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第一章 離反
山路兄弟、転仕する
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陣中で五日を過ごした正国。六月九日になって信孝が正国を呼んだ。
城の対面の間に行くと、信孝と、そのかたわらには丹羽長秀の姿があった。
「お呼びでございますか」
「うむ。実はな、羽柴筑前。お主も知らぬ男ではないとおもうが?」
猿面のお調子者。のちの豊臣秀吉のことである。織田家中に連なる者ならば、その存在を知らぬ者はいない。
「羽柴秀吉さまならば、もちろんよく存じておりまする。織田家中の出頭頭のお方ではござりませぬか」
「うむ。出自もはっきりせぬ、得体の知れぬ男よ」
その言葉だけで、信孝の秀吉に対する悪意が知れた。
「秀吉からよこした報せによれば、現在こちらに向かって兵を進めているそうだ」
「え?」
正国はがく然とした。羽柴秀吉といえば、信長に命ぜられて、現在は中国地方で毛利氏と対峙しているはずだ。到底、引き返すなどできようはずがない。よしんば毛利と和睦したにしても、京都で信長が凶刃に斃れてから一週間ほどの今日、もう上方にのぼってきているなど、神業といえた。
「羽柴秀吉、鬼神でございましょうや?」
あまりに正国の驚きが大きいので、信孝もいささか失笑して、
「まぁ、お主の驚きもわからぬではない。だが、あの猿面冠者はまるで奇術師のような業をつかって成りあがってきた男だ。こたびのことも驚くまいよ」
(悪意がことばの端々にうかがわれるな)
正国は秀吉のしわくちゃな顔を思いうかべた。
「して、それがしをおよびになったわけとはどのようなことにござりますか」
信孝は正国の鋭敏を愛でて口を開いた。
「うむ。神戸家の知恵袋と言われたそちだ。考えを聞こう。光秀と組むなど論外だが、それでもわしは秀吉と組んだがよいか。それとも独立独歩を貫くがよいか」
正国は迷いのない笑みをつくった。
「畏れながら申しあげれば、とののご質問はいささか愚問にすぎないかと」
「ムッ」
愚問といわれて信孝は口をへの字に曲げた。
信孝の紅潮した顔をかたわらで見ていた丹羽長秀が、正国へ助け船を出すべく言葉をついだ。
「つづけよ、将監」
正国も木偶の坊ではない。いささか言葉をえばらなかった愚を悟って、真顔になった。
「はっ、畏まりましてございます。されば、いまわが軍は兵の逃亡が止まらず、人数(兵数)を維持するのに汲々としているありさま。とても独立独歩で明智を討てる状況にございませぬ。ここは、四方のしがらみは排して、筑前さまと合力するが上策に存じます」
言葉を選んだ正国の言葉に、いささか溜飲を下げた信孝だった。だが、あれほど嫌っている秀吉と組めというのは、信孝には承伏しかねた。
「将監。筑前との合力以外に策はないのか」
「ここは、私情をかたわらにお置きくださりませ。筑前さまとて、上様のお子様であられる殿を無下にはお扱いになりますまい。合力なされれば、反明智の旗頭としてお立てくださいましょう。とりあえず、いまは惟任日向を除くこと。それが第一にございます。上様と殿様の仇討ち、それが焦眉の急かと」
「ふむ。致し方あるまいか。将監の献策、聞き置こう」
けっきょく信孝は、正国の策をすべてのみ込み、秀吉の軍が主力でありながらも、その旗頭として合流し、六月十三日、山崎合戦でみごと明智軍を破った。
正国も一勝とともに、戦場を縦横に駈け、将首ひとつと兵卒の首を三つとる活躍をした。
さきの信澄攻めと今回の山崎の戦いで、華々しい戦功をあげた山路正国と一勝の兄弟だったが、感状をおのおのもらっただけで、実利となる恩賞は貰えなかった。
