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第四章 賤ヶ岳合戦
中入り開始
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四月二十日の丑ノ上刻(午前一時)となった。佐久間盛政は行動開始を宣言した。
馬には枚を嚙ませ、兵らには私語を禁止して、隠密行動をとらせた。
奇襲部隊は行市山をくだり、また別所山に登り、味方の不破直光の軍と合流した。
味方の合流で佐久間軍の意気はますます揚がり、集福寺坂を塩津へと駈けくだった。さらに祝山から権現坂を越え、余呉湖畔にある川並の地に進出した。
大岩山砦急襲隊は、ここまでは満点の行動であった。盛政軍主力は、敵の目の届かない迂回路を選択し、大岩山砦にむかっていた。
いっぽう、支援部隊の勝家隊は、内中尾山から北国街道に出て今市の狐塚に着陣した。
そして、前田利家と利長父子の隊は、別所山から集福寺坂に出た。途中南方に方向転換し尾根伝いに茂山に着いた。
盛政本隊と切り離された盛政実弟の柴田勝政の隊は、佐久間盛政隊の後ろについていく行路をたどり、川並に出てからは、余呉湖西岸を南下し、飯ノ浦切通に向かった。
ここに支援部隊の配置は完了した。
さて急襲隊主力の盛政軍は、余呉湖畔におり、そのまま湖の西岸を南進し、賤ヶ岳を右手上方に仰ぎ見るように進んだのち、さらに進んで湖の東岸を北進した。寅ノ下刻の四半刻(午前四時半)ごろ、尾野呂浜に来た。この尾野呂浜の東方の山腹をのぼった尾根に、大岩山砦は築かれている。
急襲部隊はついに、敵兵の妨害を受けず、敵中深く潜入することに成功したのである。
「かかれ!」の盛政の号令一下、八千の軍勢は吶喊し、山腹攻略にとりかかった。
かなりの急坂なのだが、恩賞が脳裏にちらつく兵らの意気はいやがおうにも揚がった。
砦の守備兵は中川清秀の一千。
山路正国の報告どおり砦は未完成であり、守備兵の油断も甚だしかった。
敵襲に混乱する守備兵。まったく応戦態勢になく、一部の者が散発的に鉄炮を撃つが、むろん組織だったものではなく防御にはまるでなっていなかった。
申しわけ程度の土塁を駈け登って攻め寄せる盛政軍。
曲輪の中に乱入して、もう攻撃軍のなすがままになった。
ここにきて守将中川清秀は、近隣の賤ヶ岳砦の桑山重晴や、岩崎山砦の高山重友(右近)らに救援を求めた。
清秀から救援を求められた高山重友は、一方で桑山重晴から「賤ヶ岳砦に退かれよ」と勧めてきていることとを天秤にかけ、桑山の言を容れて、中川への救援もそこそこに要害堅固な賤ヶ岳砦に移り、籠城戦を敢行しようとした。だが、一片の呵責が脳裏をよぎり桑山とともに中川の説得にあたることにした。
桑山重晴は高山重友を連れだって、中川のもとへ向かい、賤ヶ岳砦に退くことを提案したのだが、大岩山砦の守将中川清秀はこう言うのである。
「筑前どの(羽柴秀吉)の命によってこの砦を守る我が身であれば、敵を眼前にして一戦もせずに持口(担当部署)を退くことは、勇士の本意ではない」
桑山も高山も、中川は頭がかたすぎるとは思ったが、清秀本人が動かないと言っているのを首に縄をかけて引っ張っていくこともならなかった。
中川の意思の表明をうけて、高山重友はすぐ兵を賤ヶ岳砦に退くことはせず、清秀を見殺しにはしなかった。
高山は手持ちの兵を組織して、大岩山砦にとどまった。一部の兵は賤ヶ岳砦へ向かわせたが、高山隊の主力のほとんどを大岩山砦に来させたのである。
高山重友指揮する鉄炮隊は、中川軍に加勢して、盛政軍へ銃撃を激しくしたために、盛政軍は一時余呉湖付近まで退かざるをえなかった。史書では三町(約三百三十メートル)退いたと書かれている。
急襲隊の後備に位置する第二陣にあった不破直光は、盛政軍が押されていることに危惧を抱き盛政に助言した。
