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第四章 関ヶ原合戦
長尾一勝、調略に奔(はし)る
しおりを挟む福島正則が上杉討伐に行ったさい、家老の長尾一勝は同行せず、清須城の留守居をしていた。
石田三成は軍事的に重要な位置にある尾張清須を西軍に組み入れるべく、木村重則を八月五日に派遣した。
家康一行が西に向けて行軍をすすめたが、まだ清須あたりでは、家康らは上杉討伐に手を砕いているものと思われていた。
それは三成も同じで、家康が北で足止めを食っているあいだに、関西の地盤を強固なものにしたいと動いていた。
清須への木村重則の派遣は、とうぜん、その一環なのである。
清須の留守居の津田備中守長義は、正則の妻の父で、正則とっては岳父である。
木村重則が清須城にやってきたとき、津田長義は、
「殿(福島正則)は太閤殿下の連枝につながるお方。とうぜん、上方勢につくであろうから、上方の兵をお城(清須城)にいれること、良かろう」
と、周囲の意見をまとめにかかった。それに反対したのが、長尾一勝である。
「あいや、待たれたい」
「なにか、長尾どの」
長義は、自分の意見をさえぎられ、怪訝な表情を見せた。
「それがし思いまするに、主命でもないのに、勝手に上方の兵を入れることには反対でござる」
長義は、ムっ、として、
「長尾どの、お主は、なぜにそう四角四面な考えをなされる。いま上方兵を入れねば、秀頼様の覚えも悪かろう」
一勝は毅然として答える。
「我らは福島正則が家臣。秀頼様にとっては陪臣にあたります。我らは主命を守るのが第一でござって、天下様への応対は殿(福島正則)にとってもらえばよろしい。われらは福島正則の家臣であって、豊臣秀頼さまは直接の主人ではござらぬ」
いつもは温厚な長義が、ぷんぷんと怒って、
「この件で、殿が秀頼様への忠義を果たせなかった場合は、腹切ってもらいますぞ、長尾どの!」
「委細承知」
と長尾一勝は木村重則を帰してしまった。
むろん正則は家康派なので一勝の判断は正しかった。
後日、このいきさつを聞いた徳川家康は一勝を激賞したのであった。一勝は男を上げた。
しかしながら、上方勢(西軍)は尾張の犬山城や美濃の竹ヶ鼻城、大垣城などの主要拠点とその支城群をおさえ、清須城は孤立した。いわゆる徳川家康側である東軍の勢力は東海地方では劣勢だった。
八月十四日、正則は清須に帰ってきたが、長尾一勝の判断を大いにほめた。
正則は一勝に対して、このあとは、正則に付いて、「上方勢を攻めてもらう」と命じた。一勝も受けた。
一勝は正則へ、すぐに献策し、この周囲は上方勢にかこまれているので、このあたりの最大の拠点である岐阜城をおとして、家康への土産としてはどうかと提案した。
この提案には、岐阜城の主人である織田秀信の家老の木造長政と一勝はかつて伊勢の国で面識がある。
「それがし、岐阜城の家老の木造大膳亮どの(長政)とは、旧知であります」
一勝の言葉に、正則もおどろいた。
「ほう、勘兵衛、お主、木造様と懇意なのか?」
「はい。まだそれがしが北伊勢の部屋住みであったころ、木造さまを語らって、開城をおすすめしたことがあります」
これは第一部にエピソードとしてでている。
「なるほど、そんなことがあったのか……よろしい、勘兵衛。木造大膳さまを語らって岐阜城を開城せしめよ」
「畏まって候」
この一勝の提案には、福島正則も感心して、「勘兵衛、よくぞ調略の献策をしてくれた。やはり持つべきものはよき家臣である」と褒めた。
一勝は伝手を辿って木造長政と対面できた。
「お久しぶりにございますな。山路久之丞どの。その顔のお傷、相当な武功を積みかさねられたようで」
「現在は、長尾隼人正一勝を名のっております。顔の傷は武人の誇りというものです」
「いや、仰るとおり。揶揄するつもりはござらなんだ。そうですか、いまは長尾を名のっておられるのですな。長尾は伊勢の名家。良き名を継がれた」
「ありがとう存じます。木造さまもご壮健そうで」
「…………」
木造長政は複雑な表情をしている。やや沈黙があって、口を開いた。
「……このように世知辛い世の中です。あなたからのお呼び出しは、岐阜城の開城を約してほしいというものでしょうか?」
いきなりずけりと切りだされて、一勝は出鼻をくじかれた。
「はは……木造さまにはすべてお見通しで……左様、岐阜城を開城されたい。お力をお貸しいただけまいか?」
一勝は頭を下げた。
「頭をお上げいただきたい。私とてやれることと出来ぬことがある。こたびの長尾どののお申し出はうけられぬ類でござれば……」
「なぜでござりますか」
「我が殿、織田秀信様は、誇り高き織田家の当主にございます。信長公と信忠公を無上のお方とお慕い致しております。開城は、その御方の顔に泥を塗るにひとしく……」
言葉の末尾も曖昧に頭を下げる木造大膳。
その木造大膳の顔のまえに、右手を開いて言葉を制止させた一勝。
「あいや、それまで。私とて、武人の誇りを傷つけてまで、開城を迫ろうとは思いませぬ。次にお会いできるときがあれば、城攻めの時でしょう」
「長尾どの……」
一勝は木造大膳に会釈して、調略をやめた。
陣に帰って調略が不調に終わったことを正則に詫びた一勝だったが、案に反して正則はうれしそうであった。
「そうか、秀信さまがそこまでご立派になられたか」
正則はそう独りごちて、一勝を責めなかった。
織田秀信というのは、幼名を三法師といい、織田信長の息子である信忠の実子である。秀信は豊臣秀吉から鄭重に扱われたこともあり、秀吉にわるい感情はない。とうぜん福島正則にも、良い感情がある。ときがときなれば天下様といわれていたかもしれないが、秀吉に甘やかされて育てられたため、気位ばかりが高い、世間知らずに育った。
いまは岐阜城の主人として、美濃をおさめていた。
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