吼えよ! 権六

林 本丸

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終章 吼えよ! 権六

うらぎった利家

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 前田利家は万感胸に詰まってことばを継げなくなった。
 秀吉は利家の背後にまわり、背をさすってやった。
「……痛み入ります」
 力ない利家の謝辞。
 いっぽう、振り上げたこぶしのやりばを失って晴隆はうつむいた。
 あたりに気まずい雰囲気がただよった。
 この空気を入れかえたのは、ほかならぬ茶々であった。
「前田さまが柴田の義父とうさまを裏切ったとかどうとか、あまりそんなことにわたくしは興味ないの。ともかく、藤吉郎、つづけなさいよ。あなたと義父さまとのたたかいのさまを」
 名指しされて秀吉はすこし動転した。
「あ、ああ……。……うむ、では、物語をつづけるかの」



 儂は卯月(四月)の二十一日、大岩山に入り込んだ佐久間玄蕃(佐久間盛政)を討つべく兵を動かした。しかし玄蕃のやつ、泡を喰って大急ぎで兵をまとめて退いてしまいおった。遺憾ながら儂らは玄蕃を取り逃がした。
 ところがじゃ、玄蕃を支えるべく三左衛門さんざえもん(柴田勝政)の兵がまだ辺りをうろちょろしておった。儂はこれに目をつけて、三左衛門の兵を攻めることにした。
 三左衛門が窮地に陥れば、奥に引っこんでいった玄蕃も舞いもどってくるだろうと算段をつけたのよ。
 案の定、三左衛門はあわておった。
 一口に「退却」とはいうが、これはかなりの難事である。
 第一に兵らは命ほしさに我がちに逃げまどうから、もう後ろから迫ってくる敵軍――すなわちそれは儂のひきいる兵たちだが、これの草刈り場と成りはてる。
 軍は形を成さず、人と人のもみ合いとなる。
 そんな乱陣の中で――、



 秀吉が語を継ごうとすると、利家が大音声だいおんじょうをあげた。
「あいや、その先は我が申し上げる」
 秀吉は、利家をみて、
「ほんに良いのか?」
 利家は、黙して首肯した。



 うむ。
 その先はわしが言おう。
 殿下の兵に追われて三左衛門のそなえは潰乱した。これはまちがいない。
 殿下の追撃兵が、三左衛門を散々うち負かしたのだ。
 そして殿下のもくろみどおり、玄蕃が兵を返してきた。
 実弟を助けるべく、殿下の兵を邀撃ようげき(迎撃のこと)した。
 そ、そして……、
 そして……、
 わしは……、
 わ、わしは……、
 お……、
 親父様を……、
 親父様を、
 ――裏切った。
 う、うむ、言えたな。
 …………。
 すまぬ。言葉が詰まった。
 つづけよう。
 ――そのときわしは息子の利長とともに茂山というところに兵をとどめておった。
 茂山にあって、玄蕃の左手側背の掩護えんごを担当しておったのだ。
 しかし、わしは配下の兵に命じてその陣を引き払った。
 殿下の兵と交戦状態になった玄蕃の兵の背後をさえぎり、東方から西方へ峰越えに移り、塩津谷を下り、それから北方の敦賀方面へ抜けた。
 このときわが兵は殿下の兵と一悶着を起こして殿下の兵から攻めを受け、多少の死傷者を出したが、大勢はゆるがなかった。
 わしは敵前逃亡をしたのだ。
 親父さまに申し訳がたたない。
 ほんに、苦しい選択だったのだ。
 わが備の移動は、玄蕃の目からは裏崩れ(後詰の崩壊)にみえたであろう。
 いやさ、
 事実、裏崩れなのだ。
 わしは玄蕃を支えず、兵を退いた。支えを失った玄蕃にしてみれば、まちがいなく、これは裏崩れであろう。
 またわが備よりも後方に位置していた諸隊にとっては、わが備の移動は、玄蕃の兵の敗走にみえたであろう。
 こうなるとはじめからいくさの気構えがない兵などはもちろんのこと、士気が高かった兵卒にとってみても、戦意を失わせるに充分な状況だろう。
 脱走の兵があとをたたない状態となった。
 いっぽうで勝ちをひろいつつある殿下の備には、われもわれもと勝ち馬に乗るべく、日和見をかまえていた者どもが集まって、もとあった備よりも肥大した。
 これに対して、玄蕃は将兵の奮戦をあおって、その場から三左衛門の兵を収容しつつ行市山の陣地へと峰筋をしだいに北方に退却を試みた。
 が、兵らの前夜からの疲れは、負け戦で倍加し、玄蕃の奮起をうながす声もとどかず、その兵はまったく潰乱し、四散した。ある者は峰伝いに柳ヶ瀬の方面へ逃げ、またある者は山を下って塩津谷方面に敗走した。
 わしの裏切りは殿下にとって、もっとも有利に働くときにおこなわれたのだ。
 いまにしてふりかえれば、まったく面目を失う思いだが、そのときはわしも必死であった。
 この切り通しから権現坂までの一連の戦いの勝ち負けは、余呉湖を中心とする柳ヶ瀬一帯のいくさの行方を決定づけたものである。
 そして権現坂における勝ち負けを決定した一番の原因は……、
 わしの裏切りであった――。



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