8 / 30
第二章 柴田勝豊家老・山路将監
清須会議
しおりを挟む
天正十年(一五八二)六月二十七日、運命の清須会議が開かれた。
出席者は、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興の四人。
冒頭、勝家が吠えた。
「わしは、家督ははやく決めたが良いとは申したが、ここの席に左近将監(滝川一益)がおらぬのは解せぬ。彼の者は、織田家の宿老に違いないではないか」
勝家のことばに、恒興は顔を赤らめた。自分が場違いなところにいると思った。
いっぽうで、その勝家の怒声に、筑前守秀吉の冷静な声が、場を鋭く割いた。
「あいや、修理さま。滝川どのは、東国(関東)で随分なしくじりをなされたに聞き及んでおりまする。さればその後始末が先。なればこの場には来られますまい? よしんば、来たにしても、その言に重みがございますか? ならば、一日もはやく織田家の家督をはっきりさせたほうがよろしかろうと、この筑前、おもいまする」
声には発しなかったが、恒興は、秀吉の言葉に同意する旨、何度も小きざみに点頭した。
その恒興の滑稽な態度に、勝家は苦笑した。
これも秀吉方の長秀が、勝家をなだめた。
「修理どの。理屈はどうあれ、この場に来られなかったのは左近将監の手落ちともいえる。無いものねだりは、見苦しかろうよ」
「ふん」
怒りはおさまらなかったが、勝家は、その場に座った。
「ともかく、ことは急がれます。まず、織田家の家督から話し合いたいが」
間髪をいれず恒興が間にはいった。秀吉から目配せされて、「口を開け」といわれているようだと察したのである。
「うむ、そうじゃな」
秀吉が恒興に、(良くやった)という満足げな表情を与えつつ、
「織田家の家督と、天下様の家督と、分けて考えるべきかの?」
長秀は、筑前(秀吉)は、随分突っこんだところから話しはじめるな、とおもった。
そう思いつつも流れにのせられて、長秀がいうには、
「三介さま(二男信雄)と三七さま(三男信孝)のどちらかを織田家の家督とするには無理があるだろうか?」
秀吉が答える。
「お二方とも、お仲が悪い。話し合ってまとまるまいよ」
「左様ですな」
恒興が相槌を打つ。そして、あらかじめ秀吉に言い含められていたことを話した。
「織田家の家督ならば、三法師さまがおりましょう」
三法師――。
亡き織田信忠の長男で、三歳である。家督の筋目は悪くない。
「おお、三法師さま。それがよろしかろう!」
大仰に秀吉が同意する。そして恒興に、満足の視線を与えた。
恒興は、鼻高々で胸をそらせた。
勝家も、織田家に限っての家督ならば、三法師でも良かろうとはおもった。
「織田家の家督は三法師さまでもよかろう。われらで盛り立てていけばよろしい。されど、天下の家督は誰が継ぐのか」
勝家の疑問はその場の皆の共有するところである。
「天下も我らが話し合って盛り立てていけば良いのでは」
長秀は、秀吉の脚本どおりに動く役者であった。
秀吉は天下の家督は家老たちの合意形成によって運営していくことをこの場で求めた。そののちに、自分がそれをまるごと簒奪する腹であったのだ。
ために「それがよろしかろう」と秀吉がいうと、なんとなくその場はそんな感じでいいか、という雰囲気になった。
それは勝家も秀吉と同じ腹づもりであったから、それで良いという雰囲気形成は、すぐなされた。
また、正直をいえば、長秀も恒興もそのことを深く突っこむことがためらわれた。仮に宿老の誰かが天下人の家督に就くかたちにすると、とうぜん、勝家と秀吉は対立するであろうし、まとまる着地点が見当たらなくなるであろう。
それで、なんとなく天下の家督も名目上は三法師が引き継ぎ、宿老の合議で天下をまわしていく、という話に落ち着いたのであった。
