がむしゃら三兄弟 第三部・長尾隼人正一勝編

林 本丸

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第三章 朝鮮の役

朝鮮陣

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 九州北部で待機していた日本軍は、四月に釜山プサンへ上陸し、漢城ソウルに向けて進軍した。
 各担当部署は、小西行長こにしゆきなが平安道ピョンアンド加藤清正かとうきよまさ咸鏡道ハムギョンド黒田長政くろだながまさ黄海道ファンヘド毛利吉成もうりよしなり江原道カンウォンド全羅道チョルラドには小早川隆景こばやかわたかかげ慶尚道キョンサンドには毛利輝元もうりてるもと福島正則ふくしままさのりを中心とする伊予いよ勢は忠清道チュンチョドの担当であり、漢城総督ソウルそうかん宇喜多うきた秀家ひでいえが就いた。
 朝鮮戦役の初期は、燎原りょうげんに火が燃え広がるがごとく、日本軍はあっという間に漢城ソウルを陥すとさらに北に向けて兵をすすめた。
 征服なった忠清道チュンチョドは、漢城ソウル釜山プサンの中間にある土地であり、正則まさのりたちの仕事の中心は、兵站へいたんの保全と輸送がおもな任務であった。
 ために正則の兵らは赫々かっかくたる武勲ぶくんを立てることはできず、そこにおいて不満が充満し、正則は兵らの操縦そうじゅうに困苦することになった。
 家老である一勝かずかつは、常に正則の側にある。正則の苦労や苦悩も一緒に共有する仲なのである。
「殿、お疲れのようでございますな」
 一勝は兎唇としんである。口からしゅうしゅうと息が漏れ、聴きとりづらい一勝の言葉も、正則には手にとるようにわかる。
 一勝の言葉に曖昧に笑みをつくって、ぷいとそっぽを向いた。
 目に悔し涙がたまる。
 一勝は正則の苦衷くちゅうを思って、見て見ぬふりをした。
小西こにしも、虎之助とらのすけ加藤清正かとうきよまさ)も、めざましい活躍をしていると聞く。それでありながら、わしは毎日輜重しちょうの管理。兵らの不満もたまる。口惜しいものだ……」
 一勝はそっぽを向いてつぶやく正則の背に語った。
治部少輔じぶのしょう殿(石田三成いしだみつなり)も、輜重しちょうの管理をして頭角とうかくをあらわしたとか。太閤様たいこうさま(秀吉)は、そうした活躍も見逃しませぬ。殿の苦労は必ず報われましょう」
「ふっ、治部じぶか。あの者のようには、うまく立ち回れぬ。わしの根が武骨ぶこつなだけにな」
 言葉に正則まさのり揶揄やゆの色が混じる。
「そうそう、投げやりになられてはなりませぬ。必ず、良い目は回ってきます」
 正則は目頭を指でぬぐった。
「お主に花を持たせるか。そうしておく」
 正則は、振返り、にっ、と笑った。
 そうした正則に苦難は、何度も訪れた。
 正則まさのりが、慶州キョンジュ城を守っていたときである。敵将の朴晋パクジンが来攻して来た。
 敵の少数をあなどった正則は、パクを生け捕ってやろうと、一部の兵をまとめて敵の本陣に突貫とっかんした。
 朴将軍パクしょうぐん策士さくしであった。別働隊をつかって、その隊から「震天雷しんてんらい」と名づけた爆弾を慶州キョンジュ城に発射した。
 震天雷しんてんらいは小ぶりな爆弾で、城の中庭に落ちたが、爆発しなかったので、守兵が物珍しそうに眺めていたら、やにわに大爆発!
 死傷者のおびただしさもさることながら、この一挙に城兵の多くが臆病風おくびょうかぜに吹かれて、城を捨てて逃げ出してしまった。空城からじろとなったところを朴将軍パクしょうぐんは、悠々入城して、城を奪い取ってしまった。
 いい面の皮は正則まさのりである。将軍としての面目ばかりか、城も奪われて、這々ほうほうていで逃げ出すしかなかった。
 まったく、お粗末な戦いぶりであった。

