がむしゃら三兄弟 第三部・長尾隼人正一勝編

林 本丸

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第二章 大怪我を負う

根来寺攻め

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 紀州きしゅう紀伊国きいのくに)の根来寺ねごろじ覚鑁上人かくばんしょうにん興教大師こうぎょうだいし)を開祖かいそとする新義真言宗しんぎしんごんしゅう本山ほんざんである。
 根来寺はその成立が新しいので、荘園はあまり持っておらず、河内かわち和泉いずみ紀伊きいなどの各地の土豪どごうらと結びつき、その寄進きしんで成り立ってきた。
 さりながら、それらの土豪らがそれぞれ僧坊そうぼうを建てて、次男や三男を出家させて、各院・各坊がそれら土豪の持ち寺となる矛盾むじゅんがあった。なぜ矛盾かといえば、それら土豪のほとんどは本願寺門徒ほんがんじもんとであって、根来寺ねごろじ新義真言宗しんぎしんごんしゅうを標ぼうしていたことと、「矛盾」するのである。しかし根来寺のたくましいところは、そうした矛盾をはらんでいながら、それを内包ないほうしてしまったことにある。ために根来寺ねごろじは、本願寺ほんがんじと結びつき、一向一揆いっこういっきの活動を展開した。
 これら一向一揆活動の活発であったのが、当時「雑賀さいか」と呼ばれた和歌山わかやまに根をはる、いわゆる「雑賀衆さいかしゅう」がもっとも有力であった。
 和泉いずみ南河内みなみかわち北紀伊きたきい一向宗信仰いっこうしゅうしんこうが熱心に信じられてきたが、ここは根来寺の勢力範囲であり、根来寺はそれらに対し、根来大法師ねごろだいほうしの指揮のもと、鉄炮てっぽう供給の援助を土豪どごうにおこなっていた。根来寺は雑賀衆の一向一揆に対してもわけへだてなく、いや、常に緊密に、あるいは表裏一体ひょうりいったいといった関係を築いていた。

 大坂本願寺おおさかほんがんじが信長に降伏したのちも、一向宗いっこうしゅうは失われたわけではなく、民衆の信仰として根強く続いていた。
 羽柴秀吉はしばひでよしは、信長の後継者ではあるが、宗教政策しゅうきょうせいさくまで引き継いだわけではない。
 そのため、秀吉は本願寺ほんがんじとは一定の距離をとりつつも、信長がおこなったような一向宗徒いっこうしゅうと弾圧だんあつをしてはこなかった。
 しかしながら、秀吉は、ここに根来寺ねごろじと対立することになった。
 そのわけは小牧こまきじんの時、根来寺が、徳川家康とくがわいえやす要請ようせいで、徳川・織田連合に同心どうしんしたからであったというのは先にすこし触れた。
 根来ねごろ雑賀衆さいかしゅう四国しこく長宗我部元親ちょうそかべもとちかとともに、秀吉が近畿きんきを留守にしたことから、和泉いずみ岸和田きしわだから大坂城おおさかじょうをおびやかした。
 これに秀吉は激怒し、織田信雄のぶかつ・徳川家康との停戦・和睦わぼくののち、紀州攻きしゅうぜめを敢行かんこうした。

 天正てんしょう十三年(一五八五)三月二十一日、秀吉は、陸海両面から紀伊きいを襲い、和泉いずみ畠中城はたけなかじょう千石堀城せんごくぼりじょうなど六ヵ城を落した。
 二十三日には、秀吉軍は根来寺に着き、同寺に放火した。根来寺は多宝塔たほうとうなどを残して焼亡しょうぼうした。根来衆ねごろしゅうがあまた討たれ、僧は高野山こうやさんのがれた。
 翌二十四日、粉河寺こかわでら雑賀荘さいかのしょうが襲われた。
 さらに翌二十五日、高野山に遁れた根来寺の僧らを追って、高野山を攻めるべく秀吉軍が迫ったが、高野山の僧の応其おうごの調停で高野山攻撃は回避された。
 ここで応其について語っておこう。
 応其は、はじめは日斎にっさいと称しており近江国おうみのくにの人であった。もともとは武士で、主家である近江おうみ佐々木氏ささきし没落ぼつらくしたのち大和国やまとのくに越智氏おちし仕官しかんしたが、越智氏もまた戦国のならいで滅亡したため、三十七のとき高野山こうやさん入山にゅうざんして出家しゅっけした。その後、天正十三年に秀吉が高野山に攻めて来たときに使者の一人として秀吉に拝謁はいえつし、一山いっさん無事ぶじ懇願こんがん和議わぎに持ちこんだ。
 応其おうご別名べつめい木食上人もくじきしょうにんとも言われるが、そのいわれは、高野山の伽藍がらん荒廃こうはい僧侶そうりょ堕落だらくを嘆き、野菜は食せず、木の実や果物のみを食すという難行なんぎょうをつとめたことに由来ゆらいする。
 秀吉は応其おうごの願いで高野山こうやさんゆるしたが、雑賀衆さいかしゅうを赦したわけではなく、雑賀衆が一部、高野山から抜け出、紀州きしゅう紀伊きい)の太田城おおたじょうに籠もった。
 秀吉はこの太田城を水攻めにした。

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