吼えよ! 権六

林 本丸

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第一章 茶々のいやがらせ

悪だくみ

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 ――まったく……。茶々どののわがままも大概にしてもらわねば……。
 秀吉は聚楽第の奥向き(私生活の場所)からおもて(政治向きの話をするところ)へ歩みを進めつつ、茶々への悪態をついていた。
「しかし、権六の過去を暴くようなマネをすれば、わしはどれだけ失点するかわからぬ。どうしても半介たちの邪魔をせねばならぬな……」
 一人つぶやいて、秀吉は表の間の書院に来た。
 書院の座について、秀吉は戦場で鍛えられた大きな声で、かれの股肱である石田三成を呼んだ。
「佐吉! 佐吉はおるかや?」
 石田三成は秀吉の影のような男であった。
「はっ、ここに」
 まったく気配がないのに、もう秀吉のそばにいた。
 そんなこと気にするでもなく、秀吉は三成を近くに呼び寄せた。
「近う、近う」
「はっ」
 三成は秀吉の息がかかるぐらいまで近づいた。そして、会釈をして座った。
「半介な、茶々に囲われてしまったわい」
 三成は、その鋭利な頭脳を駆使して、秀吉の言わんとすることを理解しようとした。
「半介――と申されますと、木下半介吉隆よしたかどののことですかな?」
 秀吉は、扇子で三成の頬を指し示しつつ、
「そうそう、その半介じゃ」
 三成と秀吉の話は噛み合った。
「木下吉隆どのが、お茶々さまに囲われたとはいかがなることにござりましょうや?」
 さすがの三成も、そのことばについては理解を超えたので、虚飾を排して訊いた。
「うむ、じつはじゃ。茶々が権六のことを探りたいと言い出してな。その役目を半介と、あと、渡辺とかいう、若侍にやらせようとしてな……グスン」
 秀吉の語尾は泣き声でくぐもった。
「さようにござりましたか」
 三成とて柴田勝家と、秀吉との因縁は、よく知っている。秀吉がずいぶんと柴田をけしかけて滅亡に追いやった過去は、秀吉のそばで三成も見てきた。
「なあ、佐吉。よい方法はないかえ」
 三成の幼名で呼びかける秀吉は、とても弱ってみえた。
 三成は、思案し、秀吉へ助け船を出すべく、ひとつの提案をした。
「木下吉隆どのには、晴隆はるたかどのというご嫡子がいたはずです。晴隆どのを説いて、吉隆どのに思い止まるように説得させるというのはいかがでしょうか?」
 秀吉はけわしい表情を作って、
「息子の説得で、半介が思い止まるかや?」
 三成は、提案をつづけて、
「じつは、晴隆どのとその実父の吉隆どのはあまりお仲がよろしからず。また晴隆どのは、剣術の覚えもあります。吉隆どのを斬ってもよいとお墨付きをお与えなさればよろしかろうと……」
 秀吉は右の眉根をあげて、
「佐吉、ぬしもずいぶんと阿漕あこぎな物言いをするの。父子で死合しあえというか?」
「上様は、どうしても木下どのをお止めしたいのでしょう? しからば手段は選べぬはず……、いや、選ばぬはず」
 秀吉は三成のことばに、けわしい表情を崩して破顔した。
「ふふっ。佐吉、ぬしはほんに切れ者よの。おぬしを飼っておってよかったわ!」
「…………」
 三成は声には出さず、頭を下げた。
「よしよし、すぐ手配せよ」
 秀吉の言葉が終わるか終わらぬかに、三成は立って、書院をあとにした。

 秀吉とその家臣石田三成がよからぬ相談をしているころ、茶々と半介、力はそのごの打ち合わせに忙しかった。
「半介、いきなり義父上の過去を調べてこいといわれてもあなたにも、あてがないでしょう?」
 木下半介は、泣きそうな顔で、
「茶々さま、どうかこたびのことはお許しを……」
 まだ半介は思い切れていなかった。
 茶々はうじうじした男は嫌いである。
「半介! あなたも男でしょう! こうとなったら、肚を括って、私の命を受けなさい!」
 半介は口をへの字にまげて不満を表した。
 一方の若侍、渡辺力は、とてもやる気で、
「木下どの、やって見せようではないですか! これを成し遂げれば、あなたの男の株も上がりますよ!」
 茶々は表情も明るく、
「そうよ、力の言うとおり。半介、やり遂げなさい。男の意地で」
 半介は茶々の後ろにはべる大野氏を見た。大野氏は大きくうなずいた。先ほどの助言のぬしだ。撤回させるには、まず茶々の要請を受けなければならない。
 ついに半介は、「承知仕りました」と不承不承ふしょうぶしょうけた。
 茶々はパッと表情をはじけさせて、
「よく言ったわ、半介! じゃあ、よろしく頼むわね。力も頼みまいります」
「はい!」
 と気持ちいい返事をしたのは渡辺力だけであった。
 茶々は言った。
「織田の重臣に林佐渡守がいました。その林の子から話を聞けるよう、飛脚を飛ばしました。きっと、あなたたちに協力してくれるでしょう。さあ、参りなさい」
「かしこまって候」
 渡辺力のみが、頭を下げて、勇躍、部屋をあとにした。
 木下半介は、力なく、とぼとぼと部屋を出た。
 このさき、この二人にどんな試練が待っているのだろうか……。
 大野氏は険しい顔つきで思案しつつ、茶々を見た。
 茶々は自分の右手前においてある菓子置きから、金平糖を数個手のひらにとって、口に運んでいた。
 茶々の口中に甘味が広がった。だが、それはすぐ苦みに変わった。
 なぜなら、石田三成が、茶々へ目通りを求めてきたのだった。
(まったく、めんどうなやつがやってきたわね……)
 茶々は石田三成が苦手だった。
 三成は事務方のトップで、ともかく四角四面な男だった。理路整然と正論を吐いてくるので、茶々は毛嫌いしていた。
 それでも、茶々は三成を部屋に入れた。
「お方様にはご機嫌うるわしゅう――」
 三成はやはり四角四面な男だった。かたい挨拶をはじめたので、茶々は話が長くなるのを避けるため、ことばをはさんだ。
治部少輔じぶのしょう、何の用か?」
 石田治部少輔三成は、挨拶の言葉を切って、本題を切り出した。
「お方さまの御機嫌を損ねるかもとも思いましたが、ひとことお断りしなくてはならぬと、参上いたしました」
「わらわの機嫌を損ねるようなことならば、いわぬでもよろしい」
 部屋隅にはべっていたあやめは、茶々のことばに諧謔かいぎゃくを認めてくすりと笑った。
 三成はまじめな顔を崩さず、
「――言わせていただきまする。ともかく、柴田修理しゅり様の過去を探るなどお止めください。木下吉隆どのもご迷惑におもっておいでと拝察いたしますが……」
 茶々は毅然としている。
「治部、おぬし出身は近江であろう。わが実父浅井長政さまの禄も受けていたおぬしが、なぜわらわに忠誠を誓わず、尾張の猿の藤吉郎に尽くす? すこしはわらわのことへも忖度そんたくしてもらいたいものじゃ」
「…………」
 三成はすこし眉根をゆがませたが、すぐ真顔に戻って、
「とりあえず、この場は失礼いたします。ともかく、木下どののことをお思いになられて、こたびのことは撤回いただきたく……」
 茶々は手を振って、
「ああ、考えおくぞ」
 と、考えてもいない返事をした。
「では、御免」
 三成は部屋を去った。
 三成の去った部屋で茶々は、また金平糖を口に運んだ。
「ほんに面倒臭いやつよな……」
 そして、あやめに向き直って、
「あやめ、半介と力の見送りをしてやって頂戴。わたくしはしばらく横になります」
「かしこまりましてございます」
 あやめは茶々の私室から出た。



第一章 了
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