これには正国の弟の久之丞一勝も不満たらたらで、兄の正国に憤懣をぶつけた。
「なんですか、あのケチな殿様は!」
「そう怒るなよ、久之丞。いまは織田家中もひとつにまとまっておらず、恩賞などの約束はできまいて」
「土地はともかく、黄金ぐらいはもらっても罰は当たるまいよ」
正国はふーっと長い息を吐いた。
「まぁ、そういう考え方もあるな」
「だろ? 兄者もそう思うだろ?」
そんな話をしていると、信孝の使いの者が正国のもとにやってきた。
「山路将監どの、お殿さまがお呼びでございます」
「三七さまが?」
「左様でございます」
「恩賞の沙汰かな?」
一勝の顔がパッと明るくなった。
信孝に呼ばれた正国は、そこで、柴田家への転仕を命じられた。
「畏まってございます」
承けた正国だったが、気持ちはすっきりしない。
そのことを自身の陣に帰って、一勝に話すと、直情型の一勝は、大いに憤激して、
「我らのことを疎しく思われたのだよ。とのは!」
と、ずいぶんな怒りようだった。
「しかしな、久之丞。これは上意である、受けねばなるまい?」
「左様にはございますが……」
しかし、言葉上では納得した一勝であったが、なかなか気持ちの整理がつかなかったようで、何日も不満を引きずった。
※ ※ ※
この織田信孝に属していた山路兄弟が柴田勝家へ転仕したことに関しては不明な点ばかりである。史書を繰ってもなんの記述もないのである。
が、やはり情況を整理すれば、家中で存在感を増した山路兄弟、特に山路正国を、信孝が厄介払いしたと解釈するのが相当のようである。久之丞一勝は、兄と対で扱われたかと思われる。
ただ信孝と勝家の関係は良好だったことから、清須会議で両者が顔をあわせた際に、山路兄弟の能力を高く買った柴田勝家が、強って二人を信孝からもらいうけたとも考えられる。
ひとまず、筆者は物語の流れから前者をとり物語を構築することとした。
御諒承いただきたい。
城の対面の間に行くと、信孝と、そのかたわらには丹羽長秀の姿があった。
「お呼びでございますか」
「うむ。実はな、羽柴筑前。お主も知らぬ男ではないとおもうが?」
猿面のお調子者。のちの豊臣秀吉のことである。織田家中に連なる者ならば、その存在を知らぬ者はいない。
「羽柴秀吉さまならば、もちろんよく存じておりまする。織田家中の出頭頭のお方ではござりませぬか」
「うむ。出自もはっきりせぬ、得体の知れぬ男よ」
その言葉だけで、信孝の秀吉に対する悪意が知れた。
「秀吉からよこした報せによれば、現在こちらに向かって兵を進めているそうだ」
「え?」
正国はがく然とした。羽柴秀吉といえば、信長に命ぜられて、現在は中国地方で毛利氏と対峙しているはずだ。到底、引き返すなどできようはずがない。よしんば毛利と和睦したにしても、京都で信長が凶刃に斃れてから一週間ほどの今日、もう上方にのぼってきているなど、神業といえた。
「羽柴秀吉、鬼神でございましょうや?」
あまりに正国の驚きが大きいので、信孝もいささか失笑して、
「まぁ、お主の驚きもわからぬではない。だが、あの猿面冠者はまるで奇術師のような業をつかって成りあがってきた男だ。こたびのことも驚くまいよ」
(悪意がことばの端々にうかがわれるな)
正国は秀吉のしわくちゃな顔を思いうかべた。
「して、それがしをおよびになったわけとはどのようなことにござりますか」
信孝は正国の鋭敏を愛でて口を開いた。
「うむ。神戸家の知恵袋と言われたそちだ。考えを聞こう。光秀と組むなど論外だが、それでもわしは秀吉と組んだがよいか。それとも独立独歩を貫くがよいか」
正国は迷いのない笑みをつくった。
「畏れながら申しあげれば、とののご質問はいささか愚問にすぎないかと」
「ムッ」
愚問といわれて信孝は口をへの字に曲げた。
信孝の紅潮した顔をかたわらで見ていた丹羽長秀が、正国へ助け船を出すべく言葉をついだ。
「つづけよ、将監」
正国も木偶の坊ではない。いささか言葉をえばらなかった愚を悟って、真顔になった。
「はっ、畏まりましてございます。されば、いまわが軍は兵の逃亡が止まらず、人数(兵数)を維持するのに汲々としているありさま。とても独立独歩で明智を討てる状況にございませぬ。ここは、四方のしがらみは排して、筑前さまと合力するが上策に存じます」
言葉を選んだ正国の言葉に、いささか溜飲を下げた信孝だった。だが、あれほど嫌っている秀吉と組めというのは、信孝には承伏しかねた。
「将監。筑前との合力以外に策はないのか」
「ここは、私情をかたわらにお置きくださりませ。筑前さまとて、上様のお子様であられる殿を無下にはお扱いになりますまい。合力なされれば、反明智の旗頭としてお立てくださいましょう。とりあえず、いまは惟任日向を除くこと。それが第一にございます。上様と殿様の仇討ち、それが焦眉の急かと」
「ふむ。致し方あるまいか。将監の献策、聞き置こう」
けっきょく信孝は、正国の策をすべてのみ込み、秀吉の軍が主力でありながらも、その旗頭として合流し、六月十三日、山崎合戦でみごと明智軍を破った。
正国も一勝とともに、戦場を縦横に駈け、将首ひとつと兵卒の首を三つとる活躍をした。
さきの信澄攻めと今回の山崎の戦いで、華々しい戦功をあげた山路正国と一勝の兄弟だったが、感状をおのおのもらっただけで、実利となる恩賞は貰えなかった。
これには正国の弟の久之丞一勝も不満たらたらで、兄の正国に憤懣をぶつけた。
「なんですか、あのケチな殿様は!」
「そう怒るなよ、久之丞。いまは織田家中もひとつにまとまっておらず、恩賞などの約束はできまいて」
「土地はともかく、黄金ぐらいはもらっても罰は当たるまいよ」
正国はふーっと長い息を吐いた。
「まぁ、そういう考え方もあるな」
「だろ? 兄者もそう思うだろ?」
そんな話をしていると、信孝の使いの者が正国のもとにやってきた。
「山路将監どの、お殿さまがお呼びでございます」
「三七さまが?」
「左様でございます」
「恩賞の沙汰かな?」
一勝の顔がパッと明るくなった。
信孝に呼ばれた正国は、そこで、柴田家への転仕を命じられた。
「畏まってございます」
承けた正国だったが、気持ちはすっきりしない。
そのことを自身の陣に帰って、一勝に話すと、直情型の一勝は、大いに憤激して、
「我らのことを疎しく思われたのだよ。とのは!」
と、ずいぶんな怒りようだった。
「しかしな、久之丞。これは上意である、受けねばなるまい?」
「左様にはございますが……」
しかし、言葉上では納得した一勝であったが、なかなか気持ちの整理がつかなかったようで、何日も不満を引きずった。
※ ※ ※
この織田信孝に属していた山路兄弟が柴田勝家へ転仕したことに関しては不明な点ばかりである。史書を繰ってもなんの記述もないのである。
が、やはり情況を整理すれば、家中で存在感を増した山路兄弟、特に山路正国を、信孝が厄介払いしたと解釈するのが相当のようである。久之丞一勝は、兄と対で扱われたかと思われる。
ただ信孝と勝家の関係は良好だったことから、清須会議で両者が顔をあわせた際に、山路兄弟の能力を高く買った柴田勝家が、強って二人を信孝からもらいうけたとも考えられる。
ひとまず、筆者は物語の流れから前者をとり物語を構築することとした。
御諒承いただきたい。
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