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第二章 大怪我を負う
長尾一勝、生死不詳となる
しおりを挟むこの日、天正十八年(一五九〇)三月二十九日の午の刻(正午ごろ)、織田信雄ひきいる上方軍は、韮山城の外曲輪に取りついた。その中に福島正則軍の長尾一勝は、こともあろうにスガ目と同陣となった。
(いやな奴と同陣となったものだ)
一勝は内心、気持ちが重かった。
しかし、戦場で弱気になっていられないのも事実である。一勝は、鑓をひっさげ韮山城の土壁に向かって一目散に走った。
すると、スガ目が後方から一勝を追いかけてきた。
「おい、山路。あまりいきり立つなや。敵はなかなか手強いぞ」
一勝は反駁した。
「お言葉を返すが、私は『山路』ではなく、『長尾』一勝でござる」
兵らのおめきが交錯する戦場である。一勝の言葉はスガ目に届いたのか、どうか。
敵城の櫓から、次々と鉄炮玉と矢が飛んでくる。
「あっ!」
スガ目が叫んだ。一勝が振り返ると、スガ目の右腿に矢が立っている。
スガ目が足を跛行していた。
そこで、一勝はスガ目に肩を貸してやった。
スガ目は礼もいわず、
「おれに恩情を売るつもりか」
などと憎まれ口を言う。一勝は、
「あなたは殿(福島正則)の叔父であると聞いた。あなたが亡くなったら、おそらく殿が悲しむ。あなたへ恩情を売ったのではない」
「ふん」
スガ目はそっぽを向いた。
一時、陣に帰ってスガ目の介抱を依頼すると、一勝はふたたび鑓をひっさげて、韮山城の土壁に仕寄った。
上り梯子を土壁に置き、それで壁を越えようとする福島軍。
だが敵とて、黙って登らせるわけではない。鉄炮や矢で射かけ、距離が縮まれば、鑓を突いて福島勢を翻弄した。
一勝も梯子を利用して壁を越えようとしたが、
カツッーン!
「あっつっ」
梯子にとりかかっていた一勝の桃形兜の鉢に、鉄炮玉があたって、一勝は脳しんとうを起こした。
三尺三寸(およそ一メートル)ほどの高さから仰向けに倒れ落ちた。
一勝は敵壁の下で大の字になって気を失っていた。
近くに居た足軽がそれに気付いて、
「長尾さま、だいじょうぶにござるか」
一勝の体をゆさぶって、意識を取り戻させた。
足軽兵が揺り起こそうとすると、一勝も息を吹き返して、
「やあ、やられた」
と、苦笑いした。足軽が気をつかって、
「陣に帰られたいかがですか」
というと、一勝は頭を振って、
「ここが勝負所ぞ、負けられぬ」
吶喊一声、気合も新たに、城壁にのぼりかかった一勝だった。
と、ふたたび城壁に登ると、彼は朦朧としていたので、敵兵に顔を鑓で突かれた。
「ぐばっ」
鉄の味に似た血の臭いが口中に充満し、かっと傷口が熱を持った。一勝は、城壁からずり落ちると、もう意識がなくなっていた。城壁の下にいた足軽が、
「これは一大事!」
血まるけの顔をした一勝を背負って、陣に帰った。
「これは、いかがした!」
陣にいた正則が、瀕死の一勝に気づいて、声をあげた。
一勝は意識を失っており、生死不詳であった。
一勝は上方軍の拠点である伊豆の長窪に後送され、治療をうけることになった。
そこには妻のお千代も駈け付け、献身的な看病をおこなったが、相変わらず、一勝の意識は戻らなかった。
しかも、一勝の奮戦もむなしく、韮山城は落ちなかった。
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