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7日目【鼻:愛玩】
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翌朝目覚めると、龍郷の姿は既になかった。なんでも、昨日残した仕事のためにいつもより早く出たのだという。
――昨日の今日で、大丈夫なのか?
音楽隊の練習の間も、クリスマスのチャリティーコンサートの打ち合わせの間も、ずっとやきもきして過ごし、邸に戻る頃にはなんだかどっと疲れてしまっていた。自分が病むよりも、人が病むほうが疲れるというのは、いったいどういう理屈なんだろう。……初めての経験すぎて、戸惑う。
「なんだかやつれてないか?」
遅く帰宅した男が、そんなことを言う。
「……あんたは元気そうだな」
「ああ、おかげさまで。昨日飛び切りきく薬をもらったからな」 「あれ、そんなに効くのか?」
見たところ、ごく普通の頓服のようだったが。龍郷の家ともなれば特別に調合させるくらいのことはさせているのかもしれない。なんにせよ本当に一晩で良くなったらなによりだった。
龍郷が一瞬目を見張ったあと、なにか察した様子でくつくつと愉快そうに笑っているのが気にはなるのだが。
愉快そうな様子のまま、龍郷は今日の分の紙片を摘み上げた。 「さて、今日の分は――鼻か」
「鼻? 」
また、妙なところをと思いつつ、しおんは龍郷の腹を跨いだ。寝台の頭に背を預けている龍郷の鼻に口づけようとして、気づく。
――これ。
唇にするのと、恥ずかしさほとんど変わらなくないか?
なにしろ正面から顔に迫ることになる。こっちが見つめるということは相手も見つめているということで――勿論龍郷はとうにそのことに気がついているのだろう。黒く濡れたような瞳が、悪戯な光を帯びてこちらを見ているのだった。
――くっそ。
昨日は、その前に嘘をついたという後ろめたさがあった。するな、と言われるとしたくなる、奇妙な意地も働いた。
つまるところ、勢いがあった。 その勢いのまま引き上げて、龍郷の反応を見る間もなかったから――パラフィン紙越しの口づけの感触が今頃になってよみがえってきて、胸の中が直接火でも当てられたかのように熱くなる。
「 ……してくれないのか?」
「するよ! してやる! ――」
からかうように煽られ、しおんはやけくそ気味にぐっと顔を近づけた。龍郷の、日本人にしては高い鼻梁に口づける――直前で、躊躇った。
「どうした?」
「な、なんか、難しい」
正面に陣取ったのが良くなかったのかもしれない。そこからぶつからないよう鼻先にだけ口づけるのは案外難しかった。龍郷が面白そうに眺めていると考えれば考えるほど、なんだか焦る。
「ん、――」
それでも 頬に落ちかかる髪を耳にかけ、首を傾げた。唇がどうにか鼻先をかすめる。
龍郷の吐息が触れた。口づけとも言えないお粗末なそれに苦笑しているのがわかって、しおんはもう一度、角度を変えて唇を寄せる。 龍郷はそれを、ふいっとかわした。
「この――、」
抗議の声を上げる頸を、ぐいっと引き寄せられる。
「――、」
柔らかな衝撃。と、思った次の瞬間には離れ、再び重なる。重なった次の間隙にはやさしく吸われる。
「ん……、」
綻びの隙間から舌が入り込んできて、舌先を吸われた。
龍郷の腹が波打つと、熱い体温が伝わってくる。 何気なく跨っていた自分の下肢が〈そういう〉熱を帯びた。
「……ッ、は、」
うっかり身を任せてしまいそうになる衝動を無理矢理押し留めて、唇を引き剥がす。混ざりあった唾液で、少し噎せた。
「は、鼻、だろ……ッ!」
咎めれば、龍郷は濡れた唇を拭いながらしゃあしゃあと言うのだ。
「昨日は紙越しだったからな。その分だ」
「な、……!」
それは、あんまりにも龍郷ばかりに都合がい いのではなかろうか。
にやにやと愉快そうな顔をする龍郷に、しおんは
――もう二度とこいつの心配なんかしてやるか――
と誓った。
――昨日の今日で、大丈夫なのか?
