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第二章 大怪我を負う

福島正則、左衛門大夫となる

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 四国征伐しこくせいばつを完了するひと月ほど前のことになる。
 天正てんしょう十三年(一五八五)七月十一日、秀吉は、「関白かんぱく」となった。
 秀吉が関白を継ぐにあたっては、摂関家せっかんけ近衛信尹このえのぶただ二条昭実にじょうあきざねの関白職をめぐる争いがあって、これを秀吉が調停ちょうていするうちに、秀吉が漁夫ぎょふを得るようなかたちで、関白にいたのであった。
 秀吉が関白を継いだのには、幸運な状況ができたということもあるが、それ以前にも、秀吉は、おのれの権威けんいを高めるためにいろいろ策してきた。
 もともと秀吉は武人ぶじんであるので、もちろんはじめは征夷大将軍せいいたいしょうぐん志向しこうした。
 征夷大将軍は武門ぶもん棟梁とうりょうである。この権威けんい絶大ぜつだいであった。しかし、当時征夷大将軍の職にあった足利義昭あしかがよしあきは、秀吉が義昭の養子となって将軍位を継ぐことを拒否した。
 蛇足だそくかもしれないがあえて付言ふげんするが、一般に室町幕府むろまちばくふ滅亡めつぼうといわれている織田信長による足利義昭の京都からの追放劇ついほうげき元亀げんき四年(一五七三)七月)の際においても足利義昭あしかがよしあき解官げかんされたわけではなく、そのまま将軍職を保持しつづけた。ために、京都を追放されたのちも、足利義昭は将軍としての態度をとりつづけ、毛利氏もうりしに身を寄せて安芸あきともうら地方政府ちほうせいふのような、一般には「鞆幕府ともばくふ」と呼ばれるような政権を維持していた。室町幕府といわれる中央政権ちゅうおうせいけんから鞆幕府という地方政権ちほうせいけんに移ったが、権威けんいは失われず、足利義昭は将軍でありつづけたのであった。
 そんな足利義昭の将軍職を継ごうと思った秀吉であるが、当時秀吉が平氏へいしを称していたため、源氏げんじ世襲せしゅうである征夷大将軍せいいたいしょうぐんを渡せないと義昭よしあきが判断した――とも、ぞくせつとしては、秀吉が下賤げせんな出身であったため、貴種きしゅであった足利家の棟梁とうりょう義昭が拒否した――ともいわれるが、いずれにしても、秀吉は征夷大将軍となることはあきらめたのであった。
 そんな秀吉がつぎにねらったのが関白職かんぱくしょくであった。これはまんまと図にあたり、かれは関白職に入りこんだが、この際、「豊臣とよとみ」のせい下賜かしされ、「豊臣秀吉とよとみひでよし」が誕生した。
 秀吉の出世は、かれにつきしたがう者たちの出世にもつながる。
 むろん秀吉の縁者えんじゃである福島正則ふくしままさのり出世しゅっせした。
 天正てんしょう十三年七月十六日、正則は従五位下じゅごいのげ左衛門大夫さえもんだいぶにんじられた。
殿との、おめでとう存じます」
 一勝かずかつは、正則まさのりいわった。
勘兵衛かんべえ、そちの忠勤ちゅうきんもあったればこそだ。礼を申す」
 正則は満面の笑みで応えた。

 天正十五年(一五八七)正月一日、竣工しゅんこうなった大坂城おおさかじょうで、秀吉は諸将より年賀ねんがを受けた。もちろん、その中に福島正則の顔もあった。
 昨天正十四年十二月、薩摩さつま島津しまづとの戦いである戸次川へつぎがわの戦いで大敗をきっした上方軍かみがたぐんであったが、この年賀の席で秀吉は、島津軍に対する討伐計画とうばつけいかくを発表した。
 軍の構成が披露された。福島正則ふくしままさのりは秀吉本隊の麾下きかに組み込まれていた。
「島津、討つべし!」
 秀吉のげきが大坂城の大広間にひびいた。
 三月――。
 先鋒せんぽうとして秀吉の弟で、羽柴改め豊臣秀長とよとみひでなかが十万余の軍勢を率いて豊前ぶぜんに上陸した。
 福島正則は秀吉本隊に組み込まれている。その秀吉本隊は、三月二十八日に小倉こくらに上陸した。
 豊臣方は日向ひゅうが(宮崎県)方面を秀長ひでなが肥後ひご(熊本県)方面を秀吉がうけもち、分進ぶんしんするかたちで、島津勢を押し切っていった。
 四月十七日、日向の根白坂ねじろざかで島津軍は上方軍に大敗北した。
 大敗した島津の当主義久よしひさの決断は早かった。二十一日には、豊臣秀長に人質を出して、秀吉への取りなしを依頼し、秀長もそれを快諾かいだくした。そして、島津義久しまづよしひさ剃髪ていはつして竜伯りゅうはくと名乗り、五月八日に薩摩の川内せんだいまで進出してきた秀吉に泰平寺たいへいじで会見して、正式に降伏した。
 義久のこの早い決断には、勝算しょうさんのない戦いをつづけるよりも、主力の損耗そんもうを防ぎ、まだ島津家に余力よりょくのあるうちに和睦わぼくしようという意図いとがあったことは明白めいはくである。
 その後、安堵あんどされる国割くにわりについて、紆余曲折うよきょくせつはあったが、結果として薩摩さつま大隅おおすみ日向ひゅうが諸県郡もろかたぐん島津領しまづりょうとして秀吉に認めてもらうことで決着した。
 島津との九州における戦いにおいて、史書には福島正則の活躍は特記とっきされていない。つまり、福島隊にとっては平穏無事へいおんぶじにいくさが終わったとみるべきであろう。

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