「御大将! 大岩山砦の裏手にある兵舎に火をかけてはどうか」
不破直光の献策に、盛政は「妙案である!」とその策に乗った。
馬には枚を嚙ませ、兵らには私語を禁止して、隠密行動をとらせた。
奇襲部隊は行市山をくだり、また別所山に登り、味方の不破直光の軍と合流した。
味方の合流で佐久間軍の意気はますます揚がり、集福寺坂を塩津へと駈けくだった。さらに祝山から権現坂を越え、余呉湖畔にある川並の地に進出した。
大岩山砦急襲隊は、ここまでは満点の行動であった。盛政軍主力は、敵の目の届かない迂回路を選択し、大岩山砦にむかっていた。
いっぽう、支援部隊の勝家隊は、内中尾山から北国街道に出て今市の狐塚に着陣した。
そして、前田利家と利長父子の隊は、別所山から集福寺坂に出た。途中南方に方向転換し尾根伝いに茂山に着いた。
盛政本隊と切り離された盛政実弟の柴田勝政の隊は、佐久間盛政隊の後ろについていく行路をたどり、川並に出てからは、余呉湖西岸を南下し、飯ノ浦切通に向かった。
ここに支援部隊の配置は完了した。
さて急襲隊主力の盛政軍は、余呉湖畔におり、そのまま湖の西岸を南進し、賤ヶ岳を右手上方に仰ぎ見るように進んだのち、さらに進んで湖の東岸を北進した。寅ノ下刻の四半刻(午前四時半)ごろ、尾野呂浜に来た。この尾野呂浜の東方の山腹をのぼった尾根に、大岩山砦は築かれている。
急襲部隊はついに、敵兵の妨害を受けず、敵中深く潜入することに成功したのである。
「かかれ!」の盛政の号令一下、八千の軍勢は吶喊し、山腹攻略にとりかかった。
かなりの急坂なのだが、恩賞が脳裏にちらつく兵らの意気はいやがおうにも揚がった。
砦の守備兵は中川清秀の一千。
山路正国の報告どおり砦は未完成であり、守備兵の油断も甚だしかった。
敵襲に混乱する守備兵。まったく応戦態勢になく、一部の者が散発的に鉄炮を撃つが、むろん組織だったものではなく防御にはまるでなっていなかった。
申しわけ程度の土塁を駈け登って攻め寄せる盛政軍。
曲輪の中に乱入して、もう攻撃軍のなすがままになった。
ここにきて守将中川清秀は、近隣の賤ヶ岳砦の桑山重晴や、岩崎山砦の高山重友(右近)らに救援を求めた。
清秀から救援を求められた高山重友は、一方で桑山重晴から「賤ヶ岳砦に退かれよ」と勧めてきていることとを天秤にかけ、桑山の言を容れて、中川への救援もそこそこに要害堅固な賤ヶ岳砦に移り、籠城戦を敢行しようとした。だが、一片の呵責が脳裏をよぎり桑山とともに中川の説得にあたることにした。
桑山重晴は高山重友を連れだって、中川のもとへ向かい、賤ヶ岳砦に退くことを提案したのだが、大岩山砦の守将中川清秀はこう言うのである。
「筑前どの(羽柴秀吉)の命によってこの砦を守る我が身であれば、敵を眼前にして一戦もせずに持口(担当部署)を退くことは、勇士の本意ではない」
桑山も高山も、中川は頭がかたすぎるとは思ったが、清秀本人が動かないと言っているのを首に縄をかけて引っ張っていくこともならなかった。
中川の意思の表明をうけて、高山重友はすぐ兵を賤ヶ岳砦に退くことはせず、清秀を見殺しにはしなかった。
高山は手持ちの兵を組織して、大岩山砦にとどまった。一部の兵は賤ヶ岳砦へ向かわせたが、高山隊の主力のほとんどを大岩山砦に来させたのである。
高山重友指揮する鉄炮隊は、中川軍に加勢して、盛政軍へ銃撃を激しくしたために、盛政軍は一時余呉湖付近まで退かざるをえなかった。史書では三町(約三百三十メートル)退いたと書かれている。
急襲隊の後備に位置する第二陣にあった不破直光は、盛政軍が押されていることに危惧を抱き盛政に助言した。
「御大将! 大岩山砦の裏手にある兵舎に火をかけてはどうか」
不破直光の献策に、盛政は「妙案である!」とその策に乗った。
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