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終章 吼えよ! 権六
吼えよ! 権六!
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柴田の義父上は北庄の城に帰られたのち、城の防備をととのえたいとおっしゃられた。
城を守るにはまず人、ということで、急いで人集めをなさったが、集まった人数は三千に満たなかった。
しかも、いくさも満足におぼつかないような人たちも多くて、わたくしはそれをみたとき、このいくさは負けたな、と思いました。
義父上がどう思われたかは訊いていません。
ただ義父上は、惣構、すなわち外郭の守備に専念され、二の丸、三の丸のみに兵をおいて、旗指物を長壁に飾って、その防備のかたいことを誇示された。
そして士卒の妻子が集められ、「縁故をたよって城を抜けよ」とおおせられ、それら妻子は離散させられました。
たしか、二十三日だったと記憶していますが、藤吉郎が前田どのを先鋒とされてやって来て、城を十重二十重と囲んだわ。
この日の夜、義父上は一族と近臣の八十人ほどを本丸の天守にあつめて宴をひらかれたわ。
そこにはわたくしたちも呼ばれて、甘酒をふるまわれたわ。
その席で義父上は、「柴田勝家の運命は明日にきわまった。今夜は徹宵酒宴遊興をして名残を惜しみたい」とおっしゃった。
そしてご自分から盃をとって、一族一家と次第々々に呑み交わして、人々も、乱れあい入れ違い、中飲みや思い差しをしたわ。
そうした酒に合う珍肴珍菓を山のように積んで並べていたのを思い出すわ。
宴には上﨟やわたくしたち姫、局局の女房、老婆尼公まで、上中下をはばからず、殿方へ酌をとらせて、歌をうたい、舞を舞い、酔いにまかせて宴を愉しんだわ。
みな明るい顔をして宴を愉しんでいたけれど、その内実は、明日死に行く自分を思って泣いていたのでしょうね。
あとで聞いた話なんだけど、このとき義父上は母様へ、「そこもとは右府様(織田信長)の妹君であり、わたくし自身にとっても主家の御方であり、筑前(秀吉)にとってもまた主人筋の貴人である。それゆえ、筑前はあなたさまを大事にかくまわれるだろう。ゆえに、城を抜けなさい」と勧めたようね。
母様も大したもので、「あなたさまに嫁いだからには、わたくしは柴田勝家の妻以外の何者でもございません。ともに黄泉路についてまいります」と父上の勧めを固辞されたらしいわ。
義父上も母様の決意のかたさにおれて、それは受け入れることにしたらしいわ。
ただし義父上は、わたくしをふくむ、初と江の三人については、命を奪うのは忍びないとおっしゃって母様を説得されると、母様もそれには同意されたわ。
母様はわたくしたちが「権六さまの菩提を弔い、わたくしの跡をも弔ってもらいたい。あの子らなら聞いてくれるでしょう」と義父上に申しあげたわ。
義父上は「それが良い」とおっしゃって、わたくしたち三人を呼び寄せたの。
そのときわたくしは母様とともに死を賜りたい、と頑強に義父実母の提案を拒んだわ。
初と江は、どうだったかしら。
わたくしはそのときは必死で、二人のことを失念していたわ。
ともかく、このまま生き恥をさらすようなまねはしたくない、その一念だった。
結局、わたくしとの問答を厭われた義父上は、中村聞荷斎を呼び出して、われら三名を城外に逃がすように命じられたわ。
だから、わたくしも聞荷斎にさらわれるようにして、初と江とともに城の外に出たわ。
義父上は富河新六郎をわたくしたちの御供につけてくださったわ。新六郎は、藤吉郎の陣所に着くと義父上に言い含められた口上を述べ、「この三女は修理(柴田勝家)の娘ではない。浅井長政の愛子である。筑前どのにとっては故右府さまとのご関係とみらば主筋の貴人である。よくよくいたわっていただきたい」と。
藤吉郎もわたくしたちの面前に姿をあらわして、平伏して新六郎のことばをきいていたわ。
