吼えよ! 権六

林 本丸

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第四章 秀吉、激怒す

返り忠と裏切りと

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 翌朝、聚楽第じゅらくだい――。
 秀吉は朝餉あさげっていた。
 多数のかしずきのおんなたちが、せわしなく立ち動き、秀吉の朝餉の助力をする。
 そこへ血相を変えて茶々がやってきた。
「藤吉郎! 半介たちを牢に入れたと聞いたわよ。いますぐふたりを出しなさい!」
 秀吉は小うるさい蠅が来たぐらいな冷めた視線を茶々に与え、
「茶々どの、その話は誰から聞きやった」
 と問うた。
 茶々は、鼻息も荒く、
「そんなことはどうでもいいわ! 早く半介たちを自由の身にしなさい!」
 秀吉はうっとうしいとばかり頭を振って、
「どうせ、佐吉から聞いたのであろう。あのお喋りが……」
「三成などどうでもいいでしょう! 早くふたりを――」
「茶々どの。本当に半介たちのことを思うならば、もう柴田権六のことを嗅ぎまわることをやめさせよ。いいな?」
「いや、と言ったら?」
「あのふたりに腹を切らせる」
 茶々は瞑目めいもくした。
「…………」
 ややあって、
「判ったわ。もう柴田の義父ちちのことは調べさせないから、牢から出しなさい」
 秀吉はそれには返事をせず、湯漬けをき込んだ。
 茶々は秀吉の態度にいらだって、
「ねぇ、聞いているの? どうなの?」
 秀吉はじろりと茶々を見、
「尼崎まで迎えに行かれよ。茶々どのが直々に迎えられるならば、中島靱負なかじまゆきえも牢を開けよう」
「ちょっとたぶらかさないでよ。あなたの許可が無ければ、中島とて牢から出すもんですか!」
 秀吉は、ふっ、と笑って、
「茶々どの、智恵をつけられましたな」
 言って、ポンポンと手を叩き、
「この場に筆と紙をもて」
 と言うと、もう準備がしてあったか、というほど早く、小姓が筆などの諸道具を秀吉の面前に広げた。
「ここに、半介たちの免状を書いてやる。これをもって大物城に向かわれよ」
 茶々とお付きの者たちは、免状を手に駕籠に乗って尼崎に向かった。
 その茶々たちが聚楽第を出るのを、城の望楼ぼうろうから眺めて見送る秀吉であった。
「今さら遅いと言うに……」
 ひとり秀吉はつぶやいた。
 籠が通りを曲がり姿を消すと、秀吉も望楼から立ち去ろうとした。
 すると、秀吉は背後に人の気配を感じ、はっとした。
何奴なにやつか?」
「失礼つかまつりまする」
 秀吉が誰何すいかすると、かれの背後に女の声がした。
「何奴か、と訊いておる」
 言いつつ秀吉は自身の背後をふり返る。
 そこには、平伏する忍び装束のおんなが控えていた。
「くノ一か? 名はなんと申すか?」
「風のかすみと申します」
 秀吉はようやく合点がいったという表情を作った。
「そうか。そちがうわさのくノ一か。――で、そのかすみがわしに何用じゃ」
「わたしは〝とあるお方〟に飼われておる忍びでございます。しかし、その主人の行動に疑いを持ち、いま、殿下にあるじの不行状を述べに参ったのでございます」
「ふむ……」
 秀吉はけわしい表情をしている。口をへの字にまげ、口先をとがらせている。
「おぬしは主人に返り忠するというか」
「この世は殿下の天下にございます。わが主人のわがままで、殿下の世を乱すことを、このかすみ、許せなく思えてまいりました」
 秀吉、ちょっと破顔して、
「ふふ……。おぬしの主人とやらも、随分な手下をもったものだ」
 秀吉の揶揄やゆにかすみは動じない。
「わたくしのあるじは、わたくしを放って木下晴隆どのの行動を妨害させました。わたしはあるじの命により、そうしてきましたが、心の奥底に忸怩じくじたるものを感じ……」
 秀吉はまたけわしい顔つきになり、
「おぬしの気持ちはよう判った。ことばから偽りを申しておらぬと信用しよう。ならば申せ。お前の〝あるじ〟とは誰ぞ?」
 かすみはためらいもなく言った。
