カフェオレはありますか?

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 僕の朝はいつもより早かった。そのせいか少し頭がボーっとするが、そんな事を気にしてる場合ではない。眼鏡を掛けて階段を下り、顔を洗って歯を磨く事で目を覚ます。台所へ行って、昨日帰ってから下準備しておいた物を冷蔵庫から取り出す。今日は未来の料理教室という事で魚とか肉に下味をつけただけの簡単なものをタッパに入れて持っていくことに決めている。流石に焼く事くらいは出来るだろうと思うが、未来の不器用さを考えて多めに用意はした。
 テーブルに置いておいた母さんの弁当が無いのを見ると、もう出勤したんだろう。医者の仕事は常にイレギュラーと隣り合わせだと思っている。僕を育てながら学校を出て、医者になった母さんは凄い。いつだって、僕の自慢で憧れだ。だから、毎朝の弁当も苦ではない。これくらいしか、感謝を示せないのが歯痒い位だ。
 用意しておいた紙袋に必要なものを一つ一つ確認しながら入れ、部屋に戻り制服に着替え、残りの身支度をして家を出る。ゴミ収集車の姿を見つけ、クローゼットの中の服が一掃されたのを思い出して息を深く吐く。早起きしたにもかかわらず、家を出る予定時間がいつもより五分遅くなってしまった。
 少し早足にコンビニまで行き昼飯を適当に買う。コンビニのアイスコーナーを見て、家庭科室の冷蔵庫って借りられるんだろうか、と、そんな事を考えながら会計を済ませて学校へと足を動かす。いつもより荷物が多いせいか、周りからの視線が多く向けられたが、いつも通り全て無視することにした。
 下駄箱に着いて上履きを取り出そうと手を伸ばした先に、布の切れ端がテープで貼り付けられていたのを見付ける。切れ端の柄は学校のネクタイと同じ柄で、それを手に取ると、チクリと痛みが走って反射的に手を離す。指先を見ると、人差し指に微かに血が滲んでいて、短く息を吐く。改めて布切れを取ると、画鋲がびょうが隠れていて呆れてしまう。布切れの裏には多木崎と書いてあった。ご丁寧に名前の場所だけ返してくれたらしい。とはいえ、その名前の上に赤で死神と書いてあるんだから親切心の欠片もない。
 死神、というのは、僕の事を指しているという事を知っている。死神と後ろ指を指されるようになって何年目だろうか。そんな事を考えるのもどうでも良くなるほど昔の事過ぎて思い出せない。布切れを画鋲がびょうと一緒に近くのゴミ箱に捨てて教室を目指す。賑わっていた廊下が、教室に近付くにつれて静けさが増しているのは何でだ。不思議に思いながら教室に足を踏み入れる。
「おっはよー!幸慈ー!」
 原因は檜山オマエか。朝からこのテンションの奴と関わるとか心底無理。そもそも、なんで僕の席に座ってるんだ。机が没収されているならまだしも、残念ながらそんな事にはなっていないだろうに。
「おはよう幸慈。遅かったね」
 暢気に挨拶をするくらいなら檜山おとこを退けてほしいものだ。
「おかげさまでな。これ冷蔵庫入れて来い」
 紙袋を檜山おとこに渡して鞄を自分の机に置く。ようやく肩の荷が下りた。
「喜んでー!」
 笑顔で紙袋を受け取った檜山おとこは、ジッと僕の手を見て目を細めた。動かずに一ヶ所を見る姿が不気味で眉をしかめる。
「何だよ」
「うん」
「は?」
 会話になってない。紙袋を持って立ち上がった檜山おとこは僕の手を掴んで、画鋲がびょうの刺さった場所に、自分の唇を当ててきた。
「ヒ、ヒーくん!?」