つぎに欠国の話になった。
宿老らの話し合いで、初めに、信孝に美濃国を進上し、信雄には尾張国の清須城を本拠とすることで、四人の合意を見た。
その後には、四人の宿老と三法師の傅役となった堀秀政に土地が与えられた。
織田信雄 尾張全域獲得。
織田信孝 美濃全域獲得。
柴田勝家 近江北三郡獲得。
羽柴秀吉 山城全域、丹波全域(養子秀勝領)、河内の一部獲得。
近江北三郡削除(柴田勝家へ譲渡)。
丹羽長秀 近江高島・志賀郡獲得。
池田恒興 摂津大坂・尼崎・兵庫獲得。
堀 秀政 近江中郡獲得。
秀吉は、大げさに、長浜を勝家に進上することを喧伝したが、なにを隠そう、一番の土地持ちになったのは秀吉自身であった。かれはそれを隠蔽するために、ある提案を勝家にもちかけた。
信長妹のお市御寮人を勝家に娶せる、というものである。
勝家も、それにはまんざらでもなく、お市が諒承してくれるなら、といっていたが、信長亡きいまのお市にとって、宿老たちの提案を拒めるものではない。
恒興は、「修理どの、果報果報」といって茶化したが、勝家はそれに対して、顔を赤らめて恥ずかしがった。
秀吉は、仏頂面で、その様子をみていたが、内心は、(為済ましたり)と、ほくそ笑んでいた。
今回の欠国配分をよくよくみれば、秀吉は、京都のある山城国とその周辺国を押さえ、狭義の上での天下様となった。この地域は人口も多く、人を集めるに事欠かないことも大きい。
『多聞院日記』を書いた奈良の多聞院英俊は、その著述の中で、
「大旨ハシハ(羽柴)カママノ様也(おおむねは羽柴秀吉の思いのままとなった)」
と感想を述べた。
そう、秀吉自身が、一番、この清須会議に満足していた。
勝家は、長浜を含む北近江の三郡を手に入れ、お市を正室に迎えるという条件を受け入れた。
秀吉と勝家、どちらが、この会議の勝利者か?
答えは自明であろう。
出席者は、柴田勝家、羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興の四人。
冒頭、勝家が吠えた。
「わしは、家督ははやく決めたが良いとは申したが、ここの席に左近将監(滝川一益)がおらぬのは解せぬ。彼の者は、織田家の宿老に違いないではないか」
勝家のことばに、恒興は顔を赤らめた。自分が場違いなところにいると思った。
いっぽうで、その勝家の怒声に、筑前守秀吉の冷静な声が、場を鋭く割いた。
「あいや、修理さま。滝川どのは、東国(関東)で随分なしくじりをなされたに聞き及んでおりまする。さればその後始末が先。なればこの場には来られますまい? よしんば、来たにしても、その言に重みがございますか? ならば、一日もはやく織田家の家督をはっきりさせたほうがよろしかろうと、この筑前、おもいまする」
声には発しなかったが、恒興は、秀吉の言葉に同意する旨、何度も小きざみに点頭した。
その恒興の滑稽な態度に、勝家は苦笑した。
これも秀吉方の長秀が、勝家をなだめた。
「修理どの。理屈はどうあれ、この場に来られなかったのは左近将監の手落ちともいえる。無いものねだりは、見苦しかろうよ」
「ふん」
怒りはおさまらなかったが、勝家は、その場に座った。
「ともかく、ことは急がれます。まず、織田家の家督から話し合いたいが」
間髪をいれず恒興が間にはいった。秀吉から目配せされて、「口を開け」といわれているようだと察したのである。
「うむ、そうじゃな」
秀吉が恒興に、(良くやった)という満足げな表情を与えつつ、
「織田家の家督と、天下様の家督と、分けて考えるべきかの?」
長秀は、筑前(秀吉)は、随分突っこんだところから話しはじめるな、とおもった。