 しかし、不名誉な話ばかりではない。
 正則は忠清道チュンチョドの北に位置する稷山城しょくざんじょうを守っていたとき、どこで聞きつけたか、敵兵が正則が秀吉の親族であり、正則を討つことでいくさが終わる、と信じ、波状的に攻めてきたことがある。
 しかし、正則は敵方が攻め寄せるたびにはねのけ、それを三度くりかえすと、敵兵もあきらめて、兵を退いたという。
 一方で、ここは敵地であり、功をあげても、恩賞が土地というかたちで実を結ばないことが日本の将兵の戦意を抑制させた。
 天正てんしょう二十年(一五九二)は、十二月八日、文禄ぶんろくと改元された。
 最初期こそ調子の良かった日本軍であるが、一年もたたないあいだに、戦線は延びきり、制海権せいかいけんを握られて兵站線へいたんせんはずたずたになった。
 文禄三年(一五九四)になると、李舜臣りしゅんしんに率いられた朝鮮水軍は、巨済島コジェドを守っていた福島隊を攻撃した。
 同年九月二十九日、朝鮮は晴れわたっていた。
 朝鮮水軍は、舟を出し、場門浦ばもんうらの沖合を数十艘でにぎわした。場門浦を守っていた福島正則ふくしままさのりは堅く守って出なかった。
 朝鮮軍は、艫舳ともへに旗を立て、大鉄炮おおでっぽう石火矢いしびやを放って日本側を攻め立てた。
 福島正則は海辺の伏兵ができそうなところに兵を埋伏させ、少数のおとりの兵をもって遠矢とおやをかけていると、おごりたかぶった朝鮮軍は、攻め近寄ってきた。
 福島の囮隊へ島津義弘しまづよしひろが援軍を出すと、混戦こんせんになった。
 このとき福島正則ふくしままさのり長尾一勝ながおかずかつを伴って、二人吶喊とっかんして敵船にぎ出し、そこに枯れ草を撒いて火を放ち、さんざんに敵船を焼いた。
 さすがにこれにりて朝鮮軍は沖の方へ船を退き、数日はにらみ合いになったが、その後に朝鮮側は兵を退いてしまった。
 十月八日には、この局地戦は終結し、日本軍の完勝かんしょうで終わった。
 ――と、勢いのある展開はこの場面だけで、多くの日本軍は、敵兵に城を囲まれ、食べるものもなくなり、苦しい思いばかりであった。特にこの時点において、日本軍は制海権せいかいけんを完全に失っており、日本からの兵粮ひょうろう飼葉かいばや武器・弾薬・矢など、戦争物資の供給がほぼ失われた。補給線ほきゅうせんを失った日本軍はえた。

        ※        ※        ※

 文禄ぶんろく四年(一五九五)七月十五日、関白かんぱく豊臣秀次とよとみひでつぐ自刃じじんした。
 この一大事件は、豊臣政権を大いに動揺させた。
 とくに秀吉の受けた衝撃はそれはそれは大きかった。
 秀吉が動揺したすえに起こした行動は、秀次の子や妻妾さいしょうを皆殺しするという、異常なものだった。
 これにはさすがの一勝も同意しかね、正則に言上した。
「殿、太閤殿下の一挙、この一勝、我慢がなりませぬ」
 正則は眉根まゆねをしかめ、溜息ためいきまじりにいった。
「たしかに今回の殿下の行動は異常である。しかし、これだけの犠牲を払わねば豊臣の世は保てぬ」
 一勝は正則の訳知り顔な言葉に食ってかかった。
合点がてんがまいりませぬ。女子供をなで斬りにすることと、豊臣の世をたもつことが同意とは思われませぬ!」
 正則は、一勝の肩に手を置き、
「その義憤ぎふんは、唐入からいりのいくさにとっておけば良い」
「なっ」
 一勝は言葉を継ごうとしたが、正則はその場を去った。
 もやもやとした気持ちが一勝の胸をわだかまった。
 しかし、秀次の死という豊臣政権の不幸は、正則には僥倖ぎょうこうに転じるできごととなった。
 曰く、尾張清須おわりきよす二十四万石への転封てんぷうである。
 この尾張の地はもともとは秀次の治めていた土地であり、闕所けっしょ(おさめる大名のいない土地のこと)となったところを正則が入ったものである。
「また、勘兵衛かんべえは怒るかもな」
 正則は秀吉から辞令をうけると、即座に一勝の兎唇としんの顔が浮かんだ。

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