音楽隊の練習の間も、クリスマスのチャリティーコンサートの打ち合わせの間も、ずっとやきもきして過ごし、邸に戻る頃にはなんだかどっと疲れてしまっていた。自分が病むよりも、人が病むほうが疲れるというのは、いったいどういう理屈なんだろう。……初めての経験すぎて、戸惑う。
「なんだかやつれてないか?」
遅く帰宅した男が、そんなことを言う。
「……あんたは元気そうだな」
「ああ、おかげさまで。昨日飛び切りきく薬をもらったからな」 「あれ、そんなに効くのか?」
見たところ、ごく普通の頓服のようだったが。龍郷の家ともなれば特別に調合させるくらいのことはさせているのかもしれない。なんにせよ本当に一晩で良くなったらなによりだった。
龍郷が一瞬目を見張ったあと、なにか察した様子でくつくつと愉快そうに笑っているのが気にはなるのだが。
愉快そうな様子のまま、龍郷は今日の分の紙片を摘み上げた。 「さて、今日の分は――鼻か」
「鼻? 」
また、妙なところをと思いつつ、しおんは龍郷の腹を跨いだ。寝台の頭に背を預けている龍郷の鼻に口づけようとして、気づく。
――これ。
唇にするのと、恥ずかしさほとんど変わらなくないか?
なにしろ正面から顔に迫ることになる。こっちが見つめるということは相手も見つめているということで――勿論龍郷はとうにそのことに気がついているのだろう。黒く濡れたような瞳が、悪戯な光を帯びてこちらを見ているのだった。
――くっそ。
昨日は、その前に嘘をついたという後ろめたさがあった。するな、と言われるとしたくなる、奇妙な意地も働いた。
つまるところ、勢いがあった。 その勢いのまま引き上げて、龍郷の反応を見る間もなかったから――パラフィン紙越しの口づけの感触が今頃になってよみがえってきて、胸の中が直接火でも当てられたかのように熱くなる。
「 ……してくれないのか?」
「するよ! してやる! ――」
からかうように煽られ、しおんはやけくそ気味にぐっと顔を近づけた。龍郷の、日本人にしては高い鼻梁に口づける――直前で、躊躇った。
「どうした?」
「な、なんか、難しい」
正面に陣取ったのが良くなかったのかもしれない。そこからぶつからないよう鼻先にだけ口づけるのは案外難しかった。龍郷が面白そうに眺めていると考えれば考えるほど、なんだか焦る。
「ん、――」
それでも 頬に落ちかかる髪を耳にかけ、首を傾げた。唇がどうにか鼻先をかすめる。
龍郷の吐息が触れた。口づけとも言えないお粗末なそれに苦笑しているのがわかって、しおんはもう一度、角度を変えて唇を寄せる。 龍郷はそれを、ふいっとかわした。
「この――、」
抗議の声を上げる頸を、ぐいっと引き寄せられる。
「――、」
柔らかな衝撃。と、思った次の瞬間には離れ、再び重なる。重なった次の間隙にはやさしく吸われる。
「ん……、」
綻びの隙間から舌が入り込んできて、舌先を吸われた。
龍郷の腹が波打つと、熱い体温が伝わってくる。 何気なく跨っていた自分の下肢が〈そういう〉熱を帯びた。
「……ッ、は、」
うっかり身を任せてしまいそうになる衝動を無理矢理押し留めて、唇を引き剥がす。混ざりあった唾液で、少し噎せた。
「は、鼻、だろ……ッ!」
咎めれば、龍郷は濡れた唇を拭いながらしゃあしゃあと言うのだ。
「昨日は紙越しだったからな。その分だ」
「な、……!」
それは、あんまりにも龍郷ばかりに都合がい いのではなかろうか。
にやにやと愉快そうな顔をする龍郷に、しおんは
――もう二度とこいつの心配なんかしてやるか――
と誓った。
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