「石田治部少輔じぶのしょう三成みつなり様にございます」
 今度は秀吉も驚いた。
「な……佐吉がおぬしのあるじとな?」
「御意」
 かすみはその場で片膝をついて、礼をした。
「い、いかん!」
 急に秀吉はそわそわしだした。
 秀吉はその場に平伏するかすみを手でかきわけるようにして、望楼を駆け下った。
「もし、関白殿下、どうなさったのですか?」
 訊きつつ、かすみは秀吉の急な変わりようが釈然としなかった。だが、あわてて秀吉の後を追うようなことはしなかった。秀吉がなにを考えているか、かすみを大方は了解していたからである。
 一方、秀吉はもう城のうまやの方に来ている。
「馬、馬け!」
 突然関白が「馬を曳け」と厩にやってきたので、厩の責任者はびっくり仰天して、
「か、関白殿下、いかがなされました?」
「ええい、うるさい! お前と問答をしている時間も惜しい。早く馬を曳け!」
 関白の命令である。厩から秀吉の愛馬が曳き出された。
 あわてて小姓がふたり走ってきた。
 小姓も馬に乗って、三名は城を出た。
 小姓頭が問う。
「殿下、どちらへ?」
 秀吉は、答えず、大手門を越えると武家屋敷街を突っ走り、そのなかでもかなり大きな門構えの家の前で止まった。
 それは、「石田三成邸」であった。
 秀吉が三成邸についたとき、三成自身は白装束に身をつつみ、今まさに切腹しようとしていた。
「殿下、わが不忠をお許しください……」
 ひとりつぶやいて、今まさに腹に刃をたてようとしたとき――。
 バッ、とふすまが勢いよく開かれた。
「三成、死ぬことはこの秀吉が許さぬ!」
 秀吉、なんとか間に合った。
 秀吉と三成は長い主従のつながりがあり、互いの考え方や生き方など、語り合わずとも判っている。
 三成と秀吉は、単に主従の関係をこえて、国の運営という大方針を互いに作り上げていく関係である。互いが気持ちを許し合っていなければ、国の運営など任せられないであろう。
 そんな秀吉の気持ちを裏切るようなかっこうになったことで三成としては死を選ぶより他ないと思いつめたのである。
 そして秀吉は三成がそう考えるであろうことを予想し、それを止めに入ったものである。
 三成は手をつき、秀吉に詫びた。
「不肖、治部少輔。死んで詫びんと思い定めておりましたが、思いもかけずあるじよりの下命。一度死んだものと思い定めて、今後は表裏なく、全身全霊をもって殿下にお仕えいたしまする」
 秀吉はうなずき、
「うむ。わしもこたびのことはちょっと意地になっていたところがあった。おぬしにもいらぬ負担をかけた。このとおり、許してくれ」
 秀吉は三成に頭を下げた。
 三成もふたたび深く頭を下げた。
「しかし、茶々どのにそれほどおぬしが目をかけていたとは初めて知ったぞ」
「おなじ近江出身。同郷のよしみは断ちがたく……また、浅井長政さまには石田一族として目をかけていただきました。そのご恩をお返ししたいと……」
 うんうんと秀吉は点頭する。
「では、こたびの柴田どのの件、茶々さまをお許しくださいますか?」
「ああ、許そう。もう、柴田自身もこの世におらぬし、昔語りにはちがいない。許そう」
 秀吉の許しを得て、三成も安堵した。
「ようございました。茶々どのもお喜びになるでしょう」
 ところが――!
 秀吉が、あっ、という表情を作った。
 それに気付いて三成が問うた。
「いかがなされました殿下?」
 秀吉はわなわなと震え、頭を抱えて苦悩している。
「許せよ、三成。じつはもうひとつ仕掛けをしておってな。もうそれは間に合わぬかもしれぬ……」
「その仕掛けとは?」
 三成の問いに秀吉は素直に答えた。
 三成はすぐさま立ちあがり、
「それがしが対処すれば、まだ間に合うやもしれませぬ。殿下はこのまま城にお戻りになって、普段どおりおすごしくだされ」
「うむ、すまぬ、佐吉。だが、わしとてこのまま傍観しておるわけにはおかぬ。おぬしと連れだって大物城だいもつじょうに向かう!」
「かしこまりましてございます!」
 三成はあわてて平服に着替え、秀吉とともに馬上の人になった。

