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第四章 関ヶ原合戦
関ヶ原前夜
しおりを挟む話は、岐阜城陥落の直後に戻る。
岐阜城の陥落をもって、江戸に引き籠っていた徳川家康は出勢した。
通説では家康は正則たち豊臣系の大名に対し、「まず手柄を見せてくれ」といって、江戸を出なかったと言われているが、あらたな説として、家康は「内府ちがいの条々」を出されて罪を得て、江戸に引き籠らざるを得なくなった――と考えるべきである。本作もその説に沿って物語っている。
徳川家康は江戸に籠もっていたのだが、正則たちが岐阜城を落したことによって、自身が出馬しなければ、このまま影響力を失ってしまうと、危機感をおぼえ、西上を始めたと考える。こちらの方が筋道が通っている。そしてこれは徳川家康にとっての一大博奕であった。
むろん出征して勝ちをおさめれば、それこそ天下も望めようが、逆に敗れてしまえば身の破滅である。徳川家は失われ、家康が抱えていた多くの家臣達が禄を失うことになる。慎重居士といわれていた家康にとって、まさしくのるかそるかの出征であった。
九月一日、岐阜城陥落により、西方(西軍)との対決姿勢を鮮明にした福島正則らへの影響力を失いたくなかった家康は、自身のその後に不安を抱えつつも江戸を出た。
家康が幸運だったのは、「内府ちがいの条々」という家康の弾劾状が、それほどの価値をもって家康に通じた武将たち(つまり福島ら、東軍に加担した豊臣系大名たち)に、その重要性を認められなかった点にあろう。
いわゆる武断派、と呼ばれる系統の武将たちは、戦いで石田三成側の行動を封じ込められればそれでよかったのであって、筋目とか法規とかを振りまわすような奴らは「うさん臭い奴らだ」ぐらいの認識であったようだ。
事実、この条規も、長束正家、増田長盛、前田玄以の名前で出ており、書状中で秀頼のことを言及はしているが、書状そのものは秀頼からの命令ではない、と撥ねつけられたような印象を受ける。
家康自身はひやひやしながら西上したであろうが、現地は「家康待ち」であった。
そして九月十一日、家康は清須城に到着する。
さらに翌々日にあたる十三日には岐阜城に登った。
そのころ東軍と一般に称される関東軍は、岐阜の赤坂に主力があり、家康も翌十四日には、赤坂城に入った。
軍議がさっそくひらかれ、家康の前で、上方軍が拠っている大垣城を攻めるべし、という意見と、大垣を素通りして直に大坂に向かうべし、という意見に二分された。
前者は池田輝政と井伊直政が強く推し、後者は福島正則と本多忠勝が推した。特に、後者の説では、岐阜から大坂まで距離があり、前途も多難と思われるのだが、正則は、理想論ともいうべき、この説を強く推したのであった。
意見が二分して、話し合いが四分五裂になりかかったところ、家康がおもむろに、
「まず、佐和山を落とし、つぎに大坂に向かう。佐和山に兵を向ければ、大垣からもこらえ性のないネズミが出てこよう」
といった。
家康が、三成たち上方軍を「ネズミ」と矮小化したことで、場に微笑いがもたらされた。
その場の皆も家康の意見を諒承し、軍議はそのように決した。
この日の夜、正則は一勝と夜物語をしていた。
もう秋も暮れのころのである、夜風が冷たかった。秋に鳴く虫たちも心なしか元気がない。
そんな秋の原を正則と一勝は同伴して歩いた。
二人が話すことは自然、それまで二人でくぐり抜けてきたいくさのこととなった。
そのはなしの中でも、二人は、小牧・長久手の戦いの話をしていた。
「天下分け目と言えば、小牧の陣はなかなか手強いいくさであったな」
「左様で」
「太閤殿下(秀吉)は、関白殿下(秀次)をえらく叱責されてな……」
「たしかに、左様なことがございましたな」
二人は昔話に笑った。
「太閤殿下のすごいところは、ひとたびいくさで負けたら、その場にとどまらないところだ。すぐ兵を退いて、伊勢攻めを敢行された。それで(織田)信雄様は音をあげられてしまって、すぐ太閤殿下と講和を結んで、内府殿(家康)は、なすすべを失ってしまったのじゃ」
「まさしく、左様で」
すると、二人のもとに、間者から、報せが届いた。
幾重にも折られた紙片をめくって、墨字に正則が目をやると、かれの顔は、見るまに紅潮した。
「殿、いかがなされましたか」
「うむ、乱波からの報せによると、『敵勢こよひの中に大柿(大垣)を出て、牧田街道を経て関原表へ をし出す(押し出す)やうに見え候』とある。我らも急いでいくさ備えをして、関ヶ原に向かわねば、敵方にいいようにやられてしまうぞ。勘兵衛、すまぬが、そちが直々に内府様へこの仔細を言上してくれ」
「はっ、畏まって候」
一勝は、すぐ馬を曳かせて家康の陣に走った。
岐阜の地に雨が降り出した。
正則は、急いで甲冑を着込み、湯漬けをかきこんで、いくさ備えをした。
やがて外は、激しい雨になった。九月十四日の夜半――。
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