でもわたくしの気持ちをいえば、藤吉郎の前に生き恥をさらした、ということで腹が煮えていたわ。
このときわたくしは十三、初は十一、江は九つだった。
いずれにしても本当に心細いおもいをしたわ。
引き渡されたのが、敵方の大将ですからね。
そのときのわたくしたちの気持ちは、それでわかってもらえると思うわ。
茶々が話を区切ると、秀吉が割ってはいった。
「茶々どの、修理殿(柴田勝家)の御最期がいかがであったか、知りたいと申されておったな?」
「はい」
「では、語って存ぜよう」
秀吉は、ひとつ咳払いをした。
その宴がおこなわれておったことは、儂らも重々承知しておった。
それゆえ、兵卒には弓矢や鉄炮を放つことは控えさせ、名残を惜しませておった。
翌二十四日、曙ととも、──具体には、寅の下刻(午前四時)から本丸に攻撃を開始した。
兵を城にかからせたが、相手も弓や鉄炮で応戦し、儂らが近寄るのを拒んだ。
ゆえにこちら側は多数の死傷者を出した。
儂もこれでは埒があかぬと思ったので、午の刻(正午)ごろ、選りぬきの兵百人をつかって大手門を抜けさせた。
これが奏功して、本丸に突入でき、城に火をかけて修理殿をいぶり出すつもりであったが、敵が一枚上手であった。
修理殿は天守の梯子を引き揚げて兵を登れないようにし、天守にのこるすべての人数(兵士)に声をかけた。
生き残った者から聞いた話では、修理殿はこのとき、こう言ったという。
「勝家が腹の切り様を見申して後学にせよ」
──と。
むろん一人では死ねない。
お市さまをはじめ、一族の子女を残らず刺し殺して、のちにご自身が黄泉路にまいる番なのだ。
修理殿は脇差を抜き、お市さまの胸を──、
秀吉の言葉に反応して茶々が目を閉じた。
──刺せなかった。
その場になって修理殿はお市さまを刺し殺すことをためらわれた。
そのとき、お市さまが声を張って──、
「吼えよ! 吼えよ! 権六!」
と、うながされた。
権六──勝家殿は、それにこたえるべく、
「うぉーっ」と吼え、お市さまを冥途に招いたという……。
柴田の義父上は北庄の城に帰られたのち、城の防備をととのえたいとおっしゃられた。
城を守るにはまず人、ということで、急いで人集めをなさったが、集まった人数は三千に満たなかった。
しかも、いくさも満足におぼつかないような人たちも多くて、わたくしはそれをみたとき、このいくさは負けたな、と思いました。
義父上がどう思われたかは訊いていません。
ただ義父上は、惣構、すなわち外郭の守備に専念され、二の丸、三の丸のみに兵をおいて、旗指物を長壁に飾って、その防備のかたいことを誇示された。
そして士卒の妻子が集められ、「縁故をたよって城を抜けよ」とおおせられ、それら妻子は離散させられました。
たしか、二十三日だったと記憶していますが、藤吉郎が前田どのを先鋒とされてやって来て、城を十重二十重と囲んだわ。
この日の夜、義父上は一族と近臣の八十人ほどを本丸の天守にあつめて宴をひらかれたわ。
そこにはわたくしたちも呼ばれて、甘酒をふるまわれたわ。
その席で義父上は、「柴田勝家の運命は明日にきわまった。今夜は徹宵酒宴遊興をして名残を惜しみたい」とおっしゃった。
そしてご自分から盃をとって、一族一家と次第々々に呑み交わして、人々も、乱れあい入れ違い、中飲みや思い差しをしたわ。
そうした酒に合う珍肴珍菓を山のように積んで並べていたのを思い出すわ。
宴には上﨟やわたくしたち姫、局局の女房、老婆尼公まで、上中下をはばからず、殿方へ酌をとらせて、歌をうたい、舞を舞い、酔いにまかせて宴を愉しんだわ。
みな明るい顔をして宴を愉しんでいたけれど、その内実は、明日死に行く自分を思って泣いていたのでしょうね。
あとで聞いた話なんだけど、このとき義父上は母様へ、「そこもとは右府様(織田信長)の妹君であり、わたくし自身にとっても主家の御方であり、筑前(秀吉)にとってもまた主人筋の貴人である。それゆえ、筑前はあなたさまを大事にかくまわれるだろう。ゆえに、城を抜けなさい」と勧めたようね。
