吼えよ! 権六

林 本丸

文字の大きさ
上 下
14 / 35
第三章 織田筆頭家老権六

青山宗勝ものがたる その2

しおりを挟む
                                       3

 木下どのは越前の一揆のできごとはご存じかな?
 ご存知ない?
 左様さね、ちょっと詳しくお話しよう。
 越前の一向一揆は、大きく分けてふたつの期間に分けられる。
 天正二年の土一揆と天正三年の信長公と一向一揆との戦いとである。
 では、天正二年の土一揆について語ろう。
 そもそもの発端は、天正元年に信長公が越前の国主だった朝倉義景を討ったことに端緒がある。
 ここで信長公は、朝倉の旧臣たちを許し、それぞれ城を与えて安堵した。
 そのなかで、信長公がどこを気に入ったのか判らぬが、前波まえば吉継よしつぐという小人に越前の「守護代」を務めるよう指示された。前波吉継はこのとき、桂田長俊と名前を変えた。長俊の長は信長公の長の字の偏諱であることはつけ加えておこう。これだけの厚遇をみせた信長公のお考えが、ほんにわたしにはよく判らない。
 なぜかって?
 それは前波吉継改め桂田長俊という人物が、とるに足らない小人であったからよ。
 前波吉継は、もともと朝倉家中で重臣であったわけでも無かったので、朝倉旧臣の妬みもあって、――で、特に富田とだ長繁ながしげは前波と朝倉家臣であったころからの犬猿の仲であったため、前波吉継を敵視するようになった。
 さらに悪いことに、前波吉継は信長公の厚遇にあぐらをかき、もと同格であった者たちに対して、尊大で無礼な態度をとり、結果、天正二年になると、富田長繁は吉継を滅ぼすべく、越前中の村々の有力者をかたり、反前波の土一揆をおこしたのだ。
 一揆の総数は三万以上にのぼり、それだけの兵力に囲まれた一乗谷はすぐさま落ち、前波吉継は討ち取られた。
 これで一揆はおさまるやに思われたが、富田は策謀をめぐらして前波成敗の宴を開くと称して、魚住うおずみ景固かげかたを手始めに謀略を尽くして魚住一族を滅亡させてしまった。
 しかしながら、富田はもちろん、一揆方とも敵対していなかった魚住一族を富田が先導して討ったことで、一揆衆が富田に対して疑心を持ったのである。
 結果、富田長繁は一向一揆側と手切れし、反撃を企てたが、一揆衆の逆襲にあって、討死したのさ。
 そのご、一揆衆に通じた安居あご景健かげたけ、朝倉景胤かげたねなどの一部の将を除いて、朝倉旧家臣団はことごとく一揆衆にほろぼされ、「百姓のもちたる国」となったのだ。
 これにより、信長公は、越前への影響力を失った。しかし、当時の織田家は武田氏や長島の一向一揆、大坂本願寺など、多方面の敵対勢力に対処しており、越前に兵を割くまでの余裕がなかった。
 百姓のもちたる国になったのだが、一揆衆の指導者である、七里しちり頼周よりちかや大坂の石山本願寺から派遣された下間しもつま頼照らいしょうら坊官の政治は、みずからの私利私欲を満たすためにおこなわれた。一例を挙げれば、織田氏との臨戦下にあるとして、前波吉継以上の重税や賦役を一揆衆に課したのだ。ために七里や下間は一揆衆から見放され、急速に指導力を失い、一揆内一揆が発生するという泥沼となった。
 越前一揆は内部から崩壊していったのだ――。

 どうかな、これが越前一揆の前期の物語よ。
 なぜ、こう、長々と越前一揆の話をしたかというと、このあと、これの鎮圧に柴田権六どのが尽力されたからにほかならないからさ。
 それに、この一揆勢の討伐には、長秀さまも担当されておって、実はそれがしもこれには参陣しておる。だから、こう詳しくお話しできるというわけなのよ。
 お二方、お分かりよな?
 このように混沌と化した越前を乱麻を断つように解決に向けて尽力されたのが、柴田どのをはじめとする織田家中の面々なのだ。
 しかもつけ加えると、この越前一揆を鎮めると、信長公は越前八郡を柴田どのに委ねられる。つまり、柴田権六どのの織田家中における北陸支配の黎明がここにあるのだ。
 よって、ここを詳しく語っておる。
 よろしいか?
 すでにお話したが、七里頼周や下間頼照など、本願寺の息のかかった坊官どもは、自身の私利私欲のために、重税や賦役を、容赦なく越前の民百姓にかけた。
 これに天台宗や真言宗が激怒した。この怒りに呼応して、国人衆や民衆はおろか、ついには越前の一向門徒までが反発をして、天正三年の声を聞くと、一揆の一揆が起きるという混沌を示した。
 一方、いわゆる信長包囲網を破りつつあった信長公は、天正三年五月に武田勝頼率いる武田騎馬軍団を長篠で破り、背後の憂いを断つと、越前の一向一揆の分裂状態を奇貨として、越前への侵攻を決められた。
 八月十二日に岐阜を発たれた信長公は、翌十三日には、羽柴秀吉を名乗っておられた関白殿下の守る小谷城に入られ、この小谷城から兵糧を持ちだして、全軍に配られた。
 そして公は、十四日には若狭の敦賀城に入った。
 八月十五日はほんに風雨の強い日でな、みな苦吟しながら越前に入ったものよ。むろんそのなかにわしも参加しておってな、ほんに厳しい行軍であったよ。
 織田軍は、三万をこえる大兵でな、指揮官も筆頭家老の佐久間信盛さまは当然のこと、次席家老の柴田権六どの、わが旧主丹羽長秀さま、また織田五大将と称された、滝川一益さま、羽柴を名乗っておいでだったころの関白殿下、惟任日向(明智光秀)、またこのあと北陸を柴田さまが管轄されるが、その与力として付けられた前田犬千代(利家)どのや佐々内蔵助成政どのなどなど、一門連枝、尾張衆、美濃衆、近江衆、伊勢衆などなど、信長公の支配下にある領国の兵らがみな動員されて越前に向かった。
 軍勢の最前列には、織田方に寝返った越前衆――、つまり越前の国人や浪人、宗徒などなどが配置された。まあ、これはいくさの常套ゆえ、驚くにはあたらぬが。
 海からは織田水軍数百艘が、おのおのの将に率いられて、越前のみなとや浦から上陸し、放火して回った。
 織田軍は二三日のうちに一勢を平らげて、指揮をとっていた将官を次々に討ち取った。
 結果、一揆は指導者を失い、完全に崩壊した。一揆に参加していた者どもは、混乱しながら山中に逃げた。
 これに対して信長公は、「諸坊主や土一揆の者どもは、加賀国に落ちていくはずだ。加賀を目指さぬ者は、ある者は山林、ある者は渓谷、または藪の影、岩の狭間などに逃れるところを、わが全軍をもって、そこにおしとどめ、追いつめ、探し出し、斬り殺し、刺し殺し、たたき殺し、踏み殺せ」と命ぜられた。
 この戦いで、一揆衆は一万二千人以上が討ち取られ、三万から四万にものぼる者たちが奴婢ぬひ(奴隷)として尾張や美濃に送られたと聞く。
 いくさが終わったあと、信長公は、越前八郡七十五万石とその拠点として北庄城を柴田権六どのにお与えになった。
 権六どのは、だいたい九月初旬には、越後に入られたやに聞きおよぶ。
 そして、越前府中十万石は、前田犬千代(利家)どの、佐々内蔵助どの、不破光治どのに相知あいちにされた。
 相知について、木下どのならご存知であろう?
 相知とは、同じ土地を三人協力しておさめていくことよ。だから、十万石を三万三千石ずつ均等割したとはわけが違うのだよ。
 お分かりか? 渡辺どの。
 いわゆる三頭政治というものさ。
 よろしい。
 ではつづけよう。
 この前田、佐々、不破の三名は、おさめておる土地からその名をとって「府中三人衆」と呼ばれた。
 府中三人衆は、柴田どのの与力ではあるが、そのおこないを監視する役割ももたされておる。つまり目付の役じゃな。よって柴田どのが暴走した場合、この三名が押さえ役を担うというわけ。
 一方で、柴田どのは柴田どので、この三者を与力として使いつつ、監視、指示もおこなうという、相互での見合を信長公は命ぜられた。
 まあ、さして驚くべきことでもあるまい。
 こうして越前の一向一揆は鎮められたが、隣国加賀も「百姓のもちたる国」であったのだが、この加賀も、天正八年ごろぐらいまでには織田軍に掃討され、越前一向一揆の指導者で唯一難を逃れて加賀へ逃亡していた七里頼周も、このとき捕らえられて処刑されたらしい。
 こうして北陸の一向一揆はおさまった。
 信長公の強権と強力な指導力の賜物よな。
 うむ。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

独裁者・武田信玄

いずもカリーシ
歴史・時代
歴史の本とは別の視点で武田信玄という人間を描きます! 平和な時代に、戦争の素人が娯楽[エンターテイメント]の一貫で歴史の本を書いたことで、歴史はただ暗記するだけの詰まらないものと化してしまいました。 『事実は小説よりも奇なり』 この言葉の通り、事実の方が好奇心をそそるものであるのに…… 歴史の本が単純で薄い内容であるせいで、フィクションの方が面白く、深い内容になっていることが残念でなりません。 過去の出来事ではありますが、独裁国家が民主国家を数で上回り、戦争が相次いで起こる『現代』だからこそ、この歴史物語はどこかに通じるものがあるかもしれません。 【第壱章 独裁者への階段】 国を一つにできない弱く愚かな支配者は、必ず滅ぶのが戦国乱世の習い 【第弐章 川中島合戦】 戦争の勝利に必要な条件は第一に補給、第二に地形 【第参章 戦いの黒幕】 人の持つ欲を煽って争いの種を撒き、愚かな者を操って戦争へと発展させる武器商人 【第肆章 織田信長の愛娘】 人間の生きる価値は、誰かの役に立つ生き方のみにこそある 【最終章 西上作戦】 人々を一つにするには、敵が絶対に必要である この小説は『大罪人の娘』を補完するものでもあります。 (前編が執筆終了していますが、後編の執筆に向けて修正中です)

戦国記 因幡に転移した男

山根丸
SF
今作は、歴史上の人物が登場したりしなかったり、あるいは登場年数がはやかったりおそかったり、食文化が違ったり、言語が違ったりします。つまりは全然史実にのっとっていません。歴史に詳しい方は歯がゆく思われることも多いかと存じます。そんなときは「異世界の話だからしょうがないな。」と受け止めていただけると幸いです。 カクヨムにも載せていますが、内容は同じものになります。

だんだんおかしくなった姉の話

暗黒神ゼブラ
ホラー
弟が死んだことでおかしくなった姉の話

がむしゃら三兄弟 第三部・長尾隼人正一勝編

林 本丸
歴史・時代
がむしゃら三兄弟の最終章・第三部です。 話の連続性がございますので、まだご覧になっておられない方は、ぜひ、第一部、第二部をお読みいただいてから、この第三部をご覧になってください。 お願い申しあげます。 山路三兄弟の末弟、長尾一勝の生涯にどうぞ、お付き合いください。 (タイトルの絵は、AIで作成いたしました)

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

永き夜の遠の睡りの皆目醒め

七瀬京
歴史・時代
近藤勇の『首』が消えた……。 新撰組の局長として名を馳せた近藤勇は板橋で罪人として処刑されてから、その首を晒された。 しかし、その首が、ある日忽然と消えたのだった……。 近藤の『首』を巡り、過去と栄光と男たちの愛憎が交錯する。 首はどこにあるのか。 そして激動の時代、男たちはどこへ向かうのか……。 ※男性同士の恋愛表現がありますので苦手な方はご注意下さい

枢軸国

よもぎもちぱん
歴史・時代
時は1919年 第一次世界大戦の敗戦によりドイツ帝国は滅亡した。皇帝陛下 ヴィルヘルム二世の退位により、ドイツは共和制へと移行する。ヴェルサイユ条約により1320億金マルク 日本円で200兆円もの賠償金を課される。これに激怒したのは偉大なる我らが総統閣下"アドルフ ヒトラー"である。結果的に敗戦こそしたものの彼の及ぼした影響は非常に大きかった。 主人公はソフィア シュナイダー 彼女もまた、ドイツに転生してきた人物である。前世である2010年頃の記憶を全て保持しており、映像を写真として記憶することが出来る。 生き残る為に、彼女は持てる知識を総動員して戦う 偉大なる第三帝国に栄光あれ! Sieg Heil(勝利万歳!)

西涼女侠伝

水城洋臣
歴史・時代
無敵の剣術を会得した男装の女剣士。立ち塞がるは三国志に名を刻む猛将馬超  舞台は三國志のハイライトとも言える時代、建安年間。曹操に敗れ関中を追われた馬超率いる反乱軍が涼州を襲う。正史に残る涼州動乱を、官位無き在野の侠客たちの視点で描く武侠譚。  役人の娘でありながら剣の道を選んだ男装の麗人・趙英。  家族の仇を追っている騎馬民族の少年・呼狐澹。  ふらりと現れた目的の分からぬ胡散臭い道士・緑風子。  荒野で出会った在野の流れ者たちの視点から描く、錦馬超の実態とは……。  主に正史を参考としていますが、随所で意図的に演義要素も残しており、また武侠小説としてのテイストも強く、一見重そうに見えて雰囲気は割とライトです。  三國志好きな人ならニヤニヤ出来る要素は散らしてますが、世界観説明のノリで注釈も多めなので、知らなくても楽しめるかと思います(多分)  涼州動乱と言えば馬超と王異ですが、ゲームやサブカル系でこの2人が好きな人はご注意。何せ基本正史ベースだもんで、2人とも現代人の感覚としちゃアレでして……。

処理中です...