 未来が顔を赤くしながら驚いて声を出すのと同時に、僕は手を引っ込めた。何を考えてるんだ檜山コイツは。不気味にも程がある。常識人とも日本人とも思えない行動に檜山おとこを睨みつけると、ニッコリ笑って頭を撫でてきた。
「よしよし」
 その手をすぐに払って眉をしかめる。
「なんなんだよ。そういうのは未来にやれ」
「俺に死ねと?」
「は?……あぁ、それは名案だな」
 未来の頭を撫でると鹿沼の嫉妬に触れて殺される、という意味合いで言っているのだと理解した僕は、その案に賛同する。現に鹿沼はすでに殺気を放出しているから、頼めばすぐに黙らせてくれそうだ。
「今のは速攻却下するところだから!」
 僕が却下するような人間に見えているんだろうか。
「早くしまってこいよ。腐るだろうが」
「へいへい」
 鹿沼にさとされて紙袋を抱え教室を出て行く檜山おとこの後姿を見送ることなく、僕はようやく自分の席に座れた事に息を吐く。
「悪いな、今日はいつも以上に騒がしいんだ」
 これより静かな時があるのか。そんなの見たことないが。
「早く幸慈に会いたくて一番に登校したんだって」
 寝れないかもみたいな事は言っていたが、まさかここまで子供染みているとは思ってなかった。未来の言葉に呆れ溜め息を吐いた僕は、教科書を机の中に移し、鞄を机横のフックに掛けて未来の彼氏に視線を向ける。
「おい、未来の恋人」
 僕が呼ぶと、何故か恋人ではなく未来が顔を赤くした。恋人、といった呼ばれ方にまだ慣れていないようだ。
「鹿沼でいい。何だ?」
 それは助かる。ずっと未来の彼氏と呼ぶのはしんどいと思っていたから、ありがたく申し出を受ける事にした。
「胃薬は持ってるか?」
 僕の質問に鹿沼は怪訝な顔をした。
「胃薬?持ってないが、それがどうかしたのか?」
 普段から胃薬を持ち歩いてるなんてストレスと戦ってる人くらいかもな。前もって言えれば良かったが。今回は仕方ないな。
「まぁ、ちょっと、な。気にしないでくれ」
 四時間目は伯父さんに立ち会ってもらおう。あれでも保険医なんだから居ないよりは居た方が良いに決まってる。時計を見て、時間にまだ余裕があることを確認して、二人にすぐに戻る事だけを伝えて教室を出た。早足で廊下を歩き階段を下りて一階に着くと、丁度保健室へ向かう伯父さんを見つけて引き止める。僕を見た伯父さんは長い溜め息をわざとらしく吐いた。その反応に不満を抱いた僕は、伯父さんを睨む。良からぬ事をしようとしているわけでもないのに勝手に面倒事だと決めつけられるのは不愉快極まりない。
「サボリの手伝いはしないぞ」
「不良生徒みたいに言わないでほしいんだけど」
 未だに疑いの眼差しを向けてくる伯父さんに四時間目の自習時間に家庭科室で未来の為に料理教室を開くことになったから保険医として付き添ってほしい、と、話をした。伯父さんはポケットから携帯を取り出して何かを確認してから僕を見る。
「四月は終わったぞ」
 今日の日付を確認していたようだ。エイプリルフールにしか嘘をつかない人間が居るなら会ってみたい。エイプリルフールなのに嘘をつかないで終わる人間の方が圧倒的に多いだろうな。まぁ、未来を知ってる人は皆、伯父さんのように何かの冗談や嘘だと思うに違いない。
「本気だから頼んでるんだ。未来が料理なんて冗談でも言えると思う?」
「……妻の愛妻弁当が今日ほど有難いと思ったことはない」
 それは良かった。
「しかしまぁ、あれだ」
 どれだ。
「上手くやっているなら良かった」
 上手く。鹿沼との事だろうか。
「未来の恋人だからな。嫌な言動をして互いに距離を作ったら、辛い思いをさせるだろ」
「そっちもあるけどな」
 どっちがあるんだ。
「未来くんは何を担当するんだ?」
「基本の卵焼きから」
「ちゃんと火を通すんだぞ」
「解ってるよ」
「未来くんが解ってるかどうか」
「実戦が出来ないだけで理解はある」
「複雑にフォローするんじゃない」
 複雑って。フォローにも種類があるとは知らなかった。不安でソワソワし始めた伯父さんに、時間になったら家庭科室に直接来てくれるように頼んで承諾をもらった。今から青ざめた顔をするのは止めてほしい。遠くなる背中を少しだけ見送って、息を吐く。食べるのは鹿沼なのに、何で伯父さんが不安がるのか解らない。生徒を心配する教師にも見えないし。昔から知った者通しだから、我が子みたいな感覚かもな。用事も終わったし、戻るとするか。教室に戻ろうと振り返ると、知らない生徒が立っていて僕を睨み付けていた。その光景に息を吐いて肩を落とす。要らない用事というのは一方的に出来るものだ。
 顎で付いてこいと指図され足を動かす。通り過ぎる時計を気にしながらトイレに入る姿に肩を落として、殴るのは後が面倒だな、と暢気に考える。付いてこいと指図された時点で、殴ったり蹴ったりという事を覚悟していたから、諦めもすぐに付くと言うものだ。すぐに教室に戻れるだろうと思ってトイレに入った。が、実際は1メートル以上離れたところから睨まれたままの状況が続いている。時間の無駄だと判断して帰ろうと体の向きを帰ると、焦ったのかようやく相手が口を開く。
「おっ、オマエ、調子乗ってんじゃねぇぞ」
 調子に乗ってる、の判断基準は人それぞれ違うから何とも言いがたいが、静かに生活をしてる僕のどこが気に触ったんだろうか。声を震わせながら抗議して来る程だ。何かしら不愉快な思いをさせてしまったんだろう。まぁ、世間的に調子に乗ってるというのは、金髪でピアス開けまくってるのが格好良いと思ってるアンタと後ろ三人のことを言うと思うんだが。そもそも、四人居るのに僕一人に対して警戒し過ぎだろ。
「今構ってもらえるのは罰ゲームか何かでしかないんだからな」
 あぁ、要は自分達が檜山アイツに構ってもらいたいのか。憧れる相手はきちんと吟味した上で決めた方が良いと思うが、ここで余計な事を言い返すと教室に戻るのが遅くなりそうだったので黙ることにした。
 罰ゲームか何か、ね。
 言いたい事を言って満足したのか、不良どもは去っていった。僕の隣を通り過ぎる時だけ早足になるのは如何なものかと思うが、完璧な不良にはなりきれてない姿に、誰か早めに更正させてやってくれ、と、息を吐く。しかし、くだらない事を聞かされるために僕は男子トイレに連れてこられて、よく解らない沈黙の時間を過ごしたのか。まぁ、殴られなくて良かった。正当防衛は手加減出来た事がないからな。
 罰ゲームと言われても、本人はそうじゃないんだからどうしようもないだろ。僕に出来るのは檜山アイツの興味が他所よそに移るのを待つだけだ。
 弁当、ちゃんと冷蔵庫に入れられてたら良いけど。
 僕は少し赤さが残る手首を軽く擦った。昨日の出来事を思い出して眉をしかめる。あんなマジで惚れてる顔が演技なわけないだろ。あの信者みたいな生徒の顔は覚えておこう。せっかくだから怪我した指を洗ってハンカチで拭いた。拭きながら、なんでこんな怪我に気が付いたんだろうか、と、謎の洞察力に眉を寄せトイレから出る。
 廊下を歩いていると、僕が一人で居ることが珍しいのか視線を感じて息を吐く。檻の中の動物は、どんな気持ちで通り過ぎる人間を見ているんだろうか。こんなにも注目されるのは、きっと檜山アイツと関わったせい。死神よりも質が悪い憑き物に好かれた気分だ。
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