母様も大したもので、「あなたさまに嫁いだからには、わたくしは柴田勝家の妻以外の何者でもございません。ともに黄泉路についてまいります」と父上の勧めを固辞されたらしいわ。
義父上も母様の決意のかたさにおれて、それは受け入れることにしたらしいわ。
ただし義父上は、わたくしをふくむ、初と江の三人については、命を奪うのは忍びないとおっしゃって母様を説得されると、母様もそれには同意されたわ。
母様はわたくしたちが「権六さまの菩提を弔い、わたくしの跡をも弔ってもらいたい。あの子らなら聞いてくれるでしょう」と義父上に申しあげたわ。
義父上は「それが良い」とおっしゃって、わたくしたち三人を呼び寄せたの。
そのときわたくしは母様とともに死を賜りたい、と頑強に義父実母の提案を拒んだわ。
初と江は、どうだったかしら。
わたくしはそのときは必死で、二人のことを失念していたわ。
ともかく、このまま生き恥をさらすようなまねはしたくない、その一念だった。
結局、わたくしとの問答を厭われた義父上は、中村聞荷斎を呼び出して、われら三名を城外に逃がすように命じられたわ。
だから、わたくしも聞荷斎にさらわれるようにして、初と江とともに城の外に出たわ。
義父上は富河新六郎をわたくしたちの御供につけてくださったわ。新六郎は、藤吉郎の陣所に着くと義父上に言い含められた口上を述べ、「この三女は修理(柴田勝家)の娘ではない。浅井長政の愛子である。筑前どのにとっては故右府さまとのご関係とみらば主筋の貴人である。よくよくいたわっていただきたい」と。
藤吉郎もわたくしたちの面前に姿をあらわして、平伏して新六郎のことばをきいていたわ。
でもわたくしの気持ちをいえば、藤吉郎の前に生き恥をさらした、ということで腹が煮えていたわ。
このときわたくしは十三、初は十一、江は九つだった。
いずれにしても本当に心細いおもいをしたわ。
引き渡されたのが、敵方の大将ですからね。
そのときのわたくしたちの気持ちは、それでわかってもらえると思うわ。
茶々が話を区切ると、秀吉が割ってはいった。
「茶々どの、修理殿(柴田勝家)の御最期がいかがであったか、知りたいと申されておったな?」
「はい」
「では、語って存ぜよう」
秀吉は、ひとつ咳払いをした。
その宴がおこなわれておったことは、儂らも重々承知しておった。
それゆえ、兵卒には弓矢や鉄炮を放つことは控えさせ、名残を惜しませておった。
翌二十四日、曙ととも、──具体には、寅の下刻(午前四時)から本丸に攻撃を開始した。
兵を城にかからせたが、相手も弓や鉄炮で応戦し、儂らが近寄るのを拒んだ。
ゆえにこちら側は多数の死傷者を出した。
儂もこれでは埒があかぬと思ったので、午の刻(正午)ごろ、選りぬきの兵百人をつかって大手門を抜けさせた。
これが奏功して、本丸に突入でき、城に火をかけて修理殿をいぶり出すつもりであったが、敵が一枚上手であった。
修理殿は天守の梯子を引き揚げて兵を登れないようにし、天守にのこるすべての人数(兵士)に声をかけた。
生き残った者から聞いた話では、修理殿はこのとき、こう言ったという。
「勝家が腹の切り様を見申して後学にせよ」
──と。
むろん一人では死ねない。
お市さまをはじめ、一族の子女を残らず刺し殺して、のちにご自身が黄泉路にまいる番なのだ。
修理殿は脇差を抜き、お市さまの胸を──、
秀吉の言葉に反応して茶々が目を閉じた。
──刺せなかった。
その場になって修理殿はお市さまを刺し殺すことをためらわれた。
そのとき、お市さまが声を張って──、
「吼えよ! 吼えよ! 権六!」
と、うながされた。
権六──勝家殿は、それにこたえるべく、
「うぉーっ」と吼え、お市さまを冥途に招いたという……。
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