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第二章 若き権六の肖像
林一吉ものがたる その4
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さて、ここでわが林家についても語っておきましょうかね。
林家は尾張春日井郡沖村を本貫とする土豪です。
わが祖父は八郎左衛門通安で、織田家に仕えておりました。その通安の子の新五郎、つまりわが実父秀貞は、織田信秀公に仕えて重臣となったのです。
信秀公に信長公がお生まれになると、先ほどもお話ししたように、父秀貞は「一長」として、信長公に附属せられ、那古野城に移った。何度も申し上げておりますが、信長公はお生まれからして信秀公の後継者とされており、その一長にわが父が選ばれたということは、それだけ父が信秀公に信頼されていた証であり、また、それだけの地位にあったことを示しています。
ハハ、ちょっと自慢に聞こえましたかな?
さて、戯れ言はそれまで。
はなしをつづけますぞ。
これも先ほどお話ししたように、「二長」が平手政秀どのであり、信長公の傅役として、その養育をみられておられた。
林家の前身として語れることはこのぐらいでしょうかな。
さて、話は天文二十三年のことです。
信長公は、尾張国の小河水野氏の支援のために、斎藤道三に頼み勢して安藤伊賀守守就を那古野城の留守居とした。そして自身は今川方の村木砦、これは知多半島にあった城ですが、ここを攻められた。
このとき、父佐渡守秀貞は、弟である叔父の美作守と共に知多へ兵を出すことに反対し、与力である荒子の前田与十郎のところに引退してしまった。
そのために、安藤が那古野城の留守居となったという話さね。
このときの信長公のお怒りについては聞いた事はないが、わが父とはいえ、ずいぶん思い切ったことをするものだと、話を聞かされたときは正直、思いましたぞ。
先ほども申しましたように、父佐渡守は一長であり、那古野城の城代とでもいうべき立場にある人物だったのですが、佐渡守と弟の美作守が引退してしまったために、信長公は、よそ者の安藤を留守居にせざるを得ない状況となった。一面、信長公にしてみても説得もせずに、父をないがしろにされたともいえなくもないが、説得をあきらめられたやもしれぬ。一方で、このときは、父も父で大人げない態度に終始していたのではなかったかと、わたしもおもいますよ。
信長公の肩をもつようですが。
いずれにせよ、こうなった以上、両者の亀裂は大きいといわざるを得ません。
さて、そうした弾正忠家内の分裂状態もありつつも、この年の四月だったか五月だったか、信長公はついに、清須織田家の当主、彦五郎を討って、事実上、尾張下四郡のあるじとなられたのです。
これによって清須城に信長公が入り、あるじのぬけた那古野城に、父佐渡守を呼び戻して那古野城を任されたのです。
こうしてみると、信長公は、父のわがままにつきあってくださっておられたのか、それとも織田家は人材に恵まれておらず、致し方なく父を使っていたのか、よくは判りませぬが、表面上は父を許して使っておられたようです。
ともあれ、信長公の清須城への移徙から、時は二年ほど飛んで、弘治二年になります。
途中、天文は改元があって弘治に元号が代わっております。
この弘治二年四月二十日、信長公の理解者であった斎藤道三が、こともあろうか息子の義龍に討たれ、命を落とすということがあった。
信長公は美濃へ兵をお出しになられたが、結果は間に合わず、道三を助けることはできなかったのでございます。
うむ、ここでいったん休息しましょうか。
わたしも疲れて参りましたよ。
ですが、まだまだ話は続きますよ。
お二方、厠へ行かれて、帰られたら、背伸びなされよ。
お茶と茶菓も召し上がられよ。
さ、さ。
そうか、渡辺どのは、厠に立たれるか。
いってらっしゃい。
渡辺どのは、帰ってこられたかね?
木下どのは、背伸びはされたかね?
では、続きをはじめましょうか。
さて、ここでわが林家についても語っておきましょうかね。
林家は尾張春日井郡沖村を本貫とする土豪です。
わが祖父は八郎左衛門通安で、織田家に仕えておりました。その通安の子の新五郎、つまりわが実父秀貞は、織田信秀公に仕えて重臣となったのです。
信秀公に信長公がお生まれになると、先ほどもお話ししたように、父秀貞は「一長」として、信長公に附属せられ、那古野城に移った。何度も申し上げておりますが、信長公はお生まれからして信秀公の後継者とされており、その一長にわが父が選ばれたということは、それだけ父が信秀公に信頼されていた証であり、また、それだけの地位にあったことを示しています。
ハハ、ちょっと自慢に聞こえましたかな?
さて、戯れ言はそれまで。
はなしをつづけますぞ。
これも先ほどお話ししたように、「二長」が平手政秀どのであり、信長公の傅役として、その養育をみられておられた。
林家の前身として語れることはこのぐらいでしょうかな。
さて、話は天文二十三年のことです。
信長公は、尾張国の小河水野氏の支援のために、斎藤道三に頼み勢して安藤伊賀守守就を那古野城の留守居とした。そして自身は今川方の村木砦、これは知多半島にあった城ですが、ここを攻められた。
このとき、父佐渡守秀貞は、弟である叔父の美作守と共に知多へ兵を出すことに反対し、与力である荒子の前田与十郎のところに引退してしまった。
そのために、安藤が那古野城の留守居となったという話さね。
このときの信長公のお怒りについては聞いた事はないが、わが父とはいえ、ずいぶん思い切ったことをするものだと、話を聞かされたときは正直、思いましたぞ。
先ほども申しましたように、父佐渡守は一長であり、那古野城の城代とでもいうべき立場にある人物だったのですが、佐渡守と弟の美作守が引退してしまったために、信長公は、よそ者の安藤を留守居にせざるを得ない状況となった。一面、信長公にしてみても説得もせずに、父をないがしろにされたともいえなくもないが、説得をあきらめられたやもしれぬ。一方で、このときは、父も父で大人げない態度に終始していたのではなかったかと、わたしもおもいますよ。
信長公の肩をもつようですが。
いずれにせよ、こうなった以上、両者の亀裂は大きいといわざるを得ません。
さて、そうした弾正忠家内の分裂状態もありつつも、この年の四月だったか五月だったか、信長公はついに、清須織田家の当主、彦五郎を討って、事実上、尾張下四郡のあるじとなられたのです。
これによって清須城に信長公が入り、あるじのぬけた那古野城に、父佐渡守を呼び戻して那古野城を任されたのです。
こうしてみると、信長公は、父のわがままにつきあってくださっておられたのか、それとも織田家は人材に恵まれておらず、致し方なく父を使っていたのか、よくは判りませぬが、表面上は父を許して使っておられたようです。
ともあれ、信長公の清須城への移徙から、時は二年ほど飛んで、弘治二年になります。
途中、天文は改元があって弘治に元号が代わっております。
この弘治二年四月二十日、信長公の理解者であった斎藤道三が、こともあろうか息子の義龍に討たれ、命を落とすということがあった。
信長公は美濃へ兵をお出しになられたが、結果は間に合わず、道三を助けることはできなかったのでございます。
うむ、ここでいったん休息しましょうか。
わたしも疲れて参りましたよ。
ですが、まだまだ話は続きますよ。
お二方、厠へ行かれて、帰られたら、背伸びなされよ。
お茶と茶菓も召し上がられよ。
さ、さ。
そうか、渡辺どのは、厠に立たれるか。
いってらっしゃい。
渡辺どのは、帰ってこられたかね?
木下どのは、背伸びはされたかね?
では、続きをはじめましょうか。
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