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第二章 若き権六の肖像
林一吉ものがたる その3
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では、つづきをはじめますぞ。
信長公と斎藤道三との会見は、信秀公の没後、天文二十二年の話であるが、もそっと時をさかのぼり、信秀公のお亡くなりになるところに触れねばなりまぬ。
実は、信秀公は天文二十一年の三月に身まかられるが、その二年前の天文十九年に、「尾州錯乱」と一部で言われるような、尾張国内の反信秀公勢力の一斉蜂起がありましてな、この尾張国内の混乱に乗じて、駿河の今川義元は、こともあろうに、尾張の沓掛を中心に、その周辺に安堵状を発行するということをしております。これはとりもなおさず、もはや信秀公の尾張における影響力が、ほとんど有名無実にまで落ちてしまったことの裏返しと申せましょう。
そんなどん底の中、信秀公は、流行病に罹られて、急逝された。
おそらく心労も重なっておいでであったろうやに推察申しあげる。
それで信秀公の死後、嫡男であられる信長公が弾正忠家の家督を継ぐことになりましたが、「うつけどの」と世間に知られていた信長公が、すんなり家督を継げたということではありません。
まあ、信長公の奇矯なお姿を皆が見ておりましたからな。仕方のないところではありますな。
奇矯な御姿の一端をお話ししよう。
それは、信秀公のご葬儀でのできごと。
この席には、もちろんわしの父の林佐渡守も、信長公の弟君の信勝さまの家老をつとめておった柴田権六どのも出席しております。
弾正忠家の家督を継いだ信長公は、もちろん喪主でありましたが、葬儀の場に現れたそのお姿は、長柄の大刀と脇差を三五縄で巻きつけておられたそうです。三五縄はおふたかたもご存じと思うが、稲穂の芯で綯った縄のことですな。頭は茶筅髷、袴も穿かずといった出で立ちであったと父から聞かされました。
信長公は、そのお姿で、仏前の抹香を鷲掴みにされると、仏前に投げつけて帰られたのです。
一方で、弟君の勘十郎信勝さまは、威儀正しく肩衣、袴といういでたちで、作法にのっとってお祈りを捧げられた。
その葬儀の場に居あわせた人々は、口々に信長公を「大うつけ」と罵り、そして信勝さまこそ弾正忠家を継ぐにふさわしいお人との考えで一致したのよ。
どうです、木下どのはどう思われますか?
え?
そんな予想外なことをされれば、みなの人心が、信長公から離れても仕方がない?
木下どの、よく分かっておられるな。
そう、信長公の求心力は、まったく地に堕ちた。
ともかく、話をつづけますぞ。
ただ、それでも信長公は、弾正忠家の家督継承者にはちがいなかった。
だから、このあと、清須織田家で「小守護代」と呼ばれて実権を握っていた坂井大膳が松葉城と深田城を攻め落として占領したことに対して、信長公は、叔父の孫三郎(信光)どのと信勝さまの家老であった柴田権六どのの兵を召すことができた。
結果、坂井大膳らの兵と尾張の萱津でたたかったのです。
清須側であった坂井甚介が柴田権六どのと中条家忠に討ち取られ、首をあげられた。
信長公は、この萱津での戦いに勝たれ、松葉、深田両城も奪還された。
――ん?
柴田勝家どののお名前が出たが、柴田どののことはしっかり触れないのか?
――ですって。
うーん、そうですな……たしかに触れずばなりますまい。
お二方は、それを聴きに来たのですし、な。
ですがお二方に、聞きわけていただきたいのは、柴田権六どのの生涯は織田家とまったく不可分ではないということなのですよ。
つまり、織田家を語ることはとりもなおさず柴田権六どのの人生を語ることにも直結しています。
でもまあ、ここまでお預けを食らっていたのだから、柴田どのについて、すこし触れましょうかね。
実は、ここまで明言を避けてきたのは、正直に申して、どうもはっきりしないのですよ。何がって? つまり、柴田どのの過去が――、ですぞ。
わたしも父佐渡守からきいたことを思い出して話しているのですが、柴田どのはあまりご自身の過去を語りたがらなかったようで、父もあまり知らないということでした。
それでも、頭の片隅にある記憶の断片をひろってみましょうかね。
……たしか、生まれは尾張国の愛知郡上社村だった気がします。
柴田権六どののお父上の諱はたしか「勝義」だったか――、いや違ったか……、はっきりしませぬな。
いずれにせよ、柴田どののお父上の諱もはっきりせぬということは、柴田どのは、ご自身一代で、家老にまで取り立てられるほど、武功をおあげになったということは申せますな。
信長公の弟君の勘十郎信勝さまのご家老に取り立てられた柴田どのですが、信勝公は、弟君とはいえ、正妻の土田御前のお腹で、その地位は低くない。その家老ということは、相当柴田どのの武功が秀でていたことがそれでわかるというものです。
以上が柴田勝家どのの出自ですよ。
え?
それだけか? ですって。
そうですよ。これだけです。
お二方には、聞きわけていただきたい。
わたしも知らぬことは話せぬし、勝手に話を作るわけにもいかぬし……。
……こほん。
とりあえず、柴田どののことはいずれ話しますので、ここでいったん話を切りますぞ。
これは天文二十一年のことですが、翌年、閏月の正月に、信長公の傅役であった平手中務丞政秀が切腹した。
一般には、信長公の奇矯なおふるまいを諫めるためと言われておりますが、わたしが父から聞いたのは、別の理由です。
津島の支配については以前語ったと思います。
信秀公ご躍進の源泉が津島湊からあがる運上であることを。
信長公ももちろん、信秀公の路線を引き継がれたが、一部その権限が、平手がにぎっておったやに聞きおよびます。その権限をすべて信長公がお取りあげになられるというので、平手が腹を切ってご批判なされたという顛末です。
これはあまり表立っては言われておりませんが、わたしは父からこの話を聞いた時、さもありなんと思いました。信長公は一度こうと決められたら、誰の耳も貸されぬし、平手も信秀公から割譲された津島湊の権限を取り上げられれば、一族の盛運も傾こうというもの。平手家の将来を悲観したとしても、致し方ありますまい。
平手の子らとはわたしの幼少期、竹馬の友であったこともあり、平手の死はわたしも残念に思うことが多いですな……。
――うーん、ちょっと湿っぽくなりましたかな。
話をすすめましょうか。
え、なぜに「平手」と呼びすてか? ですって?
あはは、そうですな。
わが父が一長、平手が二長。家格でいえば当家が上だからです。
まあ、故人でもありますし、敬称をつけるべきかも知れませんが、なかなか自分に染みついた優越感の残滓でしょうかね。
おふたかたには、なんとなく御気分が悪いでしょうかね?
よろしい、ならば、平手どの、と敬称をつけましょう。
その平手どのがお亡くなりになった年の四月に、先程お話した信長公と斎藤道三との会見があります。
この天文二十二年というのは、本当に目まぐるしく事が起きた年でした。
七月に、尾張の守護の斯波義統さまが坂井大膳によって殺害されるという事件が起こっています。そのことにより、義統さまのお子さまの岩竜丸さまは、身の危険を感じて那古野城の信長公に庇護をお求めになられた。
斯波義統さまにしてみれば、家臣である守護代の織田彦五郎のさらに家臣、つまり陪臣である坂井大膳に討たれる悲運、思うだに痛ましいことです。
まさしく下剋上ですな。
されど、信長公のこれに対する反応は素早かった。
義統さまがお討たれになったのは七月十二日。その六日後の十八日には、信長公は弟君の勘十郎信勝さまの協力を仰いで、兵を清須に向けておられます。
これが何を意味するか、もうおふたかたにはお分かりのことと思います。
そう、信長公は、信勝さまの頼み勢、つまり柴田権六どのの御出陣を依頼なされたということです。
柴田どのは勇躍、清須城を目指して進撃され、敵軍を三王口や乞食村、誓願寺前などで撃破し、坂井大膳を討つという功績をあげられた。
どうだろう、柴田どのの武功の赫々たる話は。
では、つづきをはじめますぞ。
信長公と斎藤道三との会見は、信秀公の没後、天文二十二年の話であるが、もそっと時をさかのぼり、信秀公のお亡くなりになるところに触れねばなりまぬ。
実は、信秀公は天文二十一年の三月に身まかられるが、その二年前の天文十九年に、「尾州錯乱」と一部で言われるような、尾張国内の反信秀公勢力の一斉蜂起がありましてな、この尾張国内の混乱に乗じて、駿河の今川義元は、こともあろうに、尾張の沓掛を中心に、その周辺に安堵状を発行するということをしております。これはとりもなおさず、もはや信秀公の尾張における影響力が、ほとんど有名無実にまで落ちてしまったことの裏返しと申せましょう。
そんなどん底の中、信秀公は、流行病に罹られて、急逝された。
おそらく心労も重なっておいでであったろうやに推察申しあげる。
それで信秀公の死後、嫡男であられる信長公が弾正忠家の家督を継ぐことになりましたが、「うつけどの」と世間に知られていた信長公が、すんなり家督を継げたということではありません。
まあ、信長公の奇矯なお姿を皆が見ておりましたからな。仕方のないところではありますな。
奇矯な御姿の一端をお話ししよう。
それは、信秀公のご葬儀でのできごと。
この席には、もちろんわしの父の林佐渡守も、信長公の弟君の信勝さまの家老をつとめておった柴田権六どのも出席しております。
弾正忠家の家督を継いだ信長公は、もちろん喪主でありましたが、葬儀の場に現れたそのお姿は、長柄の大刀と脇差を三五縄で巻きつけておられたそうです。三五縄はおふたかたもご存じと思うが、稲穂の芯で綯った縄のことですな。頭は茶筅髷、袴も穿かずといった出で立ちであったと父から聞かされました。
信長公は、そのお姿で、仏前の抹香を鷲掴みにされると、仏前に投げつけて帰られたのです。
一方で、弟君の勘十郎信勝さまは、威儀正しく肩衣、袴といういでたちで、作法にのっとってお祈りを捧げられた。
その葬儀の場に居あわせた人々は、口々に信長公を「大うつけ」と罵り、そして信勝さまこそ弾正忠家を継ぐにふさわしいお人との考えで一致したのよ。
どうです、木下どのはどう思われますか?
え?
そんな予想外なことをされれば、みなの人心が、信長公から離れても仕方がない?
木下どの、よく分かっておられるな。
そう、信長公の求心力は、まったく地に堕ちた。
ともかく、話をつづけますぞ。
ただ、それでも信長公は、弾正忠家の家督継承者にはちがいなかった。
だから、このあと、清須織田家で「小守護代」と呼ばれて実権を握っていた坂井大膳が松葉城と深田城を攻め落として占領したことに対して、信長公は、叔父の孫三郎(信光)どのと信勝さまの家老であった柴田権六どのの兵を召すことができた。
結果、坂井大膳らの兵と尾張の萱津でたたかったのです。
清須側であった坂井甚介が柴田権六どのと中条家忠に討ち取られ、首をあげられた。
信長公は、この萱津での戦いに勝たれ、松葉、深田両城も奪還された。
――ん?
柴田勝家どののお名前が出たが、柴田どののことはしっかり触れないのか?
――ですって。
うーん、そうですな……たしかに触れずばなりますまい。
お二方は、それを聴きに来たのですし、な。
ですがお二方に、聞きわけていただきたいのは、柴田権六どのの生涯は織田家とまったく不可分ではないということなのですよ。
つまり、織田家を語ることはとりもなおさず柴田権六どのの人生を語ることにも直結しています。
でもまあ、ここまでお預けを食らっていたのだから、柴田どのについて、すこし触れましょうかね。
実は、ここまで明言を避けてきたのは、正直に申して、どうもはっきりしないのですよ。何がって? つまり、柴田どのの過去が――、ですぞ。
わたしも父佐渡守からきいたことを思い出して話しているのですが、柴田どのはあまりご自身の過去を語りたがらなかったようで、父もあまり知らないということでした。
それでも、頭の片隅にある記憶の断片をひろってみましょうかね。
……たしか、生まれは尾張国の愛知郡上社村だった気がします。
柴田権六どののお父上の諱はたしか「勝義」だったか――、いや違ったか……、はっきりしませぬな。
いずれにせよ、柴田どののお父上の諱もはっきりせぬということは、柴田どのは、ご自身一代で、家老にまで取り立てられるほど、武功をおあげになったということは申せますな。
信長公の弟君の勘十郎信勝さまのご家老に取り立てられた柴田どのですが、信勝公は、弟君とはいえ、正妻の土田御前のお腹で、その地位は低くない。その家老ということは、相当柴田どのの武功が秀でていたことがそれでわかるというものです。
以上が柴田勝家どのの出自ですよ。
え?
それだけか? ですって。
そうですよ。これだけです。
お二方には、聞きわけていただきたい。
わたしも知らぬことは話せぬし、勝手に話を作るわけにもいかぬし……。
……こほん。
とりあえず、柴田どののことはいずれ話しますので、ここでいったん話を切りますぞ。
これは天文二十一年のことですが、翌年、閏月の正月に、信長公の傅役であった平手中務丞政秀が切腹した。
一般には、信長公の奇矯なおふるまいを諫めるためと言われておりますが、わたしが父から聞いたのは、別の理由です。
津島の支配については以前語ったと思います。
信秀公ご躍進の源泉が津島湊からあがる運上であることを。
信長公ももちろん、信秀公の路線を引き継がれたが、一部その権限が、平手がにぎっておったやに聞きおよびます。その権限をすべて信長公がお取りあげになられるというので、平手が腹を切ってご批判なされたという顛末です。
これはあまり表立っては言われておりませんが、わたしは父からこの話を聞いた時、さもありなんと思いました。信長公は一度こうと決められたら、誰の耳も貸されぬし、平手も信秀公から割譲された津島湊の権限を取り上げられれば、一族の盛運も傾こうというもの。平手家の将来を悲観したとしても、致し方ありますまい。
平手の子らとはわたしの幼少期、竹馬の友であったこともあり、平手の死はわたしも残念に思うことが多いですな……。
――うーん、ちょっと湿っぽくなりましたかな。
話をすすめましょうか。
え、なぜに「平手」と呼びすてか? ですって?
あはは、そうですな。
わが父が一長、平手が二長。家格でいえば当家が上だからです。
まあ、故人でもありますし、敬称をつけるべきかも知れませんが、なかなか自分に染みついた優越感の残滓でしょうかね。
おふたかたには、なんとなく御気分が悪いでしょうかね?
よろしい、ならば、平手どの、と敬称をつけましょう。
その平手どのがお亡くなりになった年の四月に、先程お話した信長公と斎藤道三との会見があります。
この天文二十二年というのは、本当に目まぐるしく事が起きた年でした。
七月に、尾張の守護の斯波義統さまが坂井大膳によって殺害されるという事件が起こっています。そのことにより、義統さまのお子さまの岩竜丸さまは、身の危険を感じて那古野城の信長公に庇護をお求めになられた。
斯波義統さまにしてみれば、家臣である守護代の織田彦五郎のさらに家臣、つまり陪臣である坂井大膳に討たれる悲運、思うだに痛ましいことです。
まさしく下剋上ですな。
されど、信長公のこれに対する反応は素早かった。
義統さまがお討たれになったのは七月十二日。その六日後の十八日には、信長公は弟君の勘十郎信勝さまの協力を仰いで、兵を清須に向けておられます。
これが何を意味するか、もうおふたかたにはお分かりのことと思います。
そう、信長公は、信勝さまの頼み勢、つまり柴田権六どのの御出陣を依頼なされたということです。
柴田どのは勇躍、清須城を目指して進撃され、敵軍を三王口や乞食村、誓願寺前などで撃破し、坂井大膳を討つという功績をあげられた。
どうだろう、柴田どのの武功の赫々たる話は。
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