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第一章 離反
山路将監、暗躍
しおりを挟む天正十年(一五八二)六月二日――。
大坂堺にあった三七信孝のもとに、転ぶように注進を告げにきた武者は、信孝も見おぼえがある兄信忠の馬廻だった。
「上様(信長)、殿様(信忠)、京の本能寺にて惟任日向(明智光秀)の謀叛に遭い、あえない御最期を遂げてございます!」
その報は、信孝の頭を槌で殴ったような衝撃であった。
さらに彼にとって不幸だったのは、堺が京に近く、「信長討たる――」の報は、噂となって兵卒らにも知られてしまったことである。
もともと現地調達の寄せあつめの兵士たちであったので、忠誠心も低く、混乱にじょうじて、次々に脱走者がでた。
すぐ京にとって返して、明智を討ちたいと思っても、兵力のかなりを失って、身動きがとれなくなってしまった信孝であった。
信孝と同じく、本能寺の変の報を一緒にうけた津田(織田)信澄は、顔面を蒼白にして、聞き入っていた。
信澄の妻は、明智光秀の娘だった。その関係から信澄の衝撃は大きかった。
しかし、信澄は光秀から、今回の一挙についてなんの相談も受けていなかったし、もしうけていれば、かれはつよく義父を諫めたであろう。
(謀叛人と呼ばれ生きていくことになるのに……。上様を弑し奉ることに、どれだけの価値があったのか……)
信澄は、義父光秀のことを思いやって、暗澹たる気分に沈んだ。
さらに追い討ちをかけるように、かれと光秀が親族であることから、信澄が光秀と組んで信孝の寝首を搔くのではないか――、という噂まで流れだし、信澄は居場所をうしなって大坂の住吉に逼塞してしまった。
実はこれがいけなかった。
信澄はもっと信孝とその同陣である丹羽長秀や蜂屋頼隆と話し合いの場をつくって、自身の疑いを晴らさねばならなかったのである。だが、そうはしなかった。もしそこまで気がまわらなかったとしたら、うかつの誹りはまぬがれないであろう。
結果的に信澄の行動は信孝たちの疑心暗鬼をよんだ。
そして信澄への疑心はそのままに、政変の二日後の六月四日になると、信孝たちも本能寺の変ののちの京畿周辺の状況がつかめてきた。
すなわち、信孝は放った細作(物見の兵)から、明智光秀は京をさり近江に向かったという報をえた。これには信孝もよろこんだ。かれには現在、明智軍と戦う兵力はほとんどなく、大坂に攻め寄せられたらひとたまりも無かったのである。そして、このことは信澄が光秀とつながっていないことのひとつの傍証ともいえるのだが、それも重々理解した上で、このとき、信孝に新しき黒き思念が芽生えた。
この混乱に乗じて、信澄を抹殺してしまえ――というものだ。
信孝はすでに明智を除いた後の枠組を考えている。信長と家督を譲られた信忠が死んだいま、新しい織田の当主は次の天下様――、ということになる。そして信孝はその座を欲した。
そして信澄も、その天下様候補の一人であった。既述だが、京の馬揃えで連枝衆のなかで五番目として別格あつかいを受けている信澄である。そう、かれは織田の家督を継ぐ候補の一人といえたのである。
ここに、信孝の野望を見すかしていた男がひとりいた。
山路将監正国――。
正国は信孝に目通りを願うと、人払いを要求した。信孝が応えてやると、早々に本題を切りだした。
「三七さま、もし七兵衛さま(信澄)周辺への調略の御用がございますれば、この将監にご用命くだされ」
「ほう――」
信孝の眉根がきゅっと上がった。
「なぜ、七兵衛に調略をかけねばならぬ。かの者と予は織田の同族ぞ」
正国は、その端正な顔立ちに作った笑みを崩さない。
「それがしの言い方が悪かったかも知れませぬな。言い換えれば、それがしが、三七さまが抱えておいでのお世継ぎ問題を解決いたしましょう」
信孝は険しい表情をつくった。
「将監、あまり人の腹中を覗くのは感心せぬな」
正国は笑みを消し、真顔にもどって言上した。
「それがしは、誠心誠意、三七さまにお仕えする者にござります。それ以外に存念はございませぬ」
(どうだか……)
信孝は、正国の端正な顔を見据えながら、その真意をはかりかねた。
正国は、一歩すすみ出て、
「調略には、心得がございます。ご用命を」
(やらせてみて、失敗したなら、また別の手を探せばよいか。とりあえず、この者を使ってみるか……)
すばやく脳内で計算し、フン、と鼻で笑って信孝は了承した。
「そこまで申すならやってみせい。ことが成就したのちの恩賞は、思いのままである」
「かしこまって候」
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