1 / 30
第一章 離反
疑惑
しおりを挟む神戸家の家督を継いだ三七郎は、諱を信孝とした。
神戸三七郎信孝の誕生である。
天正二年(一五七四)の七月に、神戸信孝は、北伊勢の兵をひきいて、長島攻めに従軍した。
そのなかには、もちろん山路正国や山路久之丞の姿もあった。
長島はほどなく信長の手に落ち、その地に滝川一益が封じられた。滝川一益は北伊勢四郡を支配する国持大名となった。
つづいて翌天正三年(一五七五)に北畠家を屈服させた信長は、二男の信雄を北畠家へ養子として送りこみ、南伊勢を支配させた。
よって伊勢国は、北方より、滝川一益・神戸信孝・信長弟の織田信包・北畠信雄が分割支配することとなった。
具体的な三七信孝の支配圏は、河曲・鈴鹿の二郡で、およそ五万石に相当した。
伊勢に封じられた四名の織田軍における位置づけは、遊撃軍団であり、かれらの活躍は信長の征服戦を下支えした。
信孝は、
天正三年八月、越前一向一揆の残党狩りに活躍。
天正五年(一五七七)二月、雑賀攻め。このときは織田家督をついだ長兄信忠の指揮のもと、活動した。
天正六年(一五七八)四月、信忠に従って、大坂表に出陣した。
同年五月、信忠の指揮のもと、大坂にあった信孝は、播磨へ転身した。
播磨の信孝は、六月二十七日の神吉城攻めで、激情のまかせるまま足軽にまじって先陣を競った。
同年十一月三日、播磨から安土へ返した信孝は、信長に従って有岡城攻めに参加するやにおもわれたが、安土城の留守居を命ぜられ、安土に残された。――が、まもなく信忠に呼びだされ大坂表へ出陣し高槻城の攻囲に参加した。
荒木村重の裏切りではじまった有岡攻城戦は、翌天正七年(一五七九)十一月までつづいた。
この有岡攻城戦は、ほとんど信忠が総指揮を執り、信孝は遊撃軍であることを十二分に発揮して、有岡表のみならず播磨三木表へも出張った。
このころ、戦場に信長はほとんど姿をみせることはなくなり、信忠の指揮のもと、信孝ら遊撃軍は働くことが多くなった。
有岡攻城戦がおわって、織田軍は帰城のはこびとなった。
帰城のとちゅう、兄・信忠が信孝のもとにやってきた。
「同道させてもらうが」
信忠が信孝に許可をもとめてきた。むろん、信孝に否やはない。
信忠は信孝と駒をならべて進む。
ふたりはとりとめのない話に興じていた。そのとき、不意に、信忠が言葉をはさんだ。
「そういえば……」
「いかがなされました? 兄上」
信孝が訊くと、信忠は句をついで、
「信孝、おぬしが先年、山路弾正(種常)を弑して神戸家を掌握せしこと、上様がたいへんお褒めになっておいでだったぞ」
信忠も父信長を〝上様〟とよぶ。
信孝はくすくすと笑う。
信忠は怪訝な表情で誰何した。
「何がおかしいのか?」
「いえ、あれは弾正の弟の正国がやったことにございます」
「おぬしが斬ったと聞いておるが」
「すべての段取りは正国が仕組んだことにございます。確かにわたしが手をくだしましたが、正国が仕立ててくれなければ、ああはうまくいかなかったでしょう」
「山路正国、そうとう切れるみたいだな。ああいうのは、おのれ大事に動くから、おぬしも気をつけろよ」
「肝に銘じます」
そのとき、たまたま北伊勢衆として信孝の旗本に組み入れられていた古市与助は、聞くともなしに二人の話を聞いてしまった。
古市与助は山路三兄弟とはおさなともだちであった間柄だ。
(え? 亀若どの(弾正種常)は千手どの(将監正国)の手引きで亡くなったというのか?)
不審に思い、信孝の言葉を一言もらさず聴こうとするが、二人の話はそれで終わってしまった。
信忠はお付きの者を引きつれて、自身の陣にかえる。
一人になった馬上の信孝へ古市与助は詰め寄った。
「との、本当に弾正どのは、将監どの(正国)の手引きで果てられたのですか?」
信孝は、うっとうしいという表情で、
「なんだ、いまの話を聞いていたのか? 嘘だ! 山路弾正は切腹して果てたのだ。それ以上もそれ以下もない。散れ!」
古市与助はがく然とした。
(殿は嘘をおっしゃっておる。亀若どのが切腹? たしかに亀若どのの御性格ならば、切腹などありえぬ。だまされて殺されたのだ。亀若どのは。……これはしたり。久之丞どの(山路三兄弟末弟一勝)は、今は千手どの(次兄正国)と同陣のはずだ。いそいで報せてやったほうがいいだろう)
与助は帰城後に書をしたため、一勝へ種常殺しは正国の仕業と報せてやった。
書状を受け取った久之丞は、にわかには信じられないという気持ちだったが、とりあえず、正国を問いつめた。
「うそだよ。とのの戯れを与助が勘違いしたものさ。たしかに亀若兄者は進退きわまって切腹されて亡くなられたのだ」
「本当か? 本当だな?」
「本当だよ。与助が聞いたのは、とのに酒でもはいっていたのではないか。帰陣の途中だしな。酒の上のたわむれよ。ご自身の手柄を謙遜なされて、それがしのせいなどといったのだよ」
「…………」
一勝は言葉を発せず、じっと正国を見つめた。
「そんなに信じられないのか?」
正国の表情にかわりはない。
一勝はどぎまぎして、
「い、いや、そういうわけではないが……」
といいつつも、その気持ちの中にわだかまりが渦巻いたことはまちがいない。
複雑な表情をしている一勝の横顔を、正国は横目でみた。
0
お気に入りに追加
4
あなたにおすすめの小説
異・雨月
筑前助広
歴史・時代
幕末。泰平の世を築いた江戸幕府の屋台骨が揺らぎだした頃、怡土藩中老の三男として生まれた谷原睦之介は、誰にも言えぬ恋に身を焦がしながら鬱屈した日々を過ごしていた。未来のない恋。先の見えた将来。何も変わらず、このまま世の中は当たり前のように続くと思っていたのだが――。
<本作は、小説家になろう・カクヨムに連載したものを、加筆修正し掲載しています>
※この物語はフィクションです。実在の人物・団体・地名とは一切関係ありません。
※この物語は、「巷説江戸演義」と題した筑前筑後オリジナル作品企画の作品群です。舞台は江戸時代ですが、オリジナル解釈の江戸時代ですので、史実とは違う部分も多数ございますので、どうぞご注意ください。また、作中には実際の地名が登場しますが、実在のものとは違いますので、併せてご注意ください。
吼えよ! 権六
林 本丸
歴史・時代
時の関白豊臣秀吉を嫌う茶々姫はあるとき秀吉のいやがらせのため自身の養父・故柴田勝家の過去を探ることを思い立つ。主人公の木下半介は、茶々の命を受け、嫌々ながら柴田勝家の過去を探るのだが、その時々で秀吉からの妨害に見舞われる。はたして半介は茶々の命を完遂できるのか? やがて柴田勝家の過去を探る旅の過程でこれに関わる人々の気持ちも変化して……。
がむしゃら三兄弟 第三部・長尾隼人正一勝編
林 本丸
歴史・時代
がむしゃら三兄弟の最終章・第三部です。
話の連続性がございますので、まだご覧になっておられない方は、ぜひ、第一部、第二部をお読みいただいてから、この第三部をご覧になってください。
お願い申しあげます。
山路三兄弟の末弟、長尾一勝の生涯にどうぞ、お付き合いください。
(タイトルの絵は、AIで作成いたしました)
がむしゃら三兄弟 第一部・山路弾正忠種常編
林 本丸
歴史・時代
戦国時代、北伊勢(三重県北部)に実在した山路三兄弟(山路種常、山路正国、長尾一勝)の波乱万丈の生涯を描いてまいります。
非常に長い小説になりましたので、三部形式で発表いたします。
第一部・山路弾正忠種常編では、三兄弟の長兄種常の活躍を中心に描いてまいります。
戦国時代を山路三兄弟が、どう世渡りをしていったのか、どうぞ、お付き合いください。
(タイトルの絵はAIで作成しました)
南町奉行所お耳役貞永正太郎の捕物帳
勇内一人
歴史・時代
第9回歴史・時代小説大賞奨励賞受賞作品に2024年6月1日より新章「材木商桧木屋お七の訴え」を追加しています(続きではなく途中からなので、わかりづらいかもしれません)
南町奉行所吟味方与力の貞永平一郎の一人息子、正太郎はお多福風邪にかかり両耳の聴覚を失ってしまう。父の跡目を継げない彼は吟味方書物役見習いとして南町奉行所に勤めている。ある時から聞こえない正太郎の耳が死者の声を拾うようになる。それは犯人や証言に不服がある場合、殺された本人が異議を唱える声だった。声を頼りに事件を再捜査すると、思わぬ真実が発覚していく。やがて、平一郎が喧嘩の巻き添えで殺され、正太郎の耳に亡き父の声が届く。
表紙はパブリックドメインQ 著作権フリー絵画:小原古邨 「月と蝙蝠」を使用しております。
2024年10月17日〜エブリスタにも公開を始めました。

あらざらむ
松澤 康廣
歴史・時代
戦国時代、相模の幸田川流域に土着した一人の農民の視点から、世に知られた歴史的出来事を描いていきます。歴史を支えた無名の民こそが歴史の主役との思いで7年の歳月をかけて書きました。史実の誤謬には特に気を付けて書きました。その大変さは尋常ではないですね。時代作家を尊敬します。

女衒の流儀
ちみあくた
歴史・時代
時は慶応四年(1868年)。
大政奉還が行われたにも関わらず、迫る官軍の影に江戸の人々は怯え、一部の武士は上野寛永寺に立てこもって徹底抗戦の構えを見せている。
若き御家人・能谷桑二郎も又、上野へ行く意思を固めていた。
吉原へ一晩泊り、馴染みの遊女・汐路と熱い一時を過ごしたのも、この世の未練を断ち切る為だ。
翌朝、郭を出た桑二郎は、旧知の武士・戸倉伊助が「田吾作」と名乗る奇妙な女衒相手に往来で刀を抜き、手も足も出ない光景を目の当たりにする。
長い六尺棒を豪快に振るう田吾作の動きは何処か薩摩・示現流を彷彿させるもので、もしや密偵か、と勘繰る桑二郎。
伊助の仇を打つ名目で田吾作に喧嘩を売るものの、二人の戦いの行方は、汐路を巻き込み、彼の想定とは違う方向へ進んでいくのだった……。
エブリスタ、小説家になろう、ノベルアップ+にも投稿しております。
架空戦記 隻眼龍将伝
常陸之介寛浩☆第4回歴史時代小説読者賞
歴史・時代
第四回歴史・時代劇小説大賞エントリー
♦♦♦
あと20年早く生まれてきたら、天下を制する戦いをしていただろうとする奥州覇者、伊達政宗。
そんな伊達政宗に時代と言う風が大きく見方をする時間軸の世界。
この物語は語り継がれし歴史とは大きく変わった物語。
伊達家御抱え忍者・黒脛巾組の暗躍により私たちの知る歴史とは大きくかけ離れた物語が繰り広げられていた。
異時間軸戦国物語、if戦記が今ここに始まる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
この物語は、作者が連載中の「天寿を全うしたら美少女閻魔大王に異世界に転生を薦められました~戦国時代から宇宙へ~」のように、異能力・オーバーテクノロジーなどは登場しません。
異世界転生者、異次元転生者・閻魔ちゃん・神・宇宙人も登場しません。
作者は時代劇が好き、歴史が好き、伊達政宗が好き、そんなレベルでしかなく忠実に歴史にあった物語を書けるほどの知識を持ってはおりません。
戦国時代を舞台にした物語としてお楽しみください。
ご希望の登場人物がいれば感想に書いていただければ登場を考えたいと思います。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる