー』
 檜山アイツの幸せの割れる音がした。生徒が二個目に手を伸ばそうとしたのを見て、近くにあった椅子を三人に投げつける。両端の生徒が離れていった隙に冷蔵庫の前に居る男へ向かって全身で体当たりした。その衝撃で床に倒れこんだ男の上に跨って折りたたみナイフを取り出す。ナイフの刃先を見た生徒は顔色を白くして許しを請うてきたが、それを受け入れるつもりは無い。
は、オマエ等みたいな人間がとても嫌いだ」
 男の震える喉にナイフの刃先を突きつけると、後ろの男二人は大袈裟に足音を立てて逃げていった。所詮人間なんてこんなもの。自分が一番可愛くて仕方がない。だから、結果が自分にとって不利になったらすぐに裏切る。それはもう、清々しい位に。
「頼むっ、助けてくれ!何でもする!」
「じゃあ、殺されてくれよ。俺に喧嘩売った時点で解ってた事だろ。噂、本当で良かったな」
 ナイフを持つ手に力を入れると、後ろの方で何かが投げ捨てられた様な音がした。それに興味が持てずに、目の前の首のどこを切ろうかと刃先を泳がす。最初から大動脈はつまらないな。
「幸慈」
 制止の声に反発するように、ナイフの角度を変える。
「邪魔するな」
「やだ、する」
 そう聞こえる頃には、ナイフを持った右手を強く掴まれていた。
「ナイフを放して」
 何でオマエの命令を聞かないといけないんだ。
「オマエが放せ」
「オマエじゃない」
 気に食わないなら離れていけば良いだろ。一人居なくなったところで何も変わりはしない。その考えとは裏腹に右手を掴む力は強くなる。強くなっていく力に反発するように強く腕を振った。
「放せっ」
「っ」
 自由になった右手を見ると、持っているナイフの刃先に血が付いていた。勢いで殺したのだろうか、と、思って下の男を見たが、気を失っているだけで怪我はしてない。じゃあ、これは誰の血だ。
「痛ってー」
 痛みを訴える声に顔を向けると、右頬から血を流す姿があった。その姿を見て反射的に立ち上がる。同じことをしたのか?アイツ・・・と同じことをしたのか?違う。違う。
「俺は悪くない」
「(俺?)」
 そうだ、邪魔するなって忠告してやったのに、それを無視したのは檜山コイツの方じゃないか。
「邪魔したオマエが悪いんだ」
「……オマエじゃないってば」
 そう言って立ち上がった男は、血の付いた手を差し出してきた。アイツ・・・と同じ手。傷付けるだけの手だ。
「ナイフ頂戴」
 嫌だと首を横に振って男から離れた。渡したらダメだ。あの時みたいになる。
「何で逃げるの?」
 低くなった声に、虚勢を張るようにナイフを両手で持つ。戦わないと。一人で戦わないと。
「壊したコイツ等が悪いんだ。邪魔したオマエが悪いんだ。俺は守ろうとしただけ。悪いことはしてない。何もしてない!」
「……そうだよ。幸慈は何も悪くない(不思議。幸慈が子供に見える)」
 震える両手に重なった手は、とても温かかった。あれ?違う。檜山コイツアイツ・・・じゃない。力の抜けた体は、少しふら付いた後その場に座り込んだ。いつの間にか忘れていた呼吸を再開して、頭を冷ます。体中を走り出した酸素に咳き込み、睫毛が濡れる。
「幸慈、大丈夫?」
 体か?精神か?どちらも、いつも通り絶不調だ。けど、今は嫌味を言う立場じゃない。
「……ごめん」
 現実的に見て、この状況が褒められたものじゃない事は、子供でも容易く理解出来る。
「何で?」
 聞くなよ。
「怪我」
「可愛いもんだよ」
 可愛くないだろ、それ。本当は、もっと別の事でも謝らないといけないのに、それが上手く出てこない。こんな僕なんかが作ったものに、馬鹿みたいに笑って幸せを感じてくれたのに、こんな結果になってごめん、とか、迷惑をかけてごめん、とか、沢山謝らないと。解っているのに、何かが喉を塞いでいるのかと思うほど、言葉が出なかった。檜山コイツの前で弱さを吐き出したくないからかもしれない。今更な現状にも、馬鹿みたいに意地を張る自分に呆れる。床に散らばるものを見る度に、どうしてこんな事になったのかと考えを巡らせるが、答えに辿り着くことは無かった。いや、答えがいつも同じだからこそ、改めて考える必要もない。僕が生きているせいだ。昔から、生きている事に、後ろ指を指されてきた。今日の事は、その延長線上の些細な出来事。ただ、質が悪かっただけ。あぁ、そうだ、未来に、プリン持っていかないと。伯父さんの分は無事かな?ぼんやりとする頭でこれからの事を考えてると、ズボンに入れている携帯が着信を告げるように震えだす。取り出して画面を見ようとしたが、自分が思うよりも強くナイフを握っていたらしく手が上手く動かなかった。
「出るね」
 出なかったらおかしく思うよな。
「悪い」
「謝んないでよ。もしもーし……」
 汚れていない左手で僕のズボンのポケットから携帯を取り出し、怪我をしていない側に携帯を当てる。電話をする間も、顔の傷からは、未だに血が滲み出ていた。檜山コイツが来なかったら、僕は冷静さを取り戻せなかったまま、人殺しになっていただろう。アイツ・・・と同じになっていた。
「プリンは放課後まで我慢するように、鹿沼がミーちゃんに上手く言い聞かせてくれるって。だから、俺達はここを……幸慈?」
 鹿沼には迷惑ばっかりかけてるな。鹿沼の本気をちゃんと信じてやれれば、僕も少しは楽になるんだろうか。楽になりたいのかも解らないのに、適当な事ばかり考えるのは悪い癖だ。鹿沼を信用なんて、出来るのか?自分を信用してないくせに。二人がかりでも、未来を完全に誤魔化すのは無理だろうな。どうせすぐに感づく。いつもそうだ。隠し事は出来ない。だから隠すこともしなくなった。それからは、少し生きやすくなった様な気がする。気がするだけで、現実は変わらないが。手の中のナイフが、それを突き付けてくる。ようやくナイフから手を放す事ができたと思った時には、目の前の檜山おとこの声がとても遠くに感じる様になっていた。なんか、もう、全部が嫌だ。息なんて吸うんじゃなかったな。また、苦しくなるだけじゃないか。視界の端に冷蔵庫のドアが開きっぱなしになっているのを見つけた僕は、閉めようと霞む視界に手を伸ばす。でも、そのドアはとても遠くて、遠くて、何をしても届かないような錯覚に、プツン、と、意識が途切れた。その瞬間、終わりを期待した僕は、なんていやしいのだろう。
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