みなしごと百貨の王

あまみや慈雨

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19日目【脛:服従】

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今日の打ち合わせはいつもより長めだった。新店舗で営業を再開する日には、今まで以上に華々しく広告を打ち、売り出しも行うつもりだ。その主な催し、指輪のカタログの案が上がってきたところだった。 
「おまえの言った通りだ。やっぱり表紙には指輪そのものの絵を入れずに、デザインのみにしたほうが高級感が出る。婚約指輪や結婚指輪となれば、一生の一大事だからね」
 野々宮が言う。指輪は和装にも洋装にも使える宝飾品として裕福層に愛されてきた。この頃には一般にまで婚約指輪、結婚指輪が習慣となってきたところだ。
龍郷としては、一般の勤め人が少し頑張れば購えるクラスの商品展開に力を入れ、より「お祝い事が決まったら、まず龍郷百貨店へ」の流れを作り出したいと考えている。

 あれだけの災害のあとで…と渋る社員もいなくはなかったが、そこは「いざというとき身につけていられる財産だぞ」と告げたら「なるほど! お客様に勧めるときにもそう言います」と納得していた。
 デザイナー提案の捻梅型という独自の爪のデザインもお祝いらしく、幅広い層に好まれそうだ。
 「うちのデザイナーは仕事が出来るな」
そう漏らすと、野々宮がひとつ、瞬いた。
 「なんだ?」
 「いや、そういうことをちゃんと口に出して言うようになったんだなと。本人にもちゃんと伝えてあげて。それで、カタログ以外の展開だけど」
 「ああ、品物をただ並べるだけでは能がない。モデル……だけじゃなく、著名人にも身につけさせたいな」
 新しいものになかなか踏み出せない日本人だからこそ「あの人がつけているなら」という効果は絶大だ。 

「いっそしおんくんはどう?」

 「なに? 」
 「モデルは好き嫌いがある。女性の女性に対する目は厳しいものだろう。その点しおんくんなら――」
 一時出た性別がわからない説を、龍郷は敢えて回収してはいなかった。何者かわからないけれど魅力的――その不安定さが、なにより人を惹きつける。
 それになにより、龍郷自身、しおんの指に美しく輝く宝石を見てみたくなってきた。
 あの美しい瞳の中にダイヤモンドの輝きが映り込む様。好戦的にこちらを睨みつけるかんばせの、顎に添えられた指に光る煌めき。敢えて男らしい装いに、大きな石の指輪をつけてみるのもいいだろう―― 

「あら、それはいけませんわ」
 昼の会食の席で思いがけずそう言ったのは小松原嬢だ。結婚話がなしになったあとも小松原嬢との付き合いは続き、彼女が見た目の楚々とした印象とは裏腹に、はっきりものを言う、革新的な女性だと言うことはわかっていた。 
震災後は髪も短く切ってしまい、常に洋装で通している。
「いけないですか。あなたなら気に入ってくださると思ったんですが」
 「本気でおっしゃってるの?」 
そんなに酷い案だったろうか。今まで仕掛けた広告が大当たりしなかったことなどない龍郷だ。若干むっとしなくはないが、もちろん極上の商談用笑顔に押し込めた。
 「やはり同性のモデルの方が伝わりやすいですか?」
 そんなさまを胡乱げに睨め付けたあと、小松原嬢は大仰にため息をつく。
 「そういうことを言っているのではありません。――本当に殿方はだめね。申し訳ないけど、そんなことではもしもわたくしのお友だちがご婚約されても、おたくは紹介出来ませんわ」
 そこまで言われると、流石に戸惑う。思いがけず大事になり、龍郷は詫びた。
 「申し訳ありません。なにがそんなにお気に召さないのか、教えていただけないでしょうか。後生です」
 「ただのファッションリングなら構いませんのよ。でも婚約指輪や結婚指輪はいけません。本当に好いた相手から貰う前に、目新しさだけでつけさせられるなんて。それを客寄せに使われるだなんて」
 龍郷の表情を見て、動揺を察したのだろう。小松原嬢は手のかかる子供を見るような眼差しで苦笑してみせた。
「モデルさんなら構いません。お仕事ですからね。でもあの方は違うじゃありませんか。正直に申し上げて、私も見たい。でもだめです。――婚約や結婚がそれはそれは繊細で特別なことだとわかってらっしゃらない方々に、どうして大事な指輪を任せられます?」

 夜半まで仕事をして邸に戻る。寝室に入ると、しおんがぱたりと寝台の上に伏せて寝ていた。
「こら、そんな寝方したら風邪をひくぞ」
 抱え起こしながら、元凶に思い当たった。
「待たせてすまなかった」
 急ぎ野々宮に連絡をつけ、モデルの手配をやり直したからなのだが、もちろん、それはこっちの勝手な都合だ。そこの部分は黙ってただ謝ると、即座に「寝てねえし待ってねえ」と返ってくる。ただし若干怪しい呂律で。 寝台の上なのがまだ幸いだったが、寝間着の裾から出た足が寒々しい。
「早く今日の分、ひけ」と腕の中で迫るしおんはやはり、眠りの淵を彷徨っている。そんなときまで約束を果たそうとする姿に苦笑しながらキャンディポットを開けて、再び振り向くと、やはりしおんは本格的に眠ってしまっていた。 柔らかな寝間着の生地がしなやかな体の線を際立たせている。
 ――まるでジョヴァンニ・ストラッツァだ。
 学生時代に見た、大理石から削り出したとは思えない、繊細なヴェールを纏ったマリア像を思い出す。 もっとも目の前のマリア様は「ん……」と身動ぐと、寝間着の裾から盛大に脚を出したりしているのだが。

美しい指輪を身につけた美しいしおんを見たかったのは、自分だ。 
そんなしおんが賞賛を浴びる姿まで想像した。それが心地良かった。――あれは、俺のものだと。
 小松原嬢の言う通り、指輪を貰う側の気持ちなど考えていなかった。
 喜び、期待、少しの不安。
  はじめふたつは思いついても、三つ目はわからなかった。しおんを思いやることがなければ。 手の中の紙片を開くと、そこに記されていた文字に思わず口許が綻んだ。神様は、たまには下々の者どもを見ているものらしい。
  龍郷は寝間着からはみ出したしおんの白い脛に口づけを落とす。
  冷えた体を温めるように、何度も何度も唇を押し当てた。
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