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第三章 織田筆頭家老権六
京へ還る
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10
ふたりが宿に着くと、宿の女将がふたりの姿にえらく驚いた。
「まあまあ、えらくすす汚れて。喧嘩でもなさっておいでだったので?」
半介はばつの悪そうに、
「ええ、まあ、そんなところです」
宿の女将は、
「ちかくに湯屋がございます。垢を落とされませ」
と、親切に銭湯を紹介してくれた。
「行こうか、力どの」
力もうなずいた。
宿の女将は「湯屋」と言ったが、現代のサウナみたいなところである。
蒸気を発生させて、汗を流し、汚れを落とすところである。
ふたりは蒸気に身をまかせ、その日あったことをふたりでふりかえっていた。
「晴隆どの、お怪我が深かったのでしょうか?」
力が気をつかうと、半介は、
「あのような大莫迦者、放っておけばよろしい」
「しかし、あの剣の重み、並の剣士ではございません」
「力どのは晴隆をある程度は認めておいでのようだが、わたしはまるであの者を評価しておらぬよ。だいたい親が右筆なのをひがんで、剣の道に走るなど、子供の駄々っ子かと思うわい」
力はくすりと笑った。
「力どの、とりあえず、ここだけの話と思っていただきたいが、わしの本音を申し上げよう」
「はい」
力はすこし背筋をのばした。
「わしももう四十の声を聞いた。だから、子に家督をゆずってもよいとは思っている。だが、いまの嫡男はあの晴隆なのだ。実はわしにはもうひとり次男になる男の子がおってな、それはよう手習いに励んでいて、右筆の才能もありそうじゃ。だから晴隆を廃嫡して、次男に家督をゆずろうかとも思う」
力は湯煙る半介の方を見た。
「半介様!」
半介は口元に半笑いの笑みを浮かべた。
「力どの。まあ聞きゃれ」
「……はい」
「廃嫡をするにも関白殿下の許しがなくばできぬ。いまおそらくは殿下のお気に入りである晴隆を廃嫡することは、至難じゃ」
力は、ああ、という納得の表情を作った。
半介は、ふぅーっと、深いため息をついた。
「まあ、お家がつづくならば、右筆にこだわらずとも良いのかもしれぬな。晴隆が関白殿下に気に入られてお家がつづくなら、それはそれで木下家にとっては良いのかもしれぬ」
力は語気を強めて、
「それはなりません。半介さま」
「ん、なぜかな、力どの」
「ことの発端は茶々さまのわがままだったやもしれませぬが、それでも今回の関白殿下のなさりようは児戯に似て見苦しい。それをゆるしてしまうのはわたしの矜持が許しません……」
そういったあと、力はうつむいて、すこし黙った。
「…………」
思いつめたかんじの力に、半介が声をかけた。
「――いかがなされた、力どの」
いわれて、力は首を振った。
「いえ、すこし考え事を……」
半介は力の表情に気に留めず、
「まあ、たしかに力どのが申されるとおり、お茶々さまのわがままから来た話ではあります。ただ、力どのはすこし肩に力が入りすぎやもしれませぬな」
半介のことばの端に揶揄の色がみえた。
力もそれを感じ取って、ややムッとして、
「子供が児戯をもてあそぶのはいけないと?」
半介は手をふって、
「あいや、お怒りの段はお許しありたい。わしもこの年になっても子を育てるということはむずかしいものだと思い至りましてな」
半介は煙にまいた。
力もそれを感じ取って、まかれてやった。
「わたしは右筆です。いくさばにでたこともありませんし、いくさ自体も大嫌いです。おのれが傷つくなど、想像だにもしたくない。剣も所持しているが、剣術はさっぱりです。力どのの爪の垢でも煎じて飲めば、すこしは上達するかもしれませぬが」
半介の諧謔に力はふっと微笑った。
半介はかまわずことばをつづける。
