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第二章 若き権六の肖像
林一吉のものがたり 終わる
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さて、わが物語もこの辺でしまいです。
――が、そうだ。
お二方は柴田どのの話を聞きに来たわけですよな。
ならば、どういう経緯で、敵対していた柴田権六どのが、信長公に仕えるようになったか、は知りたいでしょうな。
よし、最後にお聞かせしましょう。
弘治四年は二月二十八日に永禄と改元されますが、この時期に信長公の弟君の信勝さまは次席家老の津々木蔵人を重く用いるようになられて、筆頭家老の柴田権六どのは徐々に信勝さまの近くから遠ざけられるようになった。これは理由があって、柴田どのは信長公に赦免されたことを重く受け止め、ことあるごとに勘十郎信勝さまに諫言するようになったのでございます。
誰しも諫言などは聞きたくもないという、信勝さまの心情は分かってもらえると思いますし、その一方で、甘言を弄する津々木が重く用いられるようになったのは、理の当然というわけです。
一敗地にまみれた信勝さまがいつごろから、信長公を退けようとその思いを強くされたかは、傍からは判りませぬ。
前もすこし触れたと思いますが、もともと信勝さまは信長公に協力的であって、周囲に踊らされて敵対するようになったようにわたしは感じております。
しかし、稲生の戦いで、信勝さまのすべてがひっくり返って、信長公に忠誠を誓われるようになられたが、信勝さまひとり――いや、津々木を含めれば、すくなくとも信勝さまとふたりは、反信長公の思いを強くされたやに思います。
思えば不幸なことです。
血のつながったご兄弟が家督をめぐって殺し合うなど、平和な時代では起こりえぬ不幸です。
しかし、信長公への叛旗を鮮明にされた信勝さまは、岩倉織田家と結んで、信長公の排除に動かれた。
それを知った柴田権六どのは、すぐさま清須の信長公のもとへ走り、信勝さまのご謀叛の由を告げられたのです。
信長公は兵を動かさず、謀略でもって信勝さまを除かれることを思い立たれ、ご自身は病と称して清須に籠もられた。
すでに信長公と示し合わせていた柴田どのは、なにも知らない御母堂の土田御前を語らって、信勝さまに信長公のお見舞いに行くよう進言し、最初は乗り気でなかった信勝さまであられたが、あまりに柴田どのと土田御前のおふたかたが強く勧めるので、仕方なしに清須へ赴かれ、そこで十一月二日、清須城内で信長公の手にかかられて、御首級をとられたやに聞き申します。
信勝さま亡きあと、柴田権六どのは名実ともに信長公の御家臣となり、そのご、信長公がお亡くなりになるまで、――いやさ、お亡くなりになったあとも、織田家の重臣として、粉骨砕身、はたらかれておられた。
さてさて、わたしが話せるのはこのくらいかな。
木下どの、渡辺どの、おふたりとも、お疲れでありましたな。
林の話が終わると、渡辺力は、大きく伸びをして、「ふー」と息を継いだ。
「林さま、ありがとう存じました」
半介が感謝の意を示すと、林一吉も破顔して、
「いやさ、はじめは確かにあまり乗り気ではなかったが、話しているうち、だんだんとわし自身も柴田どのと同化するような気がしたよ。たまの昔話も悪くないな、うむ」
部屋に墨の匂いがたちこめている。
半介が林のことばを紙に認めた、走り書きである。
「して、この先の柴田どのの話は、どうなさる?」
林が訊いてきた。
半介が答える。
「茶々さまとご相談するしかないでしょうな。私らでは伝手を探すにも、もともと織田家に人脈がございませぬ。しかも、あまりおおっぴらにやると、関白殿下から叱責を受けかねない。なかなか話し手になりたがる人もいないやに思います……」
林が腕を組んだ。
「そうさなぁ」
しばらく部屋に沈黙の時間がながれた。
そして、林が思い切ったように、うん、とひとつうなずいて、