           ※        ※        ※

 乗物(駕籠)の足はそれほど速くない。
 丸一日かかって尼崎に着いた茶々一行であった。
 あらかじめ前触れが走っていたので、大物城前には、城代の中島靱負が茶々の来訪を待ち構えていた。
 乗物の引戸が開かれ、茶々が顔を出した。
「中島、大儀」
 茶々に声をかけられ、深々と中島靱負は頭を下げた。
「お茶々さまには、ご機嫌うるわしく……」
「うるわしくなんてないわ!」
 茶々は中島の言葉尻をとらえて、噛みついた。
「はっ、これは面目なく……」
 中島は小声で謝した。
「半介たちは、もう解放されているわね?」
 強い口調で茶々は問う。
「そ、それはもう……」
 これも小声だ。はっきりとは聞きとれない。
 中島は、頭をあげ、少し声を張った。
「茶々さま、お疲れのことでございましょう。ともかく、ひと休みなされては? 木下どのとの面会は、そのあとにでも」
「いえ、すぐに半介と力に会います。会って話を聞いたら、今日中にも都に帰ります」
「そ、それは……」
 中島は秀吉から時間稼ぎをせよとの、連絡を受けていた。茶々に時間を作らせたかったのだが、案に反して茶々はそんな中島の都合に合わせてくれなかった。
「ともかく、早く半介たちに会わせなさい」
「はあ……」
 中島は泣き出しそうな顔をして返事をした。
 茶々はわがままをとおして、すぐに半介たちとの面談をおこなった。
 茶々が城の広間に通されると、そこにはすでに牢から出されていた半介と力が平伏して待っていた。
 茶々は広間の上座に坐った。
「半介、力、ずいぶんな目に遭ったわね。ご苦労様」
「はっ」
 ふたりは声をそろえて返事をした。
「茶々さまにはごきげんよろしく」
 茶々は半介の口上に邪険に手をふって、
「あー、そういうのはいいから。頭をお上げなさい」
「はっ」
 うながされてふたりは面を上げた。
 半介も力も、牢に入れられてちょっと心身に堪えたらしく、やつれた表情をしていた。
 半介は、佐々成政から聞かされた話を茶々に披露した。
「なるほど。よく判りました。ご苦労でありました」
 半介は話し終わって、ちょっと安堵した。
 一方、力は顔色が悪い。
「力、どうかしたの? 顔色がすぐれないようよ」
「う、うう……」
 力は身体をふるわせている。気分でも悪いのか?
「御免!」
 力は急に叫んで、抜刀し、半介に斬りかかった!
「な……」
 泡を喰って、半介は四つん這いになり、広間の隅に逃げ込む。
「ど……どうしやった、力どの?」
 半介の言葉も力にはもう聞こえないようだ。叫声きょうせいをあげて刀を左右に振って半介に迫っていく。尋常一様の姿ではない。
「ちょ、ちょっと力、やめなさい!」
 力をなだめる茶々。
 その茶々を見て、反転、力は茶々に襲いかかった!
「きゃーっ!!」
 力が刀を振り上げる。
 茶々を害するか、と思われたとき、広間の襖の一角が開き、現れた人物が、忍器を投げた。
 忍器――苦内は、力の右肩に刺さった。
「痛っ!」
 痛さで、力は刀を床に落とした。
 半介は、忍器を投げた人物を見た。
「晴隆!」
 それは半介の子の木下晴隆だった。
 晴隆は無言で、力のもとに駆け寄り、力のみぞおちを刀の柄頭で突いた。
 意識を失いかけた力が、安堵の表情を作ったのを、晴隆は見逃さなかった。
 床に伏した力を、寄ってきた半介が抱きかかえた。
「ち、力どの! しっかりなされたい」
「ぶはっ」
 力は吐血した。
 気持ちを落ち着けた茶々も力をのぞきこんでいる。
「力、なんでこんな莫迦なことを……」
 茶々は泣き顔で問うた。
「あ、ある方から、半介様を亡き者にせよと命ぜられました……」
 茶々は、今度は怒り顔になって、
「藤吉郎ね!」
「…………」
 力は、是、とも、否、ともいわなかったが、状況から茶々の推測が当たっていることは間違いがなかった。
 そのとき、中島靱負が騒動を聞いてやってきた。
「茶々さま! ご無事でございますか?」
 茶々は、きっ、と中島をにらみ、
「無事じゃないわよ! 中島、あんた、この事、あらかじめ知っていたわね?」
 中島靱負は、ぶんぶんと頭を振って、
「とんでもない! わたしはなにも存じあげませぬ!」
「嘘おっしゃい!」
 中島は茶々の詰問にたじたじとなった。
 そこへ、また別の家臣がやってきて、
「関白殿下、石田治部少輔様、お着きでございます」
「おお! こうしてはおられぬ……」
 秀吉の出迎えをせねばならぬと、中島はふらふらと広間を出た。
 中島が消えたのと入れ違いに、秀吉と三成が旅塵も落とさず城の広間にやってきた。
「おお、力、許せよ」
 秀吉の謝罪に、茶々はもの凄い形相で、
「藤吉郎! あんた、どの顔してここへやってこられたの?」
 茶々の罵倒にも秀吉は耳を貸さず、謝罪をつづける。
「力よ、申し訳ない。わしがおぬしをそそのかし、半介を亡き者にすれば、大名に取り立てるなどと甘言かんげんろうした。そなたは嫌々それを受けてくれた。申し訳ないことをした」
「…………」
 力は肩と胸の痛みに呻吟していた。
「すまぬ……すまぬ……」
 秀吉の謝罪はつづく。
 そこへ、もうひとり大物城の広間に現れた者がいる。
「最悪の状況は免れたようで……」
 その場に居合わせた者たちがみな、声の主を見た。
「これは、前田様」
 三成が言った。
 声の主は、前田又左衛門利家だった。

 いちど意識を失った力が意識を取り戻し、やや、あたりが落ち着きをみせると、前田又左衛門が言った。
「わたしは親父様に詫びねばならぬことがある。いままでは関白殿下の背後に隠れて、おのれから逃げておった。贖罪しょくざいをかねて、この場で、茶々どのにすべてを語ろう」
 茶々は利家の顔をみた。
「前田さま……」


第四章 了
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