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第二章 柴田勝豊家老・山路将監
信長の乳兄弟・池田恒興
しおりを挟む柴田勝家には勝家の戦略があり、とうぜん秀吉には秀吉の戦略がある。
そこで次の手を打つべく、秀吉はすぐさま、池田恒興に目をつけた。
池田恒興の母は信長の乳母である。つまり信長と恒興は乳兄弟ということになる。恒興は、まさしく、幼いころより信長と兄弟のように育ってきた。また、当然のごとく信長の父信秀の配下としても織田家のために戦ってきた譜代であった。
もちろん信秀亡きあとは、織田の家督を継いだ信長に従い、桶狭間の戦いにも従軍している。
信長の嫡男の信忠が長じててからは、池田恒興は信忠軍に組み入れられた。
これは信忠が信長より尾張の支配権を譲渡され、尾張と東美濃(対武田戦線である)を中心に受けもったためである。
恒興の所領は尾張にあったので、かれは信忠の指揮下に組み入れられた。恒興は主に甲斐信濃を領する武田の押さえとして、天正元年(一五七三)ころから五年にわたって東美濃で活動を続けた。
東美濃での活動を終えた天正六年(一五七八)十一月より、恒興は、摂津に戦いの場を移した。有岡城、花隈城を落した恒興は、信長より摂津の支配権を任された。
つぎに、織田家のくくりでいえば、天正十年(一五八二)三月の武田討伐が終わると、信長の意識は、自然、中国地方の覇者である毛利氏に向かった。
毛利攻めは、羽柴秀吉が方面軍総司令としてその攻略を任されており、秀吉自身は対毛利についてぬかりない手腕を発揮していた。
かつて本願寺の協力者であった毛利にずいぶんと苦しめられた信長である。そんな毛利を秀吉は一人でやりこめていた。ために、秀吉は自身が手柄を独り占めして信長に睨まれることを良しとせず、戦線が膠着しているかのようによそおって、信長の出陣を仰いだ。
信長は秀吉の活躍をおそらくは知りつつも、秀吉が信長の出御をあおぎ、手柄を独り占めしないことを愛でた。
信長は、家督をゆずった信忠任せにせず、自分で毛利のトドメを刺すべく出陣することを決め、池田恒興や明智光秀らに中国出陣を命じたのである。
もちろん、信長も中国へ下るべく京の本能寺に入った。
そして運命の六月二日、本能寺の変が勃発したのである。
恒興に限って述べるならば、本能寺の変の時点で、かれは伊丹にいたのであるが、信長を討った明智光秀の勧誘にはのらず、伊丹に駐まっていた。そのご、秀吉が兵力の大返しを敢行して西上の途にあるとの報をつかむや、近畿に帰ってきた秀吉に合流し、六月十三日の山崎の戦いに参加した。
戦いに勝利したのち、恒興は信孝、秀吉、長秀らと入京し、そして勝家の発案で尾張の清須で会議が催されることになった。
恒興は清須会議まで、秀吉べったりという人物ではなかった。秀吉は、新参であったし素姓もよく知れないというので、毛嫌いする武将は織田家中にすくなくなかった。おそらく恒興もその部類の人物であったとおもわれる。
なぜなら恒興は、信長の乳兄弟であり、信長と距離の近い人物であったから、秀吉に対しても優越した立場であったためである。門地門閥のある恒興と、農民の子から身を起した秀吉では、そもそも反りの合うはずがない。
しかし、信長という柱が失われてしまうと、その関係性が大きく転回し、秀吉という麒麟児にみなが心酔していったのは恒興も例外ではなかった。
清須会議のはじまる数日まえ、秀吉は恒興の所へ足を運んだ。
「紀伊どの、おられるか?」
そのころ恒興は、受領名、紀伊守を名のっていた。
「羽柴どの、何か?」
秀吉は、皺まるけの顔をさらにくしゃくしゃにして、最上級の笑みをうかべている。
「柴田修理さまより、織田家の家督を決めねばならぬと申し入れがございました。拙者もしかりとおもいます。それで――」
「それで?」
「織田家の宿老のひとりとして、紀伊どのをご推挙申しあげたい」
「え? それがしをですか?」
恒興は、顔をこわばらせた。めをしきりにまばたかせている。
(――内心、喜んでいるな)
秀吉は恒興の心のうちを読む。
だが、さあらぬ体で恒興の発言をまっている。
「拙者は、織田家では重席を占めておりませなんだ。そのような晴れがましい場には――」
恒興の断わりの言葉をさえぎって、秀吉が大音声で返した。
「あいや、待たれたい! 畏れながら紀伊どのは、亡き上様とは乳兄弟の間柄。乳兄弟と申せば、実の兄弟よりも強いつながりがござる。事実、血をわけた実の弟君の信勝(信行)さまよりも、上様は紀伊どのを頼りになされましたることこそ、その証明。理は明白でござる。どうぞ、ご出席ありたい」
もうそれで充分であった。恒興の自尊心は大いに昂められた。
「そうでござるか?」
「そうですとも!」
秀吉の相づちに、恒興は、莞爾と笑みをつくった。
「ならば、末席を汚させていただこう」
「紀伊殿がご出席なさるのは、まことまこと、織田家にとっての僥倖」
言って、秀吉はペロリと舌を出したが、恒興には見とがめられなかった。
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