「わたしからひとり、推薦させてもらえぬかな?」
半介と力は互いに顔を見合わせ、莞爾と笑みをつくって林に向き直った。
「是非に、よろしくお願いいたしまする」
ふたり声をそろえて感謝を伝えた。
「うむ、青山宗勝どのをご紹介しよう」
半介は、手を叩いて、
「丹羽長秀様のご家中の方ですな」
「さよう、木下どの、よくご存じじゃな」
「いえ、丹羽様ならば関白殿下より地位の上にあられた方。そのお方のご家中ならば、多少は関白殿下も気を使わねばならぬ道理」
林は苦笑いして、
「いやいや、昔はそうかもしれぬが、いまは関白殿下の方がおちからは上じゃ。わしが推薦するのは、青山どのに反骨の御気性がおありになるからよ」
力はあわてて、
「林さま、お気持ちがお変わりにならぬ前に、推薦状を青山さまに送っていただけないでしょうか」
林は笑って、
「ハハハ、渡辺どの、ご心配あるな。青山どのが承けてくれるかどうかはともかく――、まぁ、わたしは承けてくれると思っておるが、その願い状を出すことはやぶさかではないよ」
力は深々と頭を下げて、
「よろしくお頼み申します」
※ ※ ※
半介と力が林一吉のもとを訪れているころ、京の聚楽第の秀吉のもとに、訪問者があった。
前田利家であった。
利家は小柄な秀吉とは対照的に背の高い偉丈夫である。
その大男が、のしのし聚楽第の渡り廊下を歩みゆく。
そして秀吉の住まう奥向の部屋に、やってきた。
「殿下、聞きましたぞ」
あたりをはばからぬ、利家の大声である。
「何がよ、又左どの」
前田又左衛門利家は、秀吉に近づき、その耳元に声をひそめ、ささやくように話した。
「茶々どのが親父さま(柴田勝家)の過去を探っておいでとか……」
秀吉は近い利家の顔をまじまじと見つめ、
「そうなんじゃ。面倒ごとよ」
利家は取り乱したように、
「いけません。いけません。何としても妨害せねば」
秀吉もうなずいて、
「まことじゃ。儂も佐吉(石田三成)を使って、そうさせているところじゃて」
利家は拝むように、
「頼み参らせますぞ。殿下」
さて、わが物語もこの辺でしまいです。
――が、そうだ。
お二方は柴田どのの話を聞きに来たわけですよな。
ならば、どういう経緯で、敵対していた柴田権六どのが、信長公に仕えるようになったか、は知りたいでしょうな。
よし、最後にお聞かせしましょう。
弘治四年は二月二十八日に永禄と改元されますが、この時期に信長公の弟君の信勝さまは次席家老の津々木蔵人を重く用いるようになられて、筆頭家老の柴田権六どのは徐々に信勝さまの近くから遠ざけられるようになった。これは理由があって、柴田どのは信長公に赦免されたことを重く受け止め、ことあるごとに勘十郎信勝さまに諫言するようになったのでございます。
誰しも諫言などは聞きたくもないという、信勝さまの心情は分かってもらえると思いますし、その一方で、甘言を弄する津々木が重く用いられるようになったのは、理の当然というわけです。
一敗地にまみれた信勝さまがいつごろから、信長公を退けようとその思いを強くされたかは、傍からは判りませぬ。
前もすこし触れたと思いますが、もともと信勝さまは信長公に協力的であって、周囲に踊らされて敵対するようになったようにわたしは感じております。
しかし、稲生の戦いで、信勝さまのすべてがひっくり返って、信長公に忠誠を誓われるようになられたが、信勝さまひとり――いや、津々木を含めれば、すくなくとも信勝さまとふたりは、反信長公の思いを強くされたやに思います。
思えば不幸なことです。
血のつながったご兄弟が家督をめぐって殺し合うなど、平和な時代では起こりえぬ不幸です。
しかし、信長公への叛旗を鮮明にされた信勝さまは、岩倉織田家と結んで、信長公の排除に動かれた。
それを知った柴田権六どのは、すぐさま清須の信長公のもとへ走り、信勝さまのご謀叛の由を告げられたのです。
信長公は兵を動かさず、謀略でもって信勝さまを除かれることを思い立たれ、ご自身は病と称して清須に籠もられた。
すでに信長公と示し合わせていた柴田どのは、なにも知らない御母堂の土田御前を語らって、信勝さまに信長公のお見舞いに行くよう進言し、最初は乗り気でなかった信勝さまであられたが、あまりに柴田どのと土田御前のおふたかたが強く勧めるので、仕方なしに清須へ赴かれ、そこで十一月二日、清須城内で信長公の手にかかられて、御首級をとられたやに聞き申します。
信勝さま亡きあと、柴田権六どのは名実ともに信長公の御家臣となり、そのご、信長公がお亡くなりになるまで、――いやさ、お亡くなりになったあとも、織田家の重臣として、粉骨砕身、はたらかれておられた。
さてさて、わたしが話せるのはこのくらいかな。
木下どの、渡辺どの、おふたりとも、お疲れでありましたな。
林の話が終わると、渡辺力は、大きく伸びをして、「ふー」と息を継いだ。
「林さま、ありがとう存じました」
半介が感謝の意を示すと、林一吉も破顔して、
「いやさ、はじめは確かにあまり乗り気ではなかったが、話しているうち、だんだんとわし自身も柴田どのと同化するような気がしたよ。たまの昔話も悪くないな、うむ」
部屋に墨の匂いがたちこめている。
半介が林のことばを紙に認めた、走り書きである。
「して、この先の柴田どのの話は、どうなさる?」
林が訊いてきた。
半介が答える。
「茶々さまとご相談するしかないでしょうな。私らでは伝手を探すにも、もともと織田家に人脈がございませぬ。しかも、あまりおおっぴらにやると、関白殿下から叱責を受けかねない。なかなか話し手になりたがる人もいないやに思います……」
林が腕を組んだ。
「そうさなぁ」
しばらく部屋に沈黙の時間がながれた。
そして、林が思い切ったように、うん、とひとつうなずいて、
「わたしからひとり、推薦させてもらえぬかな?」
半介と力は互いに顔を見合わせ、莞爾と笑みをつくって林に向き直った。
「是非に、よろしくお願いいたしまする」
ふたり声をそろえて感謝を伝えた。
「うむ、青山宗勝どのをご紹介しよう」
半介は、手を叩いて、
「丹羽長秀様のご家中の方ですな」
「さよう、木下どの、よくご存じじゃな」
「いえ、丹羽様ならば関白殿下より地位の上にあられた方。そのお方のご家中ならば、多少は関白殿下も気を使わねばならぬ道理」
林は苦笑いして、
「いやいや、昔はそうかもしれぬが、いまは関白殿下の方がおちからは上じゃ。わしが推薦するのは、青山どのに反骨の御気性がおありになるからよ」
力はあわてて、
「林さま、お気持ちがお変わりにならぬ前に、推薦状を青山さまに送っていただけないでしょうか」
林は笑って、
「ハハハ、渡辺どの、ご心配あるな。青山どのが承けてくれるかどうかはともかく――、まぁ、わたしは承けてくれると思っておるが、その願い状を出すことはやぶさかではないよ」
力は深々と頭を下げて、
「よろしくお頼み申します」
※ ※ ※
半介と力が林一吉のもとを訪れているころ、京の聚楽第の秀吉のもとに、訪問者があった。
前田利家であった。
利家は小柄な秀吉とは対照的に背の高い偉丈夫である。
その大男が、のしのし聚楽第の渡り廊下を歩みゆく。
そして秀吉の住まう奥向の部屋に、やってきた。
「殿下、聞きましたぞ」
あたりをはばからぬ、利家の大声である。
「何がよ、又左どの」
前田又左衛門利家は、秀吉に近づき、その耳元に声をひそめ、ささやくように話した。
「茶々どのが親父さま(柴田勝家)の過去を探っておいでとか……」
秀吉は近い利家の顔をまじまじと見つめ、
「そうなんじゃ。面倒ごとよ」
利家は取り乱したように、
「いけません。いけません。何としても妨害せねば」
秀吉もうなずいて、
「まことじゃ。儂も佐吉(石田三成)を使って、そうさせているところじゃて」
利家は拝むように、
「頼み参らせますぞ。殿下」
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