「こたびの柴田権六さまの生涯を探る旅。なかなかに興趣がわいてきました。たしかに、一人の漢の人生を探るなど、そうそう生きてて感じ取れるものではない。それを茶々さまはおやりになりたいとおっしゃる。わたしは茶々さまのお気持ちにそえるよう、権六さまの過去を探ってまいります」
力も点頭した。
「はい、まったく」
「ハハハ、話が長くなりましたな。この場をでましょう」
「ええ」
ふたりは低い位置にある戸を開けて、屈むようにして湯屋を出、冷水を浴びた。
「ああ、生き返る」
半介は冷やした体で背伸びをした。
力も冷水を浴びた。
「ああ、気持ちいい」
ふたりは湯屋をあとにした。
湯上がりのほてった体に、涼風が吹きぬける。
「ここちいいですね」
力のことばに、半介もうなずいた。
「明日には城下を出て、茶々さまの待つ京に向かいましょう」
「はい」
力は、同意した。
越前から四日の道程を三日で歩き抜いたふたりは京の町に入り、すぐ聚楽第に向かった。
城の門前には、事前に早飛脚で連絡をしていたので、あやめが待っていた。
「お帰りなさいまし」
声をかけられた半介はあやめに会釈した。会釈をうけてあやめも頭をさげ、つぎに力をみた。
「力どの、おつとめ、お疲れさまにございます」
「…………」
黙って力はうつむいた。
力の様子を気を止めず、半介はたらいで足を洗い始めた。
続いて力も足を洗った。
足を洗った、半介と力は、城の御殿に付属している風呂で旅塵を落として、さっぱりして、茶々との面会に臨んだ。
茶々は上座に坐っている。
眉を怒らせ、腹をたてているようすだ。
「さっ、二人とも入って」
半介と力が姿をあらわすと、早々に茶々は声をかけた。
「はい」
言って、ふたりは座った。
「また半介の息子に襲われたそうね」
半介は、
(ああ、それで怒っておいでか……)
と合点した。
別段怒りの鉾先は晴隆にあるわけではない。晴隆をけしかけている秀吉に向けられたものだ。
「私どもを助勢して下さった〝風のかすみ〟どのを派遣して下さったのは、茶々さまですか?」
力が問うた。
茶々はちょっと驚いた表情で、
「誰、風のかすみって。私は知らないわよ。わたしはあなたたちの妨害をやめなさいって藤吉郎に言っただけよ」
「左様ですか……」
だいたい、力の思いあたる助太刀を派遣してくれる人といえば、まっさきに茶々が浮かぶ。だが、その線は消えた。
力が言う。
「〝風〟と名乗っているのだから、相模の風魔党の出身ではないでしょうか?」
それに対して茶々が口をはさむ。
「たしかに、それも考えられるわね。九州征伐を藤吉郎はもくろんでいるけど、それが終われば、関東に兵を出すでしょうし。そのまえに、いろいろと北条も手を打ってくるとは考えられるわね」
だが、半介は、〝風のかすみ=風魔党〟の図式には違和感を感じている。
いや、もっと明確に助力してしてくれそうな人物を脳裏に浮かべている。
そう、茶々の乳母の大野氏である。
「思うのですが、かすみどのは、風魔党などではなく、我らに近しい人によって放たれたとは考えられないでしょうか?」
「なんで半介はそう思うの?」
茶々である。
「いえ……なんとなく……」
もじもじとする半介を見て、茶々はピン、と来た。
「ははー、半介、お前、大野の母様が助けてくれたと思っているのね?」
半介は心中を見抜かれて、どきっとした。
しかし、茶々はヒラヒラと手を振って、
「それはないわよ。大野の母様には、忍びの知り合いなんていないし、仮にいたにしても、わたくしの目を盗んで、あれこれ動けるお人とは違うわよ」
「…………」
部屋で黙っている大野氏に半介が目をやると、大野氏は申し訳なさそうに、顔を振った。
そして半介たちへの力になれていない自身を恥じてか、席を外した。
――そうか、大野様が助け舟を出されたわけではなかったのか……。
半介は、がっかりもしたが、大野氏への怒りはなかった。
そんな半介の気持ちを探るでもなく、力が口を開いた。
「思えば、かすみどのの登場が、我らの旅のはじめとうまく合致していて、北条が乱波を放つにしても、もうすこし時間のずれがあってもおかしくないような……」
語尾は歯切れが悪い。だが、半介もそれには同意だった。
「じゃあ、誰よ? そんな助け船を出してくれる人なんて。冗談でも藤吉郎なんて言わないでよ。あの男が点数かせぎをしているなんて、冗談にもほどがあるでしょう」
みんな頭をひねっているが、答えは出ない。
「ともかく、今度かすみさんが現れたら、訊いてみましょう。答えてくれるかどうかは判りませんが」
力が子供っぽい提案をする。
茶々が、
「力、いい加減にしなさいよ。また藤吉郎が邪魔しに来る前提で話をしなさんな。わたしが藤吉郎の悪さをやめさせますから」
「そうありたいものですね」
いままで黙って部屋の末席で話のやりとりを聞いていたあやめが唐突に言った。
「なに? あやめ! あんた、わたくしを信じないの?」
「いえ……」
ばつの悪そうに、顔を赤らめるあやめだだった。
あやめの態度が殊勝だったので、半介は、ははっ、と笑った。
いっぽうで力は視線を畳に落とした。
すると、茶々はパンパンと手を叩いて、
「とりあえず、この話はこれまで。あなたたちが調べてきた義父さまの話を聞かせて」
半介は持ってきた風呂敷包みを開けた。
「ここに青山宗勝さまからお聞きした柴田権六さまの素姓が書き記してございます。御一覧下さい」
半介が報告書を両手で上げて、ささげると、脇にいたあやめがそれをとりあげて、茶々に手渡した。
「ご苦労だったわね。二人とも」
茶々のねぎらいの言葉に、半介は、
「かたじけなく」
と受けた。
報告書に目を落とす茶々が、報告書も終わりがけになって、
「そうそう。母様と柴田の義父さまが夫婦になられたきっかけは、清須での話し合いだったのよね」
茶々は納得顔で、さらに読み進める。
そして、読み終えると、茶々は、かるく報告書を頭の上に掲げて、ふたりの苦労に報いた。
「かたじけなく」
「痛み入ります」
半介、力、苦労が報われた瞬間である。
ふたりの挙措を見守ったのち、茶々が語りだした。
柴田の義父さまは、いつまでも母様を主家の貴賓としてあつかっておいででね。
そりゃあ、おかしかったわ。
え?
なんでおかしいのか、ですって?
そうでしょう、以前の立場はどうであれ、義父さまと母様は祝言をあげて、みごと夫婦となったのよ。
それなのに義父さまと言ったら……。
いつまでも、母様と接するのに腫物をさわるみたいだったわ。
母様は、武家の出であるからでしょうね、男を立てる女でね、主家の出であることなど、微塵も感じさせず、柴田の義父さまをたてて、ご自身は一段引いて……。
本当に、よくできた妻だったと思うわ。
子供のわたしがそう思うのだから、義父さまのご家中(家来のこと)は、みな、母様のことを敬っていたわ。
「できたお人だ――、って」
あるとき、末の妹のお江が、南蛮人形をねだって駄々をこねたときも、母様は「分をわきまえよ」とお諭しになられたが、義父さまは、伝手をたどって南蛮人形を手に入れてお江にやったのよ。
柴田権六どのは本当にお優しい義父上だったわ。
遠くからでもよくとおる大声でね。わたしたちも、
(あっ、義父上が帰られたわ)って、くすくす姉妹で笑い合って。
北庄での生活は、本当に楽しかったわ。
思えば、いろいろあったけど、柴田権六さまを「義父さま」と呼んでいたころは、本当に満ち足りたころだったわね。
わたくしも、初も、江も、
わたくしたち三姉妹を血のつながった実の娘のように接して下さった義父上。
そんな義父と実母を、死に追いやった藤吉郎!
本当に許せない!
わたくし、あることを聞いて、悪だくみを思いついたのだけれど、実は、いま摂津に、藤吉郎の譴責を受けて佐々内蔵助(成政)が牢につながれているのだけれど、その内蔵助は以前、義父上の与力をしていたらしいの。たぶん、義父さまのお話が聞けるわ。
ふたりとも、すぐさま旅支度をして摂津へ発って下さる?
そうね、わたくしが付いていくわけにはいかないから、文を認めておきましょう。
馬をつかっていいから、明日にでも摂津へ向かって頂戴。
第三章 了
ふたりが宿に着くと、宿の女将がふたりの姿にえらく驚いた。
「まあまあ、えらくすす汚れて。喧嘩でもなさっておいでだったので?」
半介はばつの悪そうに、
「ええ、まあ、そんなところです」
宿の女将は、
「ちかくに湯屋がございます。垢を落とされませ」
と、親切に銭湯を紹介してくれた。
「行こうか、力どの」
力もうなずいた。
宿の女将は「湯屋」と言ったが、現代のサウナみたいなところである。
蒸気を発生させて、汗を流し、汚れを落とすところである。
ふたりは蒸気に身をまかせ、その日あったことをふたりでふりかえっていた。
「晴隆どの、お怪我が深かったのでしょうか?」
力が気をつかうと、半介は、
「あのような大莫迦者、放っておけばよろしい」
「しかし、あの剣の重み、並の剣士ではございません」
「力どのは晴隆をある程度は認めておいでのようだが、わたしはまるであの者を評価しておらぬよ。だいたい親が右筆なのをひがんで、剣の道に走るなど、子供の駄々っ子かと思うわい」
力はくすりと笑った。
「力どの、とりあえず、ここだけの話と思っていただきたいが、わしの本音を申し上げよう」
「はい」
力はすこし背筋をのばした。
「わしももう四十の声を聞いた。だから、子に家督をゆずってもよいとは思っている。だが、いまの嫡男はあの晴隆なのだ。実はわしにはもうひとり次男になる男の子がおってな、それはよう手習いに励んでいて、右筆の才能もありそうじゃ。だから晴隆を廃嫡して、次男に家督をゆずろうかとも思う」
力は湯煙る半介の方を見た。
「半介様!」
半介は口元に半笑いの笑みを浮かべた。
「力どの。まあ聞きゃれ」
「……はい」
「廃嫡をするにも関白殿下の許しがなくばできぬ。いまおそらくは殿下のお気に入りである晴隆を廃嫡することは、至難じゃ」
力は、ああ、という納得の表情を作った。
半介は、ふぅーっと、深いため息をついた。
「まあ、お家がつづくならば、右筆にこだわらずとも良いのかもしれぬな。晴隆が関白殿下に気に入られてお家がつづくなら、それはそれで木下家にとっては良いのかもしれぬ」
力は語気を強めて、
「それはなりません。半介さま」
「ん、なぜかな、力どの」
「ことの発端は茶々さまのわがままだったやもしれませぬが、それでも今回の関白殿下のなさりようは児戯に似て見苦しい。それをゆるしてしまうのはわたしの矜持が許しません……」
そういったあと、力はうつむいて、すこし黙った。
「…………」
思いつめたかんじの力に、半介が声をかけた。
「――いかがなされた、力どの」
いわれて、力は首を振った。
「いえ、すこし考え事を……」
半介は力の表情に気に留めず、
「まあ、たしかに力どのが申されるとおり、お茶々さまのわがままから来た話ではあります。ただ、力どのはすこし肩に力が入りすぎやもしれませぬな」
半介のことばの端に揶揄の色がみえた。
力もそれを感じ取って、ややムッとして、
「子供が児戯をもてあそぶのはいけないと?」
半介は手をふって、
「あいや、お怒りの段はお許しありたい。わしもこの年になっても子を育てるということはむずかしいものだと思い至りましてな」
半介は煙にまいた。
力もそれを感じ取って、まかれてやった。
「わたしは右筆です。いくさばにでたこともありませんし、いくさ自体も大嫌いです。おのれが傷つくなど、想像だにもしたくない。剣も所持しているが、剣術はさっぱりです。力どのの爪の垢でも煎じて飲めば、すこしは上達するかもしれませぬが」
半介の諧謔に力はふっと微笑った。
半介はかまわずことばをつづける。
「こたびの柴田権六さまの生涯を探る旅。なかなかに興趣がわいてきました。たしかに、一人の漢の人生を探るなど、そうそう生きてて感じ取れるものではない。それを茶々さまはおやりになりたいとおっしゃる。わたしは茶々さまのお気持ちにそえるよう、権六さまの過去を探ってまいります」
力も点頭した。
「はい、まったく」
「ハハハ、話が長くなりましたな。この場をでましょう」
「ええ」
ふたりは低い位置にある戸を開けて、屈むようにして湯屋を出、冷水を浴びた。
「ああ、生き返る」
半介は冷やした体で背伸びをした。
力も冷水を浴びた。
「ああ、気持ちいい」
ふたりは湯屋をあとにした。
湯上がりのほてった体に、涼風が吹きぬける。
「ここちいいですね」
力のことばに、半介もうなずいた。
「明日には城下を出て、茶々さまの待つ京に向かいましょう」
「はい」
力は、同意した。
越前から四日の道程を三日で歩き抜いたふたりは京の町に入り、すぐ聚楽第に向かった。
城の門前には、事前に早飛脚で連絡をしていたので、あやめが待っていた。
「お帰りなさいまし」
声をかけられた半介はあやめに会釈した。会釈をうけてあやめも頭をさげ、つぎに力をみた。
「力どの、おつとめ、お疲れさまにございます」
「…………」
黙って力はうつむいた。
力の様子を気を止めず、半介はたらいで足を洗い始めた。
続いて力も足を洗った。
足を洗った、半介と力は、城の御殿に付属している風呂で旅塵を落として、さっぱりして、茶々との面会に臨んだ。
茶々は上座に坐っている。
眉を怒らせ、腹をたてているようすだ。
「さっ、二人とも入って」
半介と力が姿をあらわすと、早々に茶々は声をかけた。
「はい」
言って、ふたりは座った。
「また半介の息子に襲われたそうね」
半介は、
(ああ、それで怒っておいでか……)
と合点した。
別段怒りの鉾先は晴隆にあるわけではない。晴隆をけしかけている秀吉に向けられたものだ。
「私どもを助勢して下さった〝風のかすみ〟どのを派遣して下さったのは、茶々さまですか?」
力が問うた。
茶々はちょっと驚いた表情で、
「誰、風のかすみって。私は知らないわよ。わたしはあなたたちの妨害をやめなさいって藤吉郎に言っただけよ」
「左様ですか……」
だいたい、力の思いあたる助太刀を派遣してくれる人といえば、まっさきに茶々が浮かぶ。だが、その線は消えた。
力が言う。
「〝風〟と名乗っているのだから、相模の風魔党の出身ではないでしょうか?」
それに対して茶々が口をはさむ。
「たしかに、それも考えられるわね。九州征伐を藤吉郎はもくろんでいるけど、それが終われば、関東に兵を出すでしょうし。そのまえに、いろいろと北条も手を打ってくるとは考えられるわね」
だが、半介は、〝風のかすみ=風魔党〟の図式には違和感を感じている。
いや、もっと明確に助力してしてくれそうな人物を脳裏に浮かべている。
そう、茶々の乳母の大野氏である。
「思うのですが、かすみどのは、風魔党などではなく、我らに近しい人によって放たれたとは考えられないでしょうか?」
「なんで半介はそう思うの?」
茶々である。
「いえ……なんとなく……」
もじもじとする半介を見て、茶々はピン、と来た。
「ははー、半介、お前、大野の母様が助けてくれたと思っているのね?」
半介は心中を見抜かれて、どきっとした。
しかし、茶々はヒラヒラと手を振って、
「それはないわよ。大野の母様には、忍びの知り合いなんていないし、仮にいたにしても、わたくしの目を盗んで、あれこれ動けるお人とは違うわよ」
「…………」
部屋で黙っている大野氏に半介が目をやると、大野氏は申し訳なさそうに、顔を振った。
そして半介たちへの力になれていない自身を恥じてか、席を外した。
――そうか、大野様が助け舟を出されたわけではなかったのか……。
半介は、がっかりもしたが、大野氏への怒りはなかった。
そんな半介の気持ちを探るでもなく、力が口を開いた。
「思えば、かすみどのの登場が、我らの旅のはじめとうまく合致していて、北条が乱波を放つにしても、もうすこし時間のずれがあってもおかしくないような……」
語尾は歯切れが悪い。だが、半介もそれには同意だった。
「じゃあ、誰よ? そんな助け船を出してくれる人なんて。冗談でも藤吉郎なんて言わないでよ。あの男が点数かせぎをしているなんて、冗談にもほどがあるでしょう」
みんな頭をひねっているが、答えは出ない。
「ともかく、今度かすみさんが現れたら、訊いてみましょう。答えてくれるかどうかは判りませんが」
力が子供っぽい提案をする。
茶々が、
「力、いい加減にしなさいよ。また藤吉郎が邪魔しに来る前提で話をしなさんな。わたしが藤吉郎の悪さをやめさせますから」
「そうありたいものですね」
いままで黙って部屋の末席で話のやりとりを聞いていたあやめが唐突に言った。
「なに? あやめ! あんた、わたくしを信じないの?」
「いえ……」
ばつの悪そうに、顔を赤らめるあやめだだった。
あやめの態度が殊勝だったので、半介は、ははっ、と笑った。
いっぽうで力は視線を畳に落とした。
すると、茶々はパンパンと手を叩いて、
「とりあえず、この話はこれまで。あなたたちが調べてきた義父さまの話を聞かせて」
半介は持ってきた風呂敷包みを開けた。
「ここに青山宗勝さまからお聞きした柴田権六さまの素姓が書き記してございます。御一覧下さい」
半介が報告書を両手で上げて、ささげると、脇にいたあやめがそれをとりあげて、茶々に手渡した。
「ご苦労だったわね。二人とも」
茶々のねぎらいの言葉に、半介は、
「かたじけなく」
と受けた。
報告書に目を落とす茶々が、報告書も終わりがけになって、
「そうそう。母様と柴田の義父さまが夫婦になられたきっかけは、清須での話し合いだったのよね」
茶々は納得顔で、さらに読み進める。
そして、読み終えると、茶々は、かるく報告書を頭の上に掲げて、ふたりの苦労に報いた。
「かたじけなく」
「痛み入ります」
半介、力、苦労が報われた瞬間である。
ふたりの挙措を見守ったのち、茶々が語りだした。
柴田の義父さまは、いつまでも母様を主家の貴賓としてあつかっておいででね。
そりゃあ、おかしかったわ。
え?
なんでおかしいのか、ですって?
そうでしょう、以前の立場はどうであれ、義父さまと母様は祝言をあげて、みごと夫婦となったのよ。
それなのに義父さまと言ったら……。
いつまでも、母様と接するのに腫物をさわるみたいだったわ。
母様は、武家の出であるからでしょうね、男を立てる女でね、主家の出であることなど、微塵も感じさせず、柴田の義父さまをたてて、ご自身は一段引いて……。
本当に、よくできた妻だったと思うわ。
子供のわたしがそう思うのだから、義父さまのご家中(家来のこと)は、みな、母様のことを敬っていたわ。
「できたお人だ――、って」
あるとき、末の妹のお江が、南蛮人形をねだって駄々をこねたときも、母様は「分をわきまえよ」とお諭しになられたが、義父さまは、伝手をたどって南蛮人形を手に入れてお江にやったのよ。
柴田権六どのは本当にお優しい義父上だったわ。
遠くからでもよくとおる大声でね。わたしたちも、
(あっ、義父上が帰られたわ)って、くすくす姉妹で笑い合って。
北庄での生活は、本当に楽しかったわ。
思えば、いろいろあったけど、柴田権六さまを「義父さま」と呼んでいたころは、本当に満ち足りたころだったわね。
わたくしも、初も、江も、
わたくしたち三姉妹を血のつながった実の娘のように接して下さった義父上。
そんな義父と実母を、死に追いやった藤吉郎!
本当に許せない!
わたくし、あることを聞いて、悪だくみを思いついたのだけれど、実は、いま摂津に、藤吉郎の譴責を受けて佐々内蔵助(成政)が牢につながれているのだけれど、その内蔵助は以前、義父上の与力をしていたらしいの。たぶん、義父さまのお話が聞けるわ。
ふたりとも、すぐさま旅支度をして摂津へ発って下さる?
そうね、わたくしが付いていくわけにはいかないから、文を認めておきましょう。
馬をつかっていいから、明日にでも摂津へ向かって頂戴。
第三章 了
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この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに……
歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。
過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。
【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い
【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形
【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人
【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある
【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である
この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。
(前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)
戦国の華と徒花
三田村優希(または南雲天音)
歴史・時代
武田信玄の命令によって、織田信長の妹であるお市の侍女として潜入した忍びの於小夜(おさよ)。
付き従う内にお市に心酔し、武田家を裏切る形となってしまう。
そんな彼女は人並みに恋をし、同じ武田の忍びである小十郎と夫婦になる。
二人を裏切り者と見做し、刺客が送られてくる。小十郎も柴田勝家の足軽頭となっており、刺客に怯えつつも何とか女児を出産し於奈津(おなつ)と命名する。
しかし頭領であり於小夜の叔父でもある新井庄助の命令で、於奈津は母親から引き離され忍びとしての英才教育を受けるために真田家へと送られてしまう。
悲嘆に暮れる於小夜だが、お市と共に悲運へと呑まれていく。
※拙作「異郷の残菊」と繋がりがありますが、単独で読んでも問題がございません
【他サイト掲載:NOVEL DAYS】
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