そう思いつつも流れにのせられて、長秀がいうには、
「三介さま(二男信雄)と三七さま(三男信孝)のどちらかを織田家の家督とするには無理があるだろうか?」
秀吉が答える。
「お二方とも、お仲が悪い。話し合ってまとまるまいよ」
「左様ですな」
恒興が相槌を打つ。そして、あらかじめ秀吉に言い含められていたことを話した。
「織田家の家督ならば、三法師さまがおりましょう」
三法師――。
亡き織田信忠の長男で、三歳である。家督の筋目は悪くない。
「おお、三法師さま。それがよろしかろう!」
大仰に秀吉が同意する。そして恒興に、満足の視線を与えた。
恒興は、鼻高々で胸をそらせた。
勝家も、織田家に限っての家督ならば、三法師でも良かろうとはおもった。
「織田家の家督は三法師さまでもよかろう。われらで盛り立てていけばよろしい。されど、天下の家督は誰が継ぐのか」
勝家の疑問はその場の皆の共有するところである。
「天下も我らが話し合って盛り立てていけば良いのでは」
長秀は、秀吉の脚本どおりに動く役者であった。
秀吉は天下の家督は家老たちの合意形成によって運営していくことをこの場で求めた。そののちに、自分がそれをまるごと簒奪する腹であったのだ。
ために「それがよろしかろう」と秀吉がいうと、なんとなくその場はそんな感じでいいか、という雰囲気になった。
それは勝家も秀吉と同じ腹づもりであったから、それで良いという雰囲気形成は、すぐなされた。
また、正直をいえば、長秀も恒興もそのことを深く突っこむことがためらわれた。仮に宿老の誰かが天下人の家督に就くかたちにすると、とうぜん、勝家と秀吉は対立するであろうし、まとまる着地点が見当たらなくなるであろう。
それで、なんとなく天下の家督も名目上は三法師が引き継ぎ、宿老の合議で天下をまわしていく、という話に落ち着いたのであった。
つぎに欠国の話になった。
宿老らの話し合いで、初めに、信孝に美濃国を進上し、信雄には尾張国の清須城を本拠とすることで、四人の合意を見た。
その後には、四人の宿老と三法師の傅役となった堀秀政に土地が与えられた。
織田信雄 尾張全域獲得。
織田信孝 美濃全域獲得。
柴田勝家 近江北三郡獲得。
羽柴秀吉 山城全域、丹波全域(養子秀勝領)、河内の一部獲得。
近江北三郡削除(柴田勝家へ譲渡)。
丹羽長秀 近江高島・志賀郡獲得。
池田恒興 摂津大坂・尼崎・兵庫獲得。
堀 秀政 近江中郡獲得。
秀吉は、大げさに、長浜を勝家に進上することを喧伝したが、なにを隠そう、一番の土地持ちになったのは秀吉自身であった。かれはそれを隠蔽するために、ある提案を勝家にもちかけた。
信長妹のお市御寮人を勝家に娶せる、というものである。
勝家も、それにはまんざらでもなく、お市が諒承してくれるなら、といっていたが、信長亡きいまのお市にとって、宿老たちの提案を拒めるものではない。
恒興は、「修理どの、果報果報」といって茶化したが、勝家はそれに対して、顔を赤らめて恥ずかしがった。
秀吉は、仏頂面で、その様子をみていたが、内心は、(為済ましたり)と、ほくそ笑んでいた。
今回の欠国配分をよくよくみれば、秀吉は、京都のある山城国とその周辺国を押さえ、狭義の上での天下様となった。この地域は人口も多く、人を集めるに事欠かないことも大きい。
『多聞院日記』を書いた奈良の多聞院英俊は、その著述の中で、
「大旨ハシハ(羽柴)カママノ様也(おおむねは羽柴秀吉の思いのままとなった)」
と感想を述べた。
そう、秀吉自身が、一番、この清須会議に満足していた。
勝家は、長浜を含む北近江の三郡を手に入れ、お市を正室に迎えるという条件を受け入れた。
秀吉と勝家、どちらが、この会議の勝利者か?
答えは自明であろう。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
異・雨月
筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。
<本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています>
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
がむしゃら三兄弟 第三部・長尾隼人正一勝編
林 本丸
歴史・時代
がむしゃら三兄弟の最終章・第三部です。
話の連続性がございますので、まだご覧になっておられない方は、ぜひ、第一部、第二部をお読みいただいてから、この第三部をご覧になってください。
お願い申しあげます。
山路三兄弟の末弟、長尾一勝の生涯にどうぞ、お付き合いください。
(タイトルの絵は、AIで作成いたしました)
がむしゃら三兄弟 第一部・山路弾正忠種常編
林 本丸
歴史・時代
戦国時代、北伊勢(三重県北部)に実在した山路三兄弟(山路種常、山路正国、長尾一勝)の波乱万丈の生涯を描いてまいります。
非常に長い小説になりましたので、三部形式で発表いたします。
第一部・山路弾正忠種常編では、三兄弟の長兄種常の活躍を中心に描いてまいります。
戦国時代を山路三兄弟が、どう世渡りをしていったのか、どうぞ、お付き合いください。
(タイトルの絵はAIで作成しました)
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

あらざらむ
松澤 康廣
歴史・時代
戦国時代、相模の幸田川流域に土着した一人の農民の視点から、世に知られた歴史的出来事を描いていきます。歴史を支えた無名の民こそが歴史の主役との思いで7年の歳月をかけて書きました。史実の誤謬には特に気を付けて書きました。その大変さは尋常ではないですね。時代作家を尊敬します。

女衒の流儀
ちみあくた
歴史・時代
時は慶応四年(1868年)。
大政奉還が行われたにも関わらず、迫る官軍の影に江戸の人々は怯え、一部の武士は上野寛永寺に立てこもって徹底抗戦の構えを見せている。
若き御家人・能谷桑二郎も又、上野へ行く意思を固めていた。
吉原へ一晩泊り、馴染みの遊女・汐路と熱い一時を過ごしたのも、この世の未練を断ち切る為だ。
翌朝、郭を出た桑二郎は、旧知の武士・戸倉伊助が「田吾作」と名乗る奇妙な女衒相手に往来で刀を抜き、手も足も出ない光景を目の当たりにする。
長い六尺棒を豪快に振るう田吾作の動きは何処か薩摩・示現流を彷彿させるもので、もしや密偵か、と勘繰る桑二郎。
伊助の仇を打つ名目で田吾作に喧嘩を売るものの、二人の戦いの行方は、汐路を巻き込み、彼の想定とは違う方向へ進んでいくのだった……。
エブリスタ、小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しております。
架空戦記 隻眼龍将伝
常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
歴史・時代
第四回歴史・時代劇小説大賞エントリー
♦♦♦
あと20年早く生まれてきたら、天下を制する戦いをしていただろうとする奥州覇者、伊達政宗。
そんな伊達政宗に時代と言う風が大きく見方をする時間軸の世界。
この物語は語り継がれし歴史とは大きく変わった物語。
伊達家御抱え忍者・黒脛巾組の暗躍により私たちの知る歴史とは大きくかけ離れた物語が繰り広げられていた。
異時間軸戦国物語、if戦記が今ここに始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は、作者が連載中の「天寿を全うしたら美少女閻魔大王に異世界に転生を薦められました~戦国時代から宇宙へ~」のように、異能力・オーバーテクノロジーなどは登場しません。
異世界転生者、異次元転生者・閻魔ちゃん・神・宇宙人も登場しません。
作者は時代劇が好き、歴史が好き、伊達政宗が好き、そんなレベルでしかなく忠実に歴史にあった物語を書けるほどの知識を持ってはおりません。
戦国時代を舞台にした物語としてお楽しみください。
ご希望の登場人物がいれば感想に書いていただければ登場を考えたいと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる