みなしごと百貨の王

あまみや慈雨

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22日目【手の甲:敬愛】02

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いったいなにが起きているんだろう。 龍郷と出会ってから、自分の気持ちを制御出来ないことが増えたな、とは思っていた。
 ――今度は体まで。
目覚めると、広い寝台に一人で寝ていた。当たり前だ。あんな、拒否したみたいになって、医者も来て。いつもみたいに龍郷が一緒にいるわけがないのに。 
「……、」
 唇を動かしてみる。どこも痛くない。喉に違和感だってないのに、いざ声を出してみようと思うと、どこにも力が入らない。
 ――せいしんてきなものかも、だっけ。
 稀にそういうことはある、と龍郷家の主治医は言った。 
精神。気持ち。なんだよそれ、と思う。心が弱って声が出なくなった? 随分贅沢な体になったもんだ。
 昨夜、龍郷は怒っていた。約束をすっぽかしたのだからそれは当然で、甘んじて受ける。でも理由は話したくなかった。話せばあいつを煩わせる。
 ――いや。 それは確かに理由のひとつではあった。だけど本当はもっと別のことを畏れてた。
 ――あいつに面倒だと思われたくない。
 俺がここにいたら、ずっとああいうのにつきまとわれる可能性があるのだと、厄介を持ち込んでくる存在だと、そう龍郷に思われるのがつらい。 龍郷の役に立ちたいなんて考えながら、本当に守りたいのは自分のことなんじゃないのか。 そんなことを考えていた罰が当たったんだろうか。 唯一、あいつの役に立ってる声までなくしてしまうなんて。
「失礼致します」     
部屋のドアがノックされ、女中頭が入ってくる。 
「昼食でございます」 
昼食。もうそんな時間か。そういえばいつのまにかカーテンも開けられている。 女中頭の持ってきた 銀のドレーンに乗乗っているのは、オムレツライスだ。
 「……これがお好きだから、と」 
すべてを語られなくてもわかる。誰の指示なのか。 
「では」
 下がろうとする女中頭を、しおんは袖を引いて引き留めていた。


 サンルームのテーブルの上に皿が置かれ、龍郷は我に返った。 いつのまにか随分仕事に没頭していたらしく、腕の時計は昼を指している。こんなとき、いつもなら女中頭は気を遣ってそっとしておいてくれるはずなのだが。 
「あとでもらう」 
「きっとそう仰るだろうから、ちゃんとお召し上がりになるように見張ってくれと、あの方が」 
野々宮の奴、なにからなにまで。
 「あとでちゃんともら――」
 口先だけで追い払おうとしたとき、違和感が頭の中で明確な形に結びついた。野々宮は朝一で仕事の手配だけ手早くして、店に向かったはずだ。
 「しおんか? ――声が出るようになったのか!」
 思わず立ち上がった龍郷の足元に散らばってしまった書類を拾うため、女中頭がしゃがみこむ。慌てて自身もしゃがむ龍郷に、彼女は言った。
「筆談です」 
そうか、筆談という手が。思い至って、さらにそれを自分自身で打ち消した。今感情のままに質問をぶつけたら、筆談で答えられるようなものではすまなくなるだろう。だいたい、なぜ声が出なくなったのかなんて、しおん本人が一番知りたいところだろう。
 「…………」
書類を元に戻すと、龍郷は髪を乱暴にかきあげ、どかっと椅子に座り直した。本当なら髪でなく脳味噌をぐちゃぐちゃにかき混ぜたいところだ。なにか、役に立つ答えがどこかに詰まっていないかと。   
詮無いことを考えた。 スプーンを取り、オムレツライスに突き立てた。少し冷めかけてはいたが充分うまい。仕事に没頭するあまり忘れていただけで、体はたしかに空腹を覚えていたのだろう。 「……ほんとに見張ってなくとも、残したりしない」
 女中頭がいつまでも部屋の隅に佇んでいるのに気がついて、龍郷は渋面と共にそう告げた。
 「お約束しましたから」
 長年の習い性で、女中頭はあまり感情をあらわにしない。その彼女が、主人の言葉に背くというのも珍しいことだった。 
「ずいぶんあいつに肩入れする」
 「旦那様ほどでは」
 そうやり込められては、あとはもう黙々とケチャップライスを口に運ぶしかない。 
「……俺は、あいつの負担になっているのかな」 
人は誰でも本来、自分の行きたいところで、好きなように生きることが出来る。
 自分の価値を見失って鬱々としていた野々宮や、評価されずにいたデザイナーにそれを気づかせ、生き生きとよみがえる様を見るのが楽しかった。
 しおんが己の価値に気がついて、日に日に美しくなっていったときはなおさらだ。
 一度は手放そうと思ったのだ。
でも出来なかった。
生まれて初めて、手元に縛りつけておきたいと願ってしまった。 「そうとも限らないと思いますが」
 「そこは〈そんなことありません〉くらい言うところじゃないのか。――ごちそうさま」 
親しい人間は少ないが、その少ない連中はどうも総じて自分に当たりが厳しい気がする。皿を空にして告げると、女中頭は黙々と片付けを始める。 俄かに廊下が騒がしくなった。
 「なんだ?」
 どうやら使用人が慌ただしく走り回っているようだ。 来客の予定もないはずだが。 だいたい、使用人は「表」には極力姿を見せないのが鉄則だ。 不審に思って顔を出すと、使用人の一人が駆け寄ってきた。 
「旦那様、申し訳ありません、金糸雀が……!」 
「カナリア?」
 「昨日の風雨で温室の硝子が一部割れてしまっていたようで、そこから逃げ出したんです」

 鮮やかな色の高価な小鳥。それを愛玩するのが富裕層の間で流行ったのは、少し前のことだ。
龍郷の父親もそれに乗っかって、数匹温室に放ち、客が来ると連れていっては自慢していたらしい。 高価なもの、と散々聞かされていたのだろう。使用人は可哀想なほど青ざめて「申し訳ありません!」をくり返す。
 「いや、」
そんなものがこの家にいることも、今の今まで忘れていたくらいだ。 そのとき、硝子張りのサンルームの前を小さな影が横切り「あ」と使用人が声をあげる。まだ遠くへは行っていなかったようだ。 女中頭と使用人、龍郷と三人で素早い小鳥の動きを目で追う。手も足も出せない人の身の滑稽さをからかうように右へ左へと飛行したカナリアは、車寄せの正面に植えられた木にとまった。 まるでそこだけ鮮やかな黄色の花が咲いたようだ。 
「なんだ? さっきまであんなにばたばたしてたのに」 
どうやらしばらくそこにとどまることにしたらしい。カナリアはじっとして、ぴくりともしない。 
「ずっと温室の中で暮らしていましたから、あまりにも広い外の世界に戸惑っているのかもしれないですね」 
「なんにせよ良かった。庭師に捕まえさせます」
 「いや」
 駆け出そうとする使用人を制して、龍郷は上着を脱ぎ、シャツの袖をめくりあげた。
 「ぐずぐずしてたらまた逃げ出すかもしれない